◇15

◇15


 じくり、と傷が疼いた気がした。

 吸い込んだ息の戻し方が、わからなくなる。

 吐き出した息の入れ方が、わからなくなる。

 何か——とてつもなく重要なことを言われたのではないか、

 受け入れれば、取り返しのつかないことになるのではないか、

 そんな予感がした。


「初代織草家当主、織草筺花おりくさきょうか——千年前は花の巫女と呼ばれた存在だが、その言霊はまさに〝最強〟と呼べるものだった。記録によれば花の巫女は、水を燃やすことも、空に物を落とすことも、ただ〝命じる〟だけで実現させていたようだ。言霊によって世界を思いのままに操るその姿は、他の人間にとって〝神の御業〟に思えただろう。……お前たち織草に話すのは、釈迦に説法というものだな」

 斐上の目は依然としてわたしを見つめ続けている。

 追いつめられているはずなのに、口ぶりからは焦燥を感じられない。

 むしろ逆にこちら側を——わたしを見定める余裕すらあるかのようだ。思考の読めない人間というだけならフォルテさんもいるが、この男については、どこまでも深い沼を覗かされるような底知れなさがあった。

「……赤の他人の割には、よく知ってるわね」

「ああ、なかなか勉強家のようだ」

 悪態をつきながらも、斐上の話を、葵さんも椛さんも否定しなかった。彼の話に間違いはないのだろう。ハートキャッチで葵さんが教えてくれたのは、記録として残されている部分の中のごく一部、だったようだ。

「ある時、花の巫女はその生涯を終えた。化心に敗れたのか、病に倒れたのか、単なる寿命か……原因は不明だ」

 斐上が一呼吸置く。

「……だが、彼女が安らかに眠ることは叶わなかった。巫女を信奉する者たちの手によって、その死が大いに〝穢された〟からだ」

 憐れんでいるのか、侮蔑しているのか、抑揚のない話し方では、その内心をうかがい知ることはできない。もしかすると……本当にただ、冷淡なだけなのかもしれないが。

「人智を超越した存在に対しての畏敬の念、加護を失ったことで自らが化心の脅威にさらされることへの恐怖……どちらの思いが主だったのか、知る由はないがな」

「適当なこと言わないで」

 と、斐上に食って掛かったのは、椛さん。

「巫女の死の記録なんて、本家うちにだって残ってない。……部外者のあんたが、何を知ってるっていうの?」

「織草椛……織草家の現当主、か」

 椛さんの言葉にも斐上は冷静だった。

「確かに、お前であれば俺よりも、花の巫女についてはよく知っているのだろう。だが、本家であるが故、自分の家の〝汚点〟をわざわざ書き記すようなことをしなかった……そうは考えられないか?」

「それは……」

「俺のような部外者だからこそ、知り得る事実もある、ということだ」

「…………」

 椛さんが口をつぐむ。「勉強家」と揶揄した葵さんも同様だった。斐上が二人の想定以上の情報を得ているのは間違いないのだろう。

「……何をしたんですか、巫女の信奉者は」

 意を決して確かめる。

 花の巫女の伝説と、その末路。

 聞かなくてはならないという気持ちと、これ以上聞きたくないという気持ち。

 否。

 あるいは〝既に知っていることを暴かれたくない〟という気持ち。

 矛盾した思いが、頭の中を駆け巡っている。

 それでも……だ。

 やはり、無知なふりをすることはできない。

 たとえ単なる答え合わせにしかならないとしても〝疑念〟を消さなければ、自分という存在は、立ち止ったままになってしまう。

 何を言われても動じない、なんて言えるほど驕ってはいない。

 ただ、静かに受け入れる覚悟を決める。

 そのつもりだった。

 斐上が息を吐く。

 嘲笑にしては短く、単なるため息にしては含みがある行動。

 やがて彼は、自らの知る事実を、淡々と告げ始めた。

 残酷で、狂気的な真実を。


「……彼らは巫女の〝亡骸〟を〝切り分けた〟のだ。肉も骨も内臓も細かく分配し〝それぞれが〟〝それぞれを〟……化心を遠ざけるための〝魔除け〟として所持するために、な。ほとんどの部位は朽ちて消えていったが、とりわけ生命力の強いパーツ……〝心臓〟は今日まで存在を維持し、多くの人間の手に渡った……お前たちの母親である〝織草鏡花おりくさきょうか〟の手にもだ」

「織草……鏡花」

「母様が……」

 狼狽えた反応をする織草姉妹。構わず斐上が話を続ける。


「心臓を手に入れた織草鏡花は……ある疑問を抱いた。

 花の巫女の心臓を……本当に〝心臓〟として運用したら、いったいどうなるのか。

 誰かの心臓と取り替えたら、何が起きるのだろう、と。

 何も起きない可能性の方が高いだろう。

 だが……最強と言われた巫女の生命力の塊だ。

 もしかしたら、宿主を食いつぶして、花の巫女自身が蘇ることがあるかもしれない。

 あるいは、花の巫女の力だけが、その〝器〟に宿るかもしれない。

 どうなるにせよ、確かめてみたい。

 ……やってみよう。

 何の罪のない少女の胸を裂き……〝移植〟するのだ。

 生き延びるのか、適合できずに死ぬのか……反応を確かめてみよう。

 彼女は……そう、思い立った。


 そして選ばれたのが、お前だ。

 ——織草帷」


「…………」

 ああ。

 駄目だ。

 耐えなければならない、はずなのに。


 今にも、叫びだしそうだ。

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