◇9
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——色々考えたけど、やっぱり、器の中に入れるのが良いと思いました。
——乙女の肌を傷つけるのは、本意ではないですが。
——後のことは娘たちに任せます。まぁ、いないよりはマシでしょう。
——使い所があるかはわかりませんが、その時までせいぜい生き残ってくださいね。
——■■。
「——やあ、目覚めたかい。お姫様」
目が覚めた時、わたしはハートキャッチの事務所のソファーで横になっていた。
顔を傾けると、葵さんがコーヒーに口をつけているのが見えた。
「葵さん……わたし……どうなったんですか……」
「化心と共に火達磨になったんだ。やれやれ、君は本当に無茶をするね。黒焦げの身体が崩れないように運ぶのは大変だったんだよ?」
「……すみません。でも、葵さんの教えを思い出したんです。『相手の力と技を観察する』『時に勝利のために身を捨てる』っていうの。それを思い出したら、あんな感じになっちゃいました」
「そんなこと教えたかな? 私はむしろ『いのちだいじに』のスタイルだけど」
「あれ? 葵さんじゃなかったですか?」
「前にテレビでやってたハリウッド映画の台詞じゃない?」
「——あー、なんかそんな感じがしてきました。……あの、すみません、忘れてください」
「忘れるけど、身を捨てるのは感心しないから、以後はやめてね」
「はい……」
怒られてしまった。
あと、どこの誰が言ったかわからないセリフを師と仰いでいたの、普通に恥ずかしい。
気まずいので話題を変える。
「……えーと、でも、よく場所がわかりましたね」
「スマホの位置共有が消えたからね。最後にいた地点を探したら、あの倉庫だった。場所の選択は悪くないけど、次はちゃんと連絡しなきゃダメだ」
「はい、ごめんなさい……」
また怒られてしまった。
まぁ、今回は失敗しまくりだったので、仕方がないけども。
「そうだ、化心はどうなりました? 長田さんは?」
「蝶は消滅したよ。イルカの方は死体が残ったから、魔女に回収させた。長田はずっと寝ていたので、元の場所に戻しておいた。あの様子なら、記憶をいじる必要もないだろう」
「…………中沢さんは?」
「とんでもない高熱が出たようで、病院に運ばれた。医者曰く〝焼けたように身体が熱かった〟ってさ」
「…………」
「もちろん今となっては、命に別状はない。ただの〝シンパシー〟さ。化心が死ねば、死因に応じた同調反応があるってだけの話。ほら、君も傷ついたわけだし、これでおあいこだろ」
葵さんは「文字通り、お灸をすえられたってわけだ」と言いながら、二杯目のコーヒーをカップに注いでいた。普通に腕を動かしているので、小渕の方も問題ないのだろう。
なんとも不格好だが、一件落着という形ではある。
だから、この件はこれでおしまい。
おしまいではあるが、それでも、解消したいことはある。
身体を起こして、葵さんと向き合う。
「葵さん、褒められるって、そんなにいいものなんですか?」
「なんだい急に」
「戦いの中で、わたしは化心の正体に触れました。あの化心の根底にあったのは、闘争心というよりはむしろ〝褒められたい〟という願望だったんです。多分それは、中沢さんも小渕さんも同じで……だから、混ざったんじゃないかって」
「なるほど、承認欲求か。さしずめ、相手に自分を認めさせたいという願いが、動きを封じて屈服させたいという呪いへと変貌したということかな。動機に関しては、私の推理は外れたというわけだ」
「その感情、小渕さんの場合なら理解できるんです。でも中沢さんの場合は、長田さんどころか、日本中からも称賛されていて……それでも、彼にとっては足りなかった。葵さん、評価というのは、それほど求めてしまうくらい、魅力的なものなんでしょうか?」
葵さんはわたしの言葉を受けると、ほう、と呟き、そして、カップのコーヒーを全て飲み干した。
「私もついぞ母親に褒められたことなんてなかったから、それがどんなものか実感はないけどね。私が思うに、承認欲求というのは、人間が〝成し遂げる〟ために作られたシステムなんじゃないかな」
「成し遂げる?」
「評価されたいという気持ちが、何かを作るきっかけや、偉業を達成する原動力になるってことさ。その気持ちに果てがないことで、人はより先の段階へと進もうとする。そういう意味では、人間がここまでの文明を得たのも、承認欲求の賜物といえるかもね」
「それは一理あると思いますけど、正当に評価されていた中沢さんでさえ、そうだったということですか?」
「いいや、中沢の場合は少し特殊かもしれない」
「特殊?」
「君の話を聞いた限りでは、彼の場合、自らを相当に抑圧していたらしいから、もしかすると、自分が他者に称えられていたという自覚がない可能性すらある。足りないというよりは、0だと思い込んでいたのかも。『自分でさえ満足していないのに、人に褒められるわけがない』という具合に。——うん、禁欲的すぎるというのも、考え物だね」
「そんな——」
まさか、という言葉を飲み込む。
確かに、中沢の言葉や行動にはストイックな部分が見られた。最初は、それをアスリート故の意識の高さだと思い込んでいた。
自己評価と他者評価が乖離することはあるだろう。しかしそれは、自分の努力や成果が、他人には低く見られてしまうというケースがほとんどのはずだ。
中沢はその逆かもしれないと、葵さんは言った。
正直言って想像できなかった。
果たして、自分のことをまったく認められない人間にとっては、他者の言葉はどんな風に聞こえるのだろう。
たとえば長田に「魚みたいだ」と言われたとき、彼はどんな感情を抱いたのか。
わたしには、それは複雑な問いに思えて、答えを出すことはできなかった。
もっと化心を殺せば、いずれは理解できるのかもしれないが。
「中沢さんは、今のままでいる限り、また化心を生み出してしまうのでしょうか?」
「君は剥き出しの心に触れたんだろ? なら、彼も少しは学んだはずだ。幸いにもそばには、全肯定してくれる恋人もいるわけだし。以前よりはマシな感性になるだろう」
「……そうですか」
いろいろと聞いたが、結局、小渕の感情も、中沢の感情も、理解はしたものの、共感したわけではなかった。
しかし、否定はできない。葵さんの言うように、その気持ちは多くの人が当たり前に有しているものだし、日々の営みのためには必要なものなのだろう。
化心は害だが、構成する感情までもが悪とは限らないと、わたしは知った。
——そういうわけで、ちょっとばかり、自分の知らない感情を味わってみたくなった。
「……葵さん。今回、わたし、その、頑張りました……か?」
「ん?」
「いや、その、やっぱり、火あぶりになるのって、結構熱かったし、なんならちょっと怖かったかな、みたいな? あっ、実は今回の化心って、今まで出会った中で比べても、結構強かったんですよ。そもそも化心じゃなかったし、倒すのは苦労したというか」
「そうだね、まだ疲れが残っているのなら、寝てていいよ」
「あぅ」
葵さんの返答は、わざとなのか、鈍感なのか(多分後者だろうけど)、とにかく自分の求めているものではなかった。
がっくりと下を向く。
——いや、違うな。
言わなきゃダメなんだ。
倉庫で、抱きしめる前に自分が言ったことを思い出した。
そうだ、説教をするのなら、まずは自らが実践しないと。
「——葵さん、褒めてください」
姿勢を正して、頭を突き出した。
なんにせよ、ここまで図々しくやれば、この人もどうすればいいかくらいはわかるだろう。
目線だけ動かして、ちらと様子を窺う。
そこには、目を見開いて戸惑っている葵さんがいた。そんな表情をしたのは見たことがなかったので、わたしもなんだかおかしい気持ちを抑えるのに必死だった。
しばらくしてから、彼女は観念したような様子で、右手をわたしの頭にのせると、くしゃっとひと回ししてから「頑張ったね、えらいよ」と言った。
「————」
「これでいいかい? 人の頭を撫でたことなんてないから、勝手がわからないんだ」
葵さんが困ったような顔で笑う。
……なるほど。
これが、褒められるってことなのか。
なかなか、悪くない。
燃えそうなくらい頬が熱くなる。
でも、不快じゃない。
今回の事件、大変な目には合ったけども、これを知れただけでも収穫だ。
織草帷は、半年前に生まれた。
わたしは、まだ何も知らない。
自分の定義も、好きな食べ物も、感情の機微も。
でも、知らないのなら、学べばいい。
ハートキャッチは、その名の通り、心を得るための場所なのだから。
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