◇15
◇15
じくり、と傷が疼いた気がした。
吸い込んだ息の戻し方が、わからなくなる。
吐き出した息の入れ方が、わからなくなる。
何か——とてつもなく重要なことを言われたのではないか、
受け入れれば、取り返しのつかないことになるのではないか、
そんな予感がした。
「初代織草家当主、
斐上の目は依然としてわたしを見つめ続けている。
追いつめられているはずなのに、口ぶりからは焦燥を感じられない。
むしろ逆にこちら側を——わたしを見定める余裕すらあるかのようだ。思考の読めない人間というだけならフォルテさんもいるが、この男については、どこまでも深い沼を覗かされるような底知れなさがあった。
「……赤の他人の割には、よく知ってるわね」
「ああ、なかなか勉強家のようだ」
悪態をつきながらも、斐上の話を、葵さんも椛さんも否定しなかった。彼の話に間違いはないのだろう。ハートキャッチで葵さんが教えてくれたのは、記録として残されている部分の中のごく一部、だったようだ。
「ある時、花の巫女はその生涯を終えた。化心に敗れたのか、病に倒れたのか、単なる寿命か……原因は不明だ」
斐上が一呼吸置く。
「……だが、彼女が安らかに眠ることは叶わなかった。巫女を信奉する者たちの手によって、その死が大いに〝穢された〟からだ」
憐れんでいるのか、侮蔑しているのか、抑揚のない話し方では、その内心をうかがい知ることはできない。もしかすると……本当にただ、冷淡なだけなのかもしれないが。
「人智を超越した存在に対しての畏敬の念、加護を失ったことで自らが化心の脅威にさらされることへの恐怖……どちらの思いが主だったのか、知る由はないがな」
「適当なこと言わないで」
と、斐上に食って掛かったのは、椛さん。
「巫女の死の記録なんて、
「織草椛……織草家の現当主、か」
椛さんの言葉にも斐上は冷静だった。
「確かに、お前であれば俺よりも、花の巫女についてはよく知っているのだろう。だが、本家であるが故、自分の家の〝汚点〟をわざわざ書き記すようなことをしなかった……そうは考えられないか?」
「それは……」
「俺のような部外者だからこそ、知り得る事実もある、ということだ」
「…………」
椛さんが口をつぐむ。「勉強家」と揶揄した葵さんも同様だった。斐上が二人の想定以上の情報を得ているのは間違いないのだろう。
「……何をしたんですか、巫女の信奉者は」
意を決して確かめる。
花の巫女の伝説と、その末路。
聞かなくてはならないという気持ちと、これ以上聞きたくないという気持ち。
否。
あるいは〝既に知っていることを暴かれたくない〟という気持ち。
矛盾した思いが、頭の中を駆け巡っている。
それでも……だ。
やはり、無知なふりをすることはできない。
たとえ単なる答え合わせにしかならないとしても〝疑念〟を消さなければ、自分という存在は、立ち止ったままになってしまう。
何を言われても動じない、なんて言えるほど驕ってはいない。
ただ、静かに受け入れる覚悟を決める。
そのつもりだった。
斐上が息を吐く。
嘲笑にしては短く、単なるため息にしては含みがある行動。
やがて彼は、自らの知る事実を、淡々と告げ始めた。
残酷で、狂気的な真実を。
「……彼らは巫女の〝亡骸〟を〝切り分けた〟のだ。肉も骨も内臓も細かく分配し〝それぞれが〟〝それぞれを〟……化心を遠ざけるための〝魔除け〟として所持するために、な。ほとんどの部位は朽ちて消えていったが、とりわけ生命力の強いパーツ……〝心臓〟は今日まで存在を維持し、多くの人間の手に渡った……お前たちの母親である〝
「織草……鏡花」
「母様が……」
狼狽えた反応をする織草姉妹。構わず斐上が話を続ける。
「心臓を手に入れた織草鏡花は……ある疑問を抱いた。
花の巫女の心臓を……本当に〝心臓〟として運用したら、いったいどうなるのか。
誰かの心臓と取り替えたら、何が起きるのだろう、と。
何も起きない可能性の方が高いだろう。
だが……最強と言われた巫女の生命力の塊だ。
もしかしたら、宿主を食いつぶして、花の巫女自身が蘇ることがあるかもしれない。
あるいは、花の巫女の力だけが、その〝器〟に宿るかもしれない。
どうなるにせよ、確かめてみたい。
……やってみよう。
何の罪のない少女の胸を裂き……〝移植〟するのだ。
生き延びるのか、適合できずに死ぬのか……反応を確かめてみよう。
彼女は……そう、思い立った。
そして選ばれたのが、お前だ。
——織草帷」
「…………」
ああ。
駄目だ。
耐えなければならない、はずなのに。
今にも、叫びだしそうだ。
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