◇13
◇13
初撃は阻まれた。
手のひらから飛び出し、牙のような形に変化したわたしの血が、空骸に到達しなかったからだ。〈
『み゙ぃ゙ぃ゙っ゙』血の攻撃をその身に受けた猫が劈くような鳴き声を出し、視界から消えた。真っ黒すぎるせいで、傷がついたのかどうかさえわからないが、リアクション的には効いている……と思いたい。
「っ⁉」
いや、そんなものを気にしている場合ではなかった。
猫の落下を〝おとり〟にして。間髪入れずこちらを狙う銃口がある。
空骸の杖だ。
放たれる赤い閃光。咄嗟に持っていた剣鉈を使って防御したものの、決して低くない威力のせいで、のけぞってしまう。対処はできるが、剣鉈の間合いに彼女を入れ続けなければ、勝ちの目はない。
再び強く踏み込んで、空骸のもとへ。
顔を隠すように剣鉈を構えて、とにかく迫る。
「ちっ——」空骸が離れた。射程距離が生まれれば彼女の独壇場だ。それだけは避けなければ。
「——だったら」覚悟を、決めるしかない。
そもそもの話、剣鉈のサイズで防げる攻撃など、たかがしれているのだ。
ならばせいぜい撃たせてやる。
防御するのは、頭部だけでいい。
「こいつ——!」
魔術の乱射。
肩や足を撃ち抜かれる……が、脳以外の被弾であれば、意識を保ったまま動ける——堪えてみせる。
出血もこの際無視する、その気になれば武器にできる分、むしろ好都合だ。
そう思い、うずくまりそうになる身体を起こして、とにかく前へ。
覆いかぶさるように彼女のもとへ向かう。
勢いを保ちながら、剣鉈を振る。
「イカレ女が!」
空骸が杖を高く振り上げた。まるで指揮者のようだ——と思ったが、実際のところその認識は間違っていない。その動きに呼応するように、再び黒猫が飛び上がったからだ。
ギッ、と音を立て爪と刃が交差する。
「死ね——死ね——死ね!」
空骸の声に合わせ、黒猫は身体をばねのように弾ませ、執拗にわたしの首を狙ってくる。猫特有のしなやかな動きは予想がしづらく、剣鉈で振り払うのが精一杯だ。
「……っ……!」
二度、三度、苛烈な打ち合いが続くが、お互いに決定的な一撃が繰り出せないでいる。
空骸は撃ってこない、猫に誤射してしまうのを避けているのだろう。『ダメージを負った織草帷には、猫を殺すほどの力は残っていない。長期戦に持ち込み、消耗させ、自滅を待つべきだ』と、思っているのかもしれない。
もし、普通の人間と相対しているのであれば、その戦法は、きっと正しいだろう。
ただ残念ながら……〝わたし〟相手には通じない。
〝織草帷〟にとって、急所以外のダメージなど、あってないようなものだ。
何度目かの衝突をいなしたとき、わずかに視界が開けた。
自分と空骸の間に、障害物が無くなった。
「〈捕らえろ〉!」
血に命じる。
空骸の警戒を誘うように、わざと声を上げた。
声を聞いた彼女が果たしてどこを見るか……当然、自分が撃ち抜いた箇所だ。
空骸はわたしの血が自在に動くことを——武器として利用できることを知っている。当然、注意は傷口に向くだろう。血がどんな風に動くのか予想できずとも、攻撃は〝目の前〟からやってくる——そう信じて、彼女は備える。
その〝視線〟を……利用させてもらう。
「なっ————⁉」
網目状に変化した血が、その身体に巻き付いた。
単純な攻撃、しかし空骸の反応は一瞬だけ遅れた。
攻撃が目の前ではなく、予想外の位置からやってきたからだ。
すなわち——足元。
黒いブーツで踏んでいた箇所の血が渦のように巻き上がり、彼女を捕縛したのだ。
命令できるのはなにも、身体に付着した血だけではない。わたしの身から離れたものであっても——たとえば、床の〝血だまり〟であっても、効果範囲になり得る。
無理やり近づいたのは、地面に落ちる血液量を少しでも増やすため。肩を撃ってくれたおかげで、少しでも上の方を向いてくれたのは幸いだった。
視界から逃れた後に着地した猫もまた、罠にかかっていた。猫は『んー!』と苛ついた鳴き声をあげ、じたばたしているものの、血が〝鳥もち〟のように四つ足に張り付き、まったく跳べずにいた。
「く……そ……」
耐え切れず膝をつく空骸、血の締め付けは腕ごときっちり固定されており、杖を振るうこともできない。
「……わたしの、勝ちです」
その姿に剣鉈を向けながら、宣言する。
一歩でも踏み出せば、敵の首を刎ねることができる——空骸と、他でもない自分自身に証明するかのように。
化心でもストレンジャーでもない〝人間〟との戦い。
実感は薄いが、わたしは……どうやら勝利できたらしい。
「…………」
近頃考えていたのは『勝利のために身を捨てる』という言葉のことだった。
葵さんの——ではなく、いつか観たはずの映画の台詞だったか。
映画については(観たことを思い出せないほどに)思い入れなんてないのだけど……どういうわけか、その台詞だけが、葵さんに窘められた後でもずっと、頭から離れないでいた。
理由について、頭で考えても、ずっとわからないままだった。……だけど、今になってようやく——たった今この瞬間に〝腑に落ちた〟気がする。
たぶん言葉が、わたしの〝肌に合ったもの〟だからだ。
……空骸の言い方をあえて借りるなら、だけども。
思い返せば、わたしの〝戦い〟はいつもそうだった。
腕を潰され、背骨を折られ、頭蓋を砕かれ、腹を貫かれ……普通の人間なら即死するような目に何度も遭いながら、辛うじて敵を倒すやり方。
戦いと呼ぶにはぎこちなく、勝ちと呼ぶには不格好すぎるスタイル。
〝体質〟によって——死ににくい身体、というものを持ってしまったわたしは、人にとって大事なものを〝捨てる〟ことができてしまう。
命でさえ、デメリットなしで差し出せてしまう。
だからこそ……なんでもない一場面に、共感してしまったのかもしれない。
空骸はわたしを〝バケモノ〟や〝イカれている〟と罵ったが、なるほど言い得て妙だ。傷を負いながらも襲い掛かってくる精神性は、傍目から見れば十分に異常なのだろう。そんなことすら気づかずに、みんなと同じ軸にいられると思い込んでいたのだ、わたしは。筺花があきれるのも無理はない。……認めたくはないが、彼女の言い分は一理あるのだろう。
数秒、そんなことを考えていた。
ふと気がついた。召喚されていた猫の姿が消えている。デザイアを維持するための魔力がなくなったからだろうか。もはや抵抗する気はないのだろう。
「杖を……」
とはいえ、一応は武器だ。彼女にはまた聞かなければならないことが多くあるわけだし、話を円滑に進めるためにも、没収した方がいいだろう。
そう思い、空骸に近づいた————が、
「——そこまでだ」
真横から〝男〟の声がした。
足音も、近づく気配も感じられなかった。
ぞわり、と全身が逆立つような低い声と共に、わたしの右側頭部に〝枝〟が突きつけられた。それがわたしの身体を貫き、たった今わたしが回収しようとしていたのと同じものと——杖だと理解する。そして自分が、その杖を用いる存在——〝魔術師〟に脅されている状態なのだとも。
「
……不覚だった。
共犯者がいる可能性は多少考えていた。しかし、勝利がほぼ確定したこの状況で出てこない以上、ここには来ないと内心高を括っていた。完全な油断……彼からすれば、さぞ隙だらけに見えただろう。
男が撃つことに躊躇するような性格には思えない。わたしが少しでも動けば、即座に頭を吹き飛ばす——魔術師としての実力はわからないが、そう思わせるだけの不気味な迫力が、先ほどからひしひしと伝わってきた。
ここまできて、万事休す、だというのか。
身動きのとれないもどかしさに、悔しさが募る。しかし——
「——というのは、俺が言うべき言葉ではないようだ」
なぜか男はそう言って、杖をゆっくりと降ろした。
そのままわたしから数歩離れて、体育館の入り口を見る。
「…………?」
不可解な行動。
何が何だかわからないまま、わたしも同じ場所を向き——そして、納得する。
「——そうね。既に〈攻撃禁止〉してるから」
「遅くなってすまない、帷ちゃん」
視界に映ったのは二人の影。
わたしの良く知る〝姉妹〟。
混乱に次ぐ混乱だったが、〝策〟は繋がったようだ。
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