◇16

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 ——色々考えたけど、やっぱり、器の中に入れるのが良いと思いました。

 ——乙女の肌を傷つけるのは、本意ではないですが。

 ——後のことは娘たちに任せます。まぁ、いないよりはマシでしょう。

 ——使い所があるかはわかりませんが、その時までせいぜい生き残ってくださいね。

 ——筺花きょうか


 ……そうだ。

 これが〝最初の記憶〟。

 とても……とても、

 嫌な記憶だったのを、思い出した。






「——証拠は」

 ふって湧いて出た言葉をぶつける。

「わたしの心臓が……花の巫女のものだって証拠は、あるんですか」

 我ながら幼稚な態度だ。

 目の前の男の言葉を否定する材料を、必死になって探してしまっている。本心では、自分の中でもある程度の察しがついてしまっているにもかかわらず、だ。

 斐上がこちらを見る。認めようとしないわたしに対して、愚かしいとでも思ったのだろうか。みっともなくあがいているのを責められるような気分だった。

「身体に刻まれた傷……そして、お前の心臓を通る〝血液〟が、お前の〝言葉〟で操られるという事実……というだけでは、不満か」

「……でも、血の力はフォルテさんのアンプルで」

「何言ってんだよ、お前」

 と、それまでの沈黙を破り、空骸が声を上げた。

「フォルテシモ・リリックワールドが作ったアンプル? そんなもん無しでさっきからさんざん〝力〟を使ってただろ。……こんな風にさ」

 これ見よがしに、自らを縛る〝血の網〟を見せつける空骸。紛れもなくそれは、わたしが命じて変化させたものだ。

 たしかに、この学校の中でわたしは——首無しの化心を倒すときも、空骸やストレンジャーを捕まえる際も——力を行使する際、アンプルに保存されていたものではなく、自分の身体から流れた血を用いていた。

 一切の魔術的加工の施されていない、血液だ。

 フォルテさんはわたしの血を抜き取ってアンプルに保管する前、謎の機械の中に収納する作業を行っていた。わたしはその工程こそ、血を動かすために必要なプロセスだと思っていたし、彼女自身も、あの機械のことを特注品と————特注品?


 ……考えてみれば。

 彼女は〝誰の〟注文で……あんなものを作ったんだ?


「……フォルテ、さんは」

 ぞっとするような恐怖に、うすら寒さを感じ始めた。

「あの人は一体……」

「血の能力はもともと帷ちゃんが持っていたもの……」葵さんが声を出す「……だとすれば、フォルテはそれを、実戦に使えるように調整していただけ、ということなのかもしれない」

 葵さんの額がじんわりと滲んでいた。冷静に考察しているが、わたしと出会うよりも前から、フォルテさんと交流があったという彼女の動揺は、間違いなくわたし以上のはずだった。

「魔女は既に、帷ちゃんのことを——その正体も含めて、知っていた……」

 表の顔は占い師、裏の顔は化心に対抗するための道具屋。

 その二つの顔のみを切り替えながら、フォルテさんはそうやって、わたしたちハートキャッチを、支援してくれていた。

 ……はずだ。

 そこにさらなる裏があるなんて、まったく考えもつかなかった。

「あの女が何者かなど、知る由もないし、俺たちの計画には関わりのないことだ。織草鏡花との繋がりがあったのは確かなようだがな。知りたければ本人に聞けばいい……まだこの街にいれば、の話だが」

 斐上はそう言うと、いきなり杖を振りかざした。その矛先はわたしたちではなく——空骸の方へ。

「何を——」止める間もなく杖が光り、続けて破裂音がした。目の前には、自由の身になった空骸の姿。血の拘束はバラバラに砕け散り、床に散乱していた。

 空骸が斐上の下へ走り、その腕に抱き着く。斐上は意に介さない様子で、その顔は椛さんの方を向いていた。

「織草椛、お前の心術はどうやら『自分にできないことは禁止できない』ようだな」

「……確かに、私の力じゃ〝魔術の発動〟自体は止められない」

 椛さんが平静な口調で応えた。かつて〈枷轡〉は制約が多いと語っていたが、斐上が見抜いたのも、その一つだったのだろう。

「……でも、私の言霊はまだ生きている。あんたたちはこれ以上動くことはできないはずだけど?」

 椛さんの言う通りだった。

 斐上の行動には二重の(座るのも含めたら三重の)縛りがかかっている。だからこそ斐上との戦闘にはならず、こうして問答をすることができているのだ。魔術が使えたところで、攻撃も逃亡もできないのであれば、彼の不利は変わらない。

 だというのに、斐上は、

「悪いが〈俺たちはどんな状況からでも逃げられる〉……お前たちの心術など、所詮はただの〝口約束〟に過ぎないのだから」

 そう、言ってのけた。

「……どういう意味?」

 発言の意味を測りかね、訝しむ椛さん。それに対しても斐上は平坦に応じる。

「言葉通りだ。今の俺は織草家と事を構えるつもりはない……まだそのタイミングではないからな。故にここで退散させてもらう」

「何か策があるようだけどさ、逃がすと思うのかい?」葵さんが一歩前へ出る。「自分だけべらべら喋っておいて、満足したらハイさよならって、それはないだろう。まだ君たちの目的について、議論はされていないのに」

「議論だと? 思い上がりも甚だしいぞ、織草葵」

 斐上が葵さんを睨む。この男が初めて見せた〝敵意〟のようなものに、その場にいる全員が気圧されるかのようだった。

「俺たちの目的を語ったのも、花の巫女について語ったのも……全ては〝筋を通した〟までのこと。化心を狩ってきたお前たち一族に対する最低限の礼儀を尽くしただけであり、もとより理解や同調を求めるつもりなどない……言い換えれば〝宣戦布告〟だ」

 斐上が自らの杖を高く掲げた。

 ズン——と空気が重たくなり、深い水たまりに浸かったかのような、足が鈍くなる感覚を覚えた。

「くっ——」駆け出そうとした葵さんが膝をつく、椛さんもうまく動けないようだ。

 同様に——わたしも、床に座り込んでしまい、うまく立つことができなかった。

 そのうち、杖の先から黒い煙のようなものが噴き出て暗雲を形成し、斐上と空骸を覆い始める。

 二人の姿が、見えなくなる。

「化心は未知の存在だ」暗雲の中から斐上の声。「それを解明し、計画の準備が整った後、俺たちは心臓を使って——全ての化心をこの世から抹消する……理想の世界を創るために」

「待て——!」

 せめて、と手を伸ばすが、当然届くはずもない。

『……次は負けない。……百倍返しにするから』

 耳元に囁くような空骸の声がした。それを最後に、体育館の中から禍々しい気配は立ち去り、身体が軽くなった。

 同時に……わたしたちの〝敵〟は、影も形もなくなっていた。

「厄介なのに目を付けられたようだね。椛の〈枷轡〉を無効化するのは……流石に想定外だった」

 立ち上がった葵さんが、眉をひそめながら言った。それを受けて、隣にいた椛さんも頷く。

「……ええ。それに『逃げられる』って言ったときのアイツ、違和感があった。なんていうか、うまく言えないけど……私たちが心術使うときみたいな、そんな感覚」

「〝言霊の心術〟かい? それってつまり」

「待った、あの男についての話は後にしましょう。今は——」

 椛さんがわたしの近くに来た。

 座り込んだままのわたしに合わせるように、その場にかがむ。橙がかった茶色の瞳が、わたしをじっと見つめていた。

「帷……えっと……」視線を行ったり来たりしながら、歯切れの悪そうな椛さん。「いろいろ言われて大変かもだけど、その……生きてて何よりっていうか」

「なんだいそれ」葵さんがわたしと椛さんを見下ろしながら呆れていた。「もっと気の利いた言い方ってものがあるだろう、普通」

「う……うるさいわね。話し方とか、友達のいない姉さんにだけは言われたくないんだけど」

「失礼な、私にだって友達はいる」

「そうなんだ、意外。私も知ってる人?」

「……フォルテ、とか」

「いやそれ、さっき怪しくなった人じゃなかった?」

「まだ推定有罪だろ」

「その扱いはもうクロでしょ」

 やいやいと、わたしの目の前で繰り広げられる、葵さんと椛さんのやり取り。言い合っているように見えて、実際のところその雰囲気は、ハートキャッチで出会った時のような、張り詰めたものとはどこか異なっていた。

 花の巫女のこと、織草鏡花のこと、フォルテさんのこと。

 ——すべてが、わたしという存在に繋がっていること。

 短時間で得るには、あまりにも膨大な情報量だ。二人だって、本当は戸惑っているはずなのに、たぶん当事者であるわたしを思って、いつも通りに振舞ってくれている。

 その気遣いは嬉しい。

 反面、未だに気持ちの整理がつかないわたしを置き去りにしているかのようにも感じてしまう——そう思ってしまう身勝手な自分が、嫌になる。

「——帷ちゃん」

 頭上の葵さんがハンカチを差し出してきた。

 それでようやく、自分が涙を流していることに気づいた。

 目の前がじわりと揺れていただけのはずだったのに、自覚した瞬間に気持ちが溢れて、理性でせき止めきれなくなる。

 あおいさん、もみじさん。

 声にならない声で、呼びかけた。

 ぐちゃぐちゃの視界でわからないけど、たぶん二人はちゃんとわたしを見てくれている、耳を傾けていてくれる。

 あおいさん、もみじさん。

 もう一度呼びかける。

 聞きたいことがあった。

 今は絶対に答えられないであろう問いを、わたしは投げかけようとしている。

 嫌われたくないのに、わざと困らせようとしてしまう。

 自分が流しているこの気持ちを、叩きつけたくなってしまう。

 なんて意地の悪い人間なんだろう、と、自覚しているのに止められない。

 花の巫女の心臓。

 それがわたしの中に入って、わたしに力を与えてくれている。

 わたしを、花の巫女の器として生かして、動かしている。

 だとしたら……〝それ以外〟は?

 心臓以外のわたしの肉体は……どこからやってきたもので、それを所有しているのは、一体〝どっち〟になるんだろう。

 わたしは——わたし、は、


「わたし、は、だれ、なんですか」

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