◇14
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「ああそうそう、もちろん〈逃亡禁止〉……二人とも、ね」
椛さんが全体を見回しながら言い放った。二人というのは言うまでもなく、
「……おぞましき〝化心の術〟か。こんなものを嬉々として用いる者の気が知れないな」
グレーのスーツを着た壮年の男——斐上が吐き捨てる。
低く、重く、感情というものの起伏が感じられない声色だった。
杖を持っていた右手はだらんと垂れ下がっており、抵抗の意思は感じられない。繁華街の首無し化心の時と同じ拘束がされているのだとしたら、無理もないだろう。改めて〈枷轡〉が強力な言霊なのだと思い知らされる。
「随分な言い方だね。その子から聞くところによれば、君たちも化心の存在を利用していたようだけど?」
今度は葵さんが挑発的な物言いをする。口調はいつもの調子だが、その表情に笑みはなく、斐上と空骸をしっかりと睨んでいた。
「……聞いた?」
小さく呟いたのは、縛られたままの空骸。「そもそもお前ら、どうやってここに」
「あ、もう切らなきゃ、電話代もったいないもんね」
不意に、椛さんが携帯を取り出し、通話オフのボタンを押した。直後、わたしのポケットの中に入っていた〝泉のスマホ〟との繋がりが、完全に切れる。
「いつの間に……会話を送ってたのか、お前っ」空骸の声が震える。一連の光景を見て、どうやら〝策〟に気づいたようだ。
「そういうことだ。まぁ、真っ先に助けを求めたのが私じゃなくて椛だった、ということについては、後で弁明を聞きたいところだけども」
「姉さんよりも私の方が頼りになりそうって思っただけじゃない?」
「なるほど、半年間育んできた私との関係性を無視して、つい数日前に会ったばかりの他人に心を委ねるとはね。帷ちゃんは意外に浮気性なのかな」
「いや、あの、単純に葵さんの番号を忘れてただけなんで……変な誤解しないでください」
「私の連絡先は覚える価値がない、と」
「なんでそう捉えちゃうんですか」
「姉さんってこんな面倒くさかったっけ」
切羽詰まっている状況なので、拗ねられるのは困る。
恥ずかしい話……どうやら、わたしは一度登録したらそれ以降番号を覚えないタイプだったらしい。保健室で泉のスマホを拝借したまでは良かったのだが、葵さんにもフォルテさんにも連絡が取れない状態だった。
事態が好転したのは、ジャージに着替える際、制服の中から落ちた一枚の〝紙〟を——血まみれの中で奇跡的に読み取れる状態で——見つけた時だった。
ハートキャッチで椛さんと初めて会った時に貰った……〝電話番号のメモ〟。
電話する直前に空骸に襲われてしまったので、電話するタイミングがなかなか見つからなかったのだが、柱に隠れた時、通話状態のスマホをジャージのポケットに入れておくという方法で、なんとか椛さんにコンタクトを取ることができた。苦肉の策だったが、逆にお互いの会話をまるごと伝えることに繋がったので、情報の共有が完璧に行えたという点では、最適だったといえる。
「ご、ごめん、なさい、斐上さん、あたし」
空骸が怯えながら斐上に謝る。斐上が一瞥すると、びくついてから俯き、何も言わなくなった。年齢も性格も(ついでにファッションも)まるで違うこの二人が、どうして組んでいるのかはわからないが、対等な関係、というわけではないらしい。
「黑の計画については、既に知っているということか」確かめるように、斐上が言う。
「そういうこと。だから、ここからはもう少し踏み込んだ話を聞きたいな。具体的には、化心を産ませた理由とか、帷ちゃんを追い込んだ理由とか……さ」
「〈自殺も禁止〉ね、馬鹿な真似されちゃ困るし」
「椛の言霊は効くだろう? 三重に縛られた状態じゃ、身体も相当に重いだろうし……辛いなら座るかい?」
「じゃあ〈座るの禁止〉」
「おや、お気の毒に」
言霊の力で外堀を埋めていく椛さんと、おちょくる葵さん。
椛さんの〈枷轡〉は強力な心術だが「禁止した行動は自分にも適応される」という弱点がある。相手の攻撃を縛れば、椛さんも危害を加えることができなくなるのだ。言い換えれば、味方が一人でもいた場合、その人間に攻撃やとどめを任せることができるため、一方的に優位に立つことができる。
葵さん(とわたし)が自由に動けるこの状況は、先程とは逆に、斐上を追い込んでいるといえる、というわけだ。
斐上の様子は変わらない。葵さんの言葉通りなら、身体にはかなりの負荷がかかっているそうだが、彼の立ち姿からはその気配は感じられなかった。
「——実験だ」
斐上がゆっくりと口を開いた。
話す気になった、ということだろうか。脅されて仕方なくという感じでもなさそうなのが、なんとも不気味だった。
「化心という存在を、人の手でどこまで制御できるのか……ある〝目的〟のために、見定める必要があった。ストレンジャーとの混合も、生徒の化心も……目的を達するための実験だった」
「化心を、制御……?」思わず声が出てしまった。黙って聞くべきなのは、理性ではわかっているはずなのに。耳に届いた言葉のわけのわからなさに狼狽した。
「……馬鹿げてるわね」
「君の言う〝目的〟と……帷ちゃんには、どう関係があるんだい?」
葵さんも椛さんも、少なからず衝撃を受けているようだったが、努めて冷静に振舞っていた。場数の差、というものだろう。
斐上がわたしを見た、何を考えているのか一切読み取れない表情。ただ一つだけ——その眼だけが、妖しげな揺らめきをたたえながら、わたしを捉えていた。
「俺たちの目的は——〝全ての化心を消滅させること〟だ」
そして——と、
斐上がさらに告げる。
「その目的のために〝織草帷〟が必要だった。……正確に言えば、その女の〝中身〟がな」
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