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——などと、余裕の足取りで登校していたのもつかの間、わたしは現在進行形で、遅刻の危機に瀕していた。
登校途中、図らずも回避不可能な〝トラブル〟に遭遇してしまい、その対処には少なくとも30分以上の時間を消費するだろうと思われたからである。
……まずい。
ただでさえ髪の色のせいで、学年主任や風紀委員によく思われてないのだ(地毛なので向こうも強く言えないようだが)。転校した直後の時期に大遅刻なんてした日には、さらなる心証の悪化は避けられないだろう。
「あの、邪魔なんですけど」
などと悪態をついてみるが、もちろん〝こいつら〟に対して、人間側の主張なんてものが通るとはまったく思っていない。
大きくため息をついてから、目の前の〝トラブル〟を観察する。
それの体長は2mほど、細身の人型、黒いロングコートのようなものを纏っている。
ここまでなら、単に身長が高い人間というだけ。
問題は、その服を着ている者の正体だ。
それには、本来あるはずの首から上の部分、顔と呼ばれるものが〝なかった〟。
ただし、切断された様子はない。相手が若干前かがみだったため、グロテスクなものを見せられるのではと思ったが、首の断面と思しき部分はつるりとした皮膚で覆われており、まるで最初から、この人型には首が用意されていないようだった。
喩えるなら、服屋で商品を着せられ、ディスプレイされている人形だ。
その人形が、道の真ん中でコートを揺らめかせながら、わたしと対峙している。
途中、何人かの人間が近くを通り過ぎたが、誰一人としてこの黒コートに目を向ける者はいなかった。
まるで、存在を知覚していないかのように。
つまるところこれは——。
「——
化心。
肥大した人間の心が独立し、形を得たもの、言わば感情の怪物ともいうべき存在。
普通の人間には見えないこの異形は、しかしたしかに存在し、場合によっては、現実世界に害をなすこともある。
これを退治するのが、わたしが所属する便利屋、ハートキャッチの仕事だった。
半年前、ハートキャッチの所長である葵さんに拾われた日から、わたし自身多くの化心と戦ってきたわけで、だからこの場合も、さっさと殺してしまえばいいのだけれども……。
黒コートの化心は、依然として何をするでもなく立っている。
なんとなく、その出で立ちに違和感を覚え——そのせいだろうか、こちらから攻めにいくことが躊躇われた。
「できることなら、もうちょっと暇なときに来て欲しかったんですけどね。放課後とか——」
とりあえず、ひとつ文句を言ってやろうと思った瞬間、
黒い影が動いた。
両腕にはナイフが握られている。
わたしは身体をひねってそれを躱し、走り出した。
振り向くと、黒コートの化心はナイフを低く持ちながら、後方にぴったりとついていた。
——わたしを狙っている?
違和感の正体に気づき、走る速度をさらに上げる。
本来化心は、本体となる人間の欲望を叶えようとする習性がある。特定の個人に恨みを持った人間が化心を生み出せば、その対象を襲いにいく、というように。
だからこそ、専門家が化心を狩る際には、まずその注意をこちらに向ける必要があるのだが……。
どういうわけか、この化心は最初から狙いをこちらに定めているようであり、通行人に目を向ける様子はなかった(目は無いだろう? それはそうだけど!)。もしかしなくても、化心の目的はわたしらしい。
何故なのか——は、今考えることじゃない。
むしろ、向こうから追いかけてくるのなら好都合だ。
細い路地へと入り、振り返って、化心と対峙する。
「ここなら、誰にも見られませんよね」
わたしは周囲をちらと見て、人がいないことを確認してから、持っていたバッグを地面に下ろし、中から武器——剣鉈を取り出した。
風紀委員が卒倒するレベルの刃渡りを有した、わたしの愛用武器。
その切っ先を、斬るべき敵に向ける。
「————」
何も言わず、ただ構える。
先に動いたのは化心だった。
姿勢を低く保ちながら、敵はわたし目掛けて突っ込んできた。
細い道に誘い込んだのは正解だった。
敵の攻撃を、直線的なものに限定できたからだ。
ナイフと剣鉈がぶつかり合う。
耳障りな金属音が、閑静な住宅街に響いた。
しかし、それ以上、剣戟が続くことはない。
最初の一撃で、化心の腕を弾き、返す刀でその胴体を突き刺した。
コートを纏った肉体が強張るのを感じるが、足を踏み込んで、より深く刃を侵入させる。
しばらく抵抗していた化心だったが、やがて体全体の力が抜け、完全に脱力した。
剣鉈を引き抜くと、肉体は霧散し、跡形もなくなった。
どうやら、無事に殺せたらしい。
…………。
まぁ、別にいいんだけど……。
「めちゃくちゃ弱い……」
とりあえず、始業には普通に間に合いそうだ。
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