◇17

◇17


 廃墟に、二人の魔術師がいた。

 一人は斐上弦慈ひがみげんじ——スーツを着た男。瓦礫に腰掛け、真意の読めない表情をしながら、自身の杖に魔力の光を灯していた。

 杖の先にいるのは空骸黑からがいくろ——フリルの服を身に着けた少女。織草帷の通う学校に〝仲町つばさ〟として潜り込んだ彼女は、〝神様〟というAIのSNSアカウントを学校内で流行らせ、首無しの化心を誘発させた元凶だった。帷との戦闘によって服は汚れ、破れ、身体には軽い擦り傷がついていた。

 空骸はただ俯いていた。その全身に、斐上の魔術の光が照射されている。照らされた部分はまるで時間が巻き戻ったかのように——破れた服は繋がり、擦り傷は消え失せ——復元されていった。

「あ……ありがと、斐上さん」おずおずと、空骸が礼を言う。「あと……ごめんなさい」

 空骸が元通りの姿になったのを確認すると、斐上は魔術の行使をやめ、自身の上着の内ポケットから、小さなメモ帳と万年筆を取り出した。メモ帳を開いて中を確認しながら、そこに何かを書き加え始めた。

 空骸はずっと震えながら、その姿に言葉を投げかける。

「化心……百体混ぜるって言ったけど、うまくいかなかったし……あと結局、心臓も奪えなかった、し」

「…………」

「……あ、そ、そうだよね、心臓はまだだった、何言ってんだろ、あたし……バカだなーもう……」

「で……でも、負けちゃった、から……そこは、謝らなきゃって思って」

「…………」

「…………がっかり、した?」

「ああ」無言のままだった斐上が、短く言い切った。メモ帳を閉じて立ち上がり、空骸に背を向ける。

「……斐上、さん」

 斐上を失望させてしまった。

 空骸にとってその事実は、何物にも代えがたいほどの絶望だった。

 今すぐに自分の首を掻きむしって死んでしまいたい。役立たずの烙印を押された自分では、せめてそうすることでしか、忠誠心を示すことができない……そう本気で思ってしまうほどの絶望だった。

 自分が魔術師として生きていられるのは、斐上の〝心術〟——否、〝織草鏡花から斐上へと貸し与えられた言霊の心術〟のおかげだ。

 斐上と違い、もともと魔術師ではない彼女は、彼の持つ〝暗示の言霊〟によって「空骸黑は魔術師である」という強力な自己暗示をかけさせられている。長田の友人になれたのも、仲町に化けることができたのも、この言霊の力によるものだ。

 そうやって、空骸は斐上の手足として、計画のために動くことができていた。

 故に、彼にとって不必要だとされたのなら、自分に生きるべき価値と理由はない。

 魔術師としても——人間としても。

「あ……あたし、その」

 捨てられたくない。

 見放されたくない。

 死にたくない、という生存本能をはるかに上回る気持ちが、空骸の中で飽和していた。

「黑」

 斐上が空骸を呼んだ。

 返事をしなきゃ、と思うのに、緊張と恐怖のせいか、唇と歯がうまく合わせられなくなっていた。結局無言のまま、次の言葉を待つ。

「明日の日没後、また廃墟ここに来い。それまでに魔力を戻しておけ」

「……え」

 しかし、斐上からの言葉は、空骸にとっての最悪の想定ではなく、単なる次の指令だった。

 風船の空気が抜けるように、空骸の中で張り詰めていた気持ちが消え失せる。

「次の計画については明日話す。……何か疑問があるのか、黑」

「え、えと……」今度はすっかり拍子抜けしてしまって、うまく言葉が続かない。「……斐上さん、がっかり、したんだよね?」

「そうだ」

「見捨てない……の?」

「なぜ見捨てる」

「その……失敗、したから」

「次がある」

「で、でも」

「お前がここを去りたいなら、止めはしないが」

「ち、違う! そんなわけない!」

「ならば、明日に備えろ」

 斐上が杖を振った。杖の先から暗雲が——体育館で見せたときと同様のものが出現する。それが斐上の身体を覆い隠していき、空骸が瞬きした後には、その姿はすっかり消えていた。

「…………」

 ぺたん、と、空骸はその場に尻もちをついた。

 風船の空気はすっかり抜けきって、しぼんでしわくちゃの状態。

 そんな気分だった。

「優しいんだー……」

 空中に向かって、小さく投げかける。

 まだ自分は必要とされていた、利用価値があると、あの人に判断されている。

 そのことがたまらなく嬉しい。

 嬉しくて、嬉しくて、変な笑いが漏れそうだった。

「うん——そうだよね、そうだった。キユーってやつ」

 斐上の目的は、化心の存在しない世界を作ること。

 誰も泣かず、誰も怒らず、誰の心も傷つかない、何も恐れるものの無い世界を作ること。

 そんなことを考える優しい人が——自分を切り捨てるはずがなかったのだ。

 空骸はそう思い直して、でもやっぱり嬉しくて、しばらく身悶えしていた。




「斐上さんの夢は、ぜーんぶ、あたしが叶えてあげるからね」

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