◇12 前編

◇12


 日が完全に落ちた今では、体育館の中は暗く、果てしない闇黒空間にさえ思えた。

 館内に入り、右手を壁に這わせながら、手探りで歩いていく。

 そう進む中で、急にひんやりとした感触がした。

 金属製の出っ張り……取っ手だろうか。たしか、体育倉庫……ボールやマット等が収納されたスペースが体育館にはあったはずだ。その扉かもしれない。倉庫の中に隠れてしばらくやり過ごす、という手もあるが、もしバレれば逃げ場がなくなる。いや、ここしか部屋的なものが無い以上、真っ先に入られる可能性の方が高い、そうなれば最短で詰みだ。

 空骸がわたしの居場所に気づくのは時間の問題だろう。だったら下手に隠れるより、見つかった際に万全の状態で迎え撃てるようにする、というのも一つの手かもしれない。

「なんにせよ〝罠〟は、大した効果はなさそうですね……」

 廊下で彼女と話す直前に仕掛けた〝罠〟。

 肩を撃たれて柱に隠れている最中に、傷口の〝血〟を柱に塗っておいた。

 降伏したように見せかけて、柱を爆破し、敵が驚いた隙をついて逃げる——血を見た時に思いついた作戦だったものの、なんとかここまで移動することができた。

 爆破が大きすぎて学校全壊、みたいなことになったら……と危惧したが、思ったよりも柱が頑丈だったので、想定ほどの崩壊には至らなかった。できれば空骸にダメージを与えたかったが、かなりの粉塵が舞ったせいで、相手の様子を視認することができなかった。とりあえず、すぐに追ってくることはない、と信じるしかないだろう。

 とにかく、時間を稼がないと。

 〝罠〟を使った以上、残った手段は〝策〟の方、だけだが————————『にゃあおん』。


「…………え?」

 なんだ?

 何か、の……音?

 いや、鳴き声、か?

「どこから————ひっ!」

 予想外の感覚を下半身に覚え、悲鳴が漏れた。

 〝何か〟が——柔らかい〝何か〟が、わたしの足元に絡みついている。

 それはしきりに股をくぐりながら、全方向から脛を撫でているようだ。おびただしいほどの細い毛先の感触が、ちくちくとジャージ越しに伝わってきた。


『にゃあ』

『みぃあん』

『うにゃあんむ』

『にぃぃぃん』

『まぁぁぅんぅう』


 加えて、絶え間なく響く、謎の鳴き声。

「…………」

 暗さのせいで、正体がわからない。それが余計に不快感と恐怖感を押し上げる。

「この——」剣鉈の先を自分の真下へ向けた。

 そのまま勢いよく、そこへ向かって下ろす——が。

 刃の先に突き刺した手ごたえは感じない。

 攻撃の寸前、足元を這いまわる〝何か〟は素早く身体を登り、背中に張り付いたのだ。

 そして。

『ふしゃぁっ!』

「ぃ————ッ⁉」

 背骨の周りに衝撃が——尖ったものが〝食い込む〟ような激痛が走った。

『はぅぐぅ、むぅぐ、ぐぎぃぅっ』

 ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、と。

 数度の刺突。

 その痛みと重みが、身体を苛んでいる。

「痛————やめ————ぅ————ぁ」

 血が噴き出る。

 なんとか振りほどこうとするが、〝何か〟がまったく離れる気配はない。

 まるで打ち込まれた釘のように、背面に固定されていたからだ。

「つ……突き……」

 依然として何が起きているのかわからないが、とにかく反撃しなければ。

「……〈突き……刺せ〉」

 出血しているなら、〝首無し共〟を全滅させた時と同じ手が使える。

 そう考え、背中の血に〝命じた〟。

 しかし。


「戻れ」


 攻撃の瞬間、声と共に、しがみついていたものが即座に離れた。

 傷口から突き出た血の槍が、無情にも空を穿つ。

 身体が急に軽くなり、少しよろめいた途端。

 視界全体が光に侵された。

 今まで見ていた黒の世界とは対称的な、眩い白。

 視界が慣れて、体育館の照明が点灯したのだと理解する。

 そして、わたしの目の前には——、

「……〝デザイア〟まで出させるなんて、ちょっとナめてた、かも」

 空骸黑が、不機嫌そうに立っていた。

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