◇3

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 葵さんは、学校は軸を学ぶ場なのだと、転校手続きに関する書類に目を通しながら、そんなことを言っていた。

『帷ちゃんは、〝そういう身体〟で〝こういう仕事〟をしているわけだから、どうあがいても普通の世界で生きるなんてできないわけだけどさ。でもまぁ、自分がズレているという自覚を得るためにも、軸を学ぶことは、損にはならないと思うよ』

 ——軸というのは、常識とか道徳とか、そういったものですか?

 そう質問すると、彼女は『もちろんそれらも含むけど、もっと漠然としたものだよ』と答えた。




 教室に入り、窓際の一番後ろの席に座る。

 わたしのために急遽設けられたこの席は、長方形に整えられた机らから一つはみ出した瘤のようになっており、教室内の様子が一望できるようになっている。

 生徒たちは、それぞれがグループを結成し、共通の話題で盛り上がっていた。

 始業時間の15分前にもなれば、運動部の朝練を終えた生徒も続々と入ってきて、教室全体の音量が数段階上昇するのを感じる。

 ——おはよー。 ——今朝の先輩キツ過ぎんだけどー。 ——例の動画観た? ——駅前にクレープの店できたって! ——あのキャラ強くね? うーわ日付的に俺当てられるじゃん! 文化祭準備の集まりあるらしいよ。 ——ポーチめっちゃカワイイ! ——ねぇちょっとー聞いてる? ——読み終わったら貸してよ。 ——ヤバイってマジで!

 なんというか。

 ここには、あまりにも多くの〝人の都合〟がある。

 そんな印象を抱いた。

 都会の交差点のような混沌とはまったく違う。

 ここでは、ひとつの空間にいくつもの輪が形成されて、それらが絶妙に交わらないように距離を持ちながら、点在している。

 全員が高校という共通のコミュニティにいながら、協調と排他をうまく使い分け、自分の地位を確立している。

 ハートキャッチにいた頃では見ることのできない、新鮮な光景だった。

 葵さんは、これを見せたかったのだろうか。

 軸の話と照らし合わせてみたが、よくわからなかった。


「おっはよう!」

 教室のドアが勢いよく開き、一人の女子生徒が飛び出してきた。

 外ハネが特徴的な短髪の少女は、その場にいる全員に大きく挨拶をすると、形成されているグループの中を通りながら、器用に会話をしていた。「うん、あの動画私も観たよ!」とか「髪切った? 超似合っている!」なんて具合に。輪に入ってこられた側も、特に嫌がる様子はない。彼女の人徳の賜物だろう。

 そうやって彼女はしばらく教室をぐるりと巡りながら語らっていたが、どういうわけかその終着点をわたしに決めたようで、大きく目を見開きながら、目の前までやってきた。

「おはよー帷! 今朝はどう? ゴキゲン?」

「おはようございます。仲町なかまちさん」

「ふーむ、元気度は60%くらいですなー、朝ご飯食べた?」

「食べてます。あと元気度ってなんですか」

「説明しよう! 表情、声の大きさ、筋力から、その人がどれだけ元気かをあたしが勝手に決めるのである!」

「筋力はいらないでしょう」

「おっ、ツッコミが早い! 10ポイント加点だね!」

「%なのかポイントなのかどっちなんですか」

 先ほどの三つの基準以外で変わるじゃないかとか、そもそもリアルタイム変動なのかとか、そういう指摘も追加で頭をよぎったが、不毛そうなので堪えた。

 この快活という言葉を擬人化したような女子——仲町なかまちつばさとの会話は、葵さんやフォルテさんとはまったく別の意味合いで戸惑うことが多い。

 苦手というわけでは決してないが、テンションの波長が異なる、と感じることは多々ある。彼女だって、わたしに対して距離を測りかねるところはあるはずなのだが。

 それにも関わらず、転校生という立場が珍しいのか、仲町は何かある度にわたしとコミュニケーションをとろうとする。もっとも彼女の場合、興味があれば誰にでも話しかけにいくスタンスのようだが。

 それが天然ものなのか、あるいは計算づくのものなのか、それはわからないが、どうあれ、彼女がこのクラスのなかで悪意を抱かれにくい地位にいるのは間違いないだろう。

 人の輪にわざわざ入っていくのも、会話を盛り上げようとするのも、わたしにはできる気がしない。なので、そういうところは尊敬できる個性なのだと思う。

 そんなことを考えて、しばらく黙っていたからか、気が付くと仲町はこちらに顔を近づけて、むむむと唸っていた。

「な、なんですか?」

「もしかして、からかいすぎたかなって? 気分悪くしたならゴメンね?」

「……別に、怒ってませんけど」

「ならよかった~」

「そういうところ、抜け目ないですよね」

「ん? どゆこと?」

「別に何でも。わたしがひねくれているというだけの話です」

「ふーむ……帷は素直な子だと思うけどなー」

「そこまでわたしのこと知ってるんですか? 出会ったばかりで」

「まーね! 友情は長さじゃなくて質って、うちのおばあちゃんも言ってるからね」

「おばあさんは、お友達が多かったんですか?」

「らしいよー。でも長生きしたせいで、他の人みんなお空の上なんだってさ」

「……なるほど」

「うーん、過ぎたるは及ばざるが如し、だね~」

「なんか違う気がしますけどね」

 言葉の説得力はあるけども。

 ただ、出会って一週間の人間にここまで馴れ馴れしく接するのは、なかなかできることではないと思う。

 わたしのような〝変わり者〟に対しては、特に。

 周囲の様子を窺う。

 生徒たちは、一見普通に談笑しているようだが、その視線がちらちらと自分たち二人に向けられているのを感じた。

 その目はよく知っている。

 未知の存在に対する、観察と警戒の目。

 依頼人と話すときや、ただ普通に道を歩いているときでも、ほぼ必ず、こういった目でわたしは見られる。

 その理由はほぼ髪色のせいなんだろうけど、これに関してはわたしのほうがある程度諦めることで折り合いをつけるしかない(治癒体質のせいなのか染めようとしても数時間で白くなってしまうのだ、難儀)。

 どうやらそれは、学校という場でも例外ではないようで、だからこそ、この前の長田おさだや目の前にいる仲町のような存在は、珍しいといえるだろう。

 加えて言うならば、仲町が男女共に良く思われているのも、余計に災いしているのかもしれない。

 なんとなく感じるのだ。「なんでお前が仲町さんと仲良くしてんの?」「ちょっとそこ変われ」のような、直接は聞こえない非難が。

 彼女のことが嫌というわけじゃないのだが、結果的に独占する形になるわけで。

 後ろめたさ……はないけど、変に気まずい。

 そんなわたしの気持ちはおかまいなしとばかりに、仲町はハッと何かに気が付いたような素振りをして、スマホを取り出した。

「そうだ、これ聞こうと思ってたんだけど、帷は〝ソルト〟やってる?」

「ソルト?」

 急に謎の単語を出された。

 ソルト……塩?。

「目玉焼きはタバスコ派ですけど」

「いやいや、そうじゃな——え? タバスコ? マジで?」

「あっ、違ったみたいですね、ソルトってなんですか?」

「こっちから振っておいてゴメンなんだけど、まず目玉焼きの話しない?」

「しませんよ、そっちの話が先でしょう」

「いや、とりあえず先に決着をつけないと、この先の関係性を考えなきゃいけないからさ。最悪の場合、血を見る事になるかも」

「何が逆鱗に触れたんですか……?」

 知らなかった。

 まさか、目玉焼きというワードがこれほどまでに危険な話題になりえるとは。

 普通に葵さんの前でタバスコかけて食べていたけど、もしかして「マジかこいつ」って思われていたかもしれない(葵さんは何もかけない派らしい、そこはかとなく通っぽい)。

 コミュニケーションの難しさを痛感せずにはいられない。

 とりあえず、この地雷にはお互い触れないことで合意し、話の道筋を戻すことにした。

「ソルトはチャットアプリだよ。通話もできるし、アカウント持ってるなら交換しようかなって」

「そうだったんですね。あっ、えっと……」

「メールよりも楽にやりとりできるし、スタンプとかカワイイんだよねー」

「その、何と言いますか……」

「だいじょーぶだいじょーぶ! あたし、既読無視とかも全然オッケーな人だから——」

「はいそこまで」

 一人の女子が、ぐいぐいとこちらに迫ってくる仲町の肩を叩いて窘めた。

 長い髪、利発そうな顔立ちをした彼女は、わたしに顔を近づけていた仲町を引きはがすと、こちらを向いて「ごめんね、この子ちょっと強引なところあるから」と謝った。

 いずみ侑里ゆり。警戒心の強い人間の多いこのクラスの中で、仲町と同様にわたしに関わろうとする数少ない人間だ。クラス委員長という役目も請け負っていることもあり、仲町とはまた別の意味で、周囲からの信頼を得ているといえる。

「織草さん、困ってるでしょ? そこまでにしておきなって」

「えぇーっ、ソルト交換するだけじゃん、なんでさー?」

「みんながみんな、つばさみたいに繋がりたいわけじゃないんだから」

「色んな人と話すほうが楽しいと思うけどなー? それにあたし、友達1000人目指してるし」

「多すぎでしょ」

「これこそまさにネット弁慶だね!」

「やかましい」

 そういう意味じゃないから、とツッコミを入れる泉と、おどける仲町。気の置けない友人というのは、こういう間柄なのだろう。

「予鈴とっくに鳴ってるよ。織草さん、今日の二時限目は移動教室だけど、場所わかる?」

「はい、たぶん大丈夫です」

「なら良かった。何かあったらすぐに言ってね」

「ありがとうございます。泉さん」

「そうそう、なんでも頼りたまえよ! 侑里殿はクラス委員長であらせられるからなー!」

「なんであなたが偉そうなのよ、いいから座んなさいって」

 やれやれと肩を竦めたあと、泉は仲町を引っ張って席に戻っていった。

 見送って、わたしも自分の準備をする。

 ……二人とも、いい人だと思う。

 彼女たち以外からは相変わらず好奇の視線を感じるけども、それに関しては、いずれ慣れるだろう。

 葵さんの真意は不明だが、これはこれで、うまくやっていくしかないようだ。


「……あ、ソルトのこと」

 準備をしながら、一つ、彼女たちに言い忘れていたことをおういえばした。

 先ほどはうまく伝えられなかったので、わたしの対人への姿勢について、二人に妙な誤解を与えてしまったかもしれない。

 他人と必要以上に関わることに抵抗はあるものの、連絡先を交換するのは、実のところ吝かではない。

 吝かではないのだが、どうしてもそれができない理由があったのだ。

「……また次の機会に言っておくべきですかね。スマホ燃えちゃったって」

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