◇19

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「しかし……あれだな、あの〝ポーチ〟……試作品だけど、上手くいって良かったな!」

「…………」

「〝人間一人〟を収納するなんてのは、今までやったことなかったから、最初は『無理じゃねぇか?』と思ったけどよ、案外なんとかなるもんだな」

「…………」

「ま、内側からこじ開けるために、デザイアで中から吹っ飛ばさなきゃいけないってのが、考えもんだが……調整次第では、そこもなんとかできそう——なぁ、もしかして、怒ってんのか?」

「……ひゃよ」

「悪かったとは思ってるぜ、俺だって。つってもポーチ作戦は最後の案で、他の二個が潰された際の保険だったわけだし……あ、でも最初の瓦礫で仕留められなかったのは俺の責任か……?」

「ひひゃ、ふぉうゆうわへ——」

「そりゃあ、まぁ、無傷でなんとかするのがベスト、そんなのはわかってるさ。でも即席のコンビで、アドリブの作戦で、ぶっつけ本番で、俺だって身体は張ってるわけで……何が言いたいかっつーと……そう! ここはお互いに健闘を称えて……」

「別に怒ってないですから、誤解しないでください」

「うお、びっくりした」

「さっきまでうまく喋れなかっただけで……ようやく歯が生えてきた……」

 自分の顔をあちこち触って確認する。ボロボロの床に頭から突っ込んだせいで、一時的に顔の表面と歯を思いきり損傷(そう、さながらおろし器で擦れられた大根のように……)していたのだが、まずはちゃんと治っているようで安心した。

 同時に……無くなっていたはずの右目の辺りも、しっかりと〝補填〟されているのがわかった。

「……心術の呪いは、解けたみたいですね」

「ああ。俺の身体も元通りだ」七凪も自分の身体をあちこち触りながら、ふぅとため息をつく。「ったく、今回はマジでヤバかった……腕が千切れた時は終わったかと」

「千切れたこと、ないんですか」

「あってたまるか!」

「わたしは……よくありますけど」

「みんながみんなお前みたいに戦えねぇんだよ。……つーか、お前も慣れるな、こんなもん」さっきとは違うトーンの、より深いため息を、七凪はついた。

「……そういえば、これ、どうしますか」わたしは手に持っていた(ほぼ)なんでも入るポーチを七凪に見せた。今となっては内側から破裂したように破れ、もともとはピンクの花柄模様があしらわれていた生地も、わたしの血が付着して、赤黒い(というかほぼ黒く)ボロきれと化していた。

「ここまでなったら、流石に使えねぇな。捨てとく」

「……すみません」

「別にいいさ、新しく作ればな」そう言って、七凪がわたしの手からポーチを受け取った。

 床の穴に飛び込む直前、最後の策として用意していたのが、この魔術道具ウィッチクラフト——七凪から借りた、なんでも入るポーチにわたしの血を染み込ませ、ポーチそのものを操作できるようにしていた。化心の巨大な腕が迫ってきた時、ポーチに〝わたし自身〟の〝収納と運搬〟を命じたことで、ギリギリで難を逃れ、化心の背後で隙を伺うことができた。その後については、先の通り——七凪に注意を向けさせ、勝利を確信し油断したところで、彼の能力を発現させ、ポーチから飛び出したわたしがとどめを刺した、というわけだ。仕留めそこなった場合の二重、三重に用意しておいた囮作戦は、功を奏したといえる。

「んで、それよりも……だ」おもむろに七凪が歩み始めた。

 彼の視線と歩む先は、先ほどまで化心がいた場所だった。首を落とされた化心は既に、その身体を完全に霧散させ(長い断末魔の末に)消滅していた。今となってはもう、無数の手形でへこんだ床や壁の跡以外、それが存在していた形跡はなかった。

 ……否、形跡というならば、建物の損傷以外に〝残ったもの〟があった。

 廊下に横たわる……〝人間たち〟。

 ざっと二十人弱程度の若い男女。そのどれもが……事前に閲覧した資料で見覚えのある顔だった。間違いなく、化心によって〝消された〟人たちだ。

「気を失っているが……生きてるな」近くにいた男の手首を掴み、口に自分の手をかざしながら、七凪が言う。

「そうみたいですね。この人も無事です」わたしも倒れている女の元にかけより、安否を確認する。確か動画投稿を生業としている人物で……消息不明になったのは。一ヶ月ほど前だったと思う。しかし、その身体つきは——たとえば、何も口にしていないせいで餓死寸前であるとか、そういう様子はなく——健康そのもの。まるで、消されたその日から、時間が止まっていたかのようだ。

 その後も手分けして、倒れている人たちを診て回った。

 同じように、オカルト系雑誌の記者も、学生のグループも……そして、

「おーい! ドットいたぜ! 本物だ! あんまりオーラはねぇな、はは!」

 今回依頼されていた、五カッケー団メンバーの一人である青年も、完全に元の状態で、この世に存在しているのを確認できた。

 ……今回の事件で、死んだ人間はいなかった。

「……良かった」

 自然と、本心から、そんな言葉が出た。

「……だな」

 七凪もホッとしたような顔で、足を延ばしてその場に座る。

「お前が最初に言った通りだったな。消されても、死ぬわけじゃなかった」

「…………」

 七凪の言葉を聞いて。

 わたしの中に、とある〝考え〟が芽生えようとしていた。

 考えそのものは……化心によって、わたしの右目が消し飛んだ時に『もしかしたら』という予感めいたものとしてあったのだが、この状況を見ると……それはほとんど確信したと言えるほどのものになっていた。

「もしかしたら……〝消滅〟じゃなかったのかも」

「ん?」

「化心の攻撃で削られた部位ですけど、その……〝治癒〟しなかったんです。最初は心術の呪いのせいなのかと……そういうケースは結構ありましたから。でも今は、そもそもわたしの顔は、〝傷ついてなかった〟んじゃないかって、そう思ったんです」

「……どういう意味だ?」

「心術を受けた後、一度だけ、左目を瞑ったんです。その時に……ぼんやりと、見えたものがあって」

 左目を塞いで見えたもの。

 言い換えれば、わたしの右目に映ったもの。

 さらに言い換えれば、あの時だけは、この世に存在していなかった目で見えたもの。

 ならば——こそ。

 その視界で捕えていたものが〝この世に存在していないもの〟なのは……道理かもしれない。

 絢爛なシャンデリア、深く礼をするスタッフ、清掃の行き届いた廊下、彩り豊かな料理……それらの〝もてなし〟に歓ぶ人たち。

 もし、走馬灯というものを見るとしたら、きっとこういう感じなのだろう、と思うような、瞬間ごとに切り替わる光景。

 だが、たとえ一瞬だったとしても、わたしの記憶の中に心当たりが無かったものだとしても、こんなものを見せられれば、流石に察しはつく。

 きっと、その景色こそは——〝このホテル〟の〝在りし日〟の姿だ。

「〝視えた中〟にいた人たちは、一瞬ですけど、今回の被害者と同じ姿に見えました。もし同一人物なのだとしたら……彼らはおそらくお客様〟として——あの〝世界〟に〝移動〟させられていたのかもしれません」

「移動……?」

「えっと、要は化心の手に触れたものが、あの化心の作った空間というか……そういう場所に転移していたんだと思います。完全に連れていかれた人間はその〝ホテル風異空間〟に囚われ続ける……的な」

「俺たちがヤツの手に触れた時、削られていたんじゃなくて、その部分だけヤツの世界に飛ばされていただけ……。こっちの世界では消えたみたいに見えてても、実際身体は無事だったから、痛みは感じなかった……ってことか」

「はい。……化心がもういない以上、想像の域を出ませんが」

 化心は本体となる人間の強い感情——欲望を叶えるために行動する。そして心術は、目的を遂行するための歪んだ手段だ。

 かつて破滅し、とっくに壊滅した心宮グランドホテル。

 もしこのホテルに〝執念〟や〝未練〟のようなものが残っていたとして、その思いが形となるほどに強かったとしたら……そこから生じた化心は、果たして何をするだろうか?

 あの光景は、問いの答えになるような気がする。

 だとすれば自ずと、本体の正体にも……辿り着く。

「あの化心は単に……〝もてなしたかった〟んだと思います。わたしたちを入念に追うのも、きっと、一人一人、誰も手放したくないという思いの表れだった。だから」

「でも、やったことは〝悪〟だ」七凪がわたしを遮って言う。「たとえ消された人たちが、

 ここですごくいい気持ちになってたとしても、ずっと閉じ込めるのは……死んでるのと同じだろ」

「……はい」

 ホテルは、仮の住まいだ。

 やって来る人間は客であっても、住人じゃない。

 たとえ肥大した感情が〝善意〟によるものだとしても、彼らに帰るべき場所があるのなら、それを無視してずっと住まわせることは、やはりしてはならないのだ。

 ……故に、こそ。

 ここに来てようやく、わたしの中で一つの答えが、出たような気がする。

「やっぱり、許せないです。魔術師のこと」

「え、俺?」

「いや七凪さんじゃなくて……ああごめんなさい、その……斐上と空骸、わたしたちが追ってる二人組のことです」

「化心を全部消すって言ってた奴らだっけか。本当にそんなことができるなら、そりゃ、いい話だけどさ」

「二人がここで何をしたかはわかりません。でも、彼らが来なければ、化心は生まれなかったし、化心による被害は出なかったんだと思うんです」

「…………」

「今回は誰も死にませんでした。でもこの先、〝崇高な理念〟を叶える過程で、取り返しのつかない犠牲が出てくるかもしれません。わたしはそれを見過ごせないし、もし彼らの唱える世界が作られてしまったとして、そこはきっと……〝碌なものじゃない〟と……そんな予感がするんです」

 根拠はない。

 言ってしまえばわたしの強い思い込みだ。

 それこそ葵さん辺りには『過去の犠牲と代償、それらの反省なくしてより良い世界は無いよ』と一蹴されるかもしれない。

 だとしても……それとこれとは〝違う〟という、妙な確信がある。

 わたしの中にあるもう一人の存在、織草筺花——花の巫女はかつて、最強の言霊によって化心を葬ったという。

 しかし、世界に干渉するほどの力を持つ彼女でさえ、化心というシステムそのものを変革することはなかった。

 きっとそれには〝理由〟があるのだ。

 そしてその〝理由〟は、魔術師たちの企みを止めなければならない〝理由〟に繋がる……ような気がする。

 やっぱり、根拠はないけども。

「正直に言えば、迷ってたところはありました。彼らの方が正しいのかもしれないって」

 かつて、クラスメイトの化心がわたしを殺しに来たのは、正統な怒りなのかもしれない。

 心のどこかで、そう思っていた部分はあった。

 でも、今は違う。

 善意でも悪意でも、直接でも間接でも、人間の感情を利用し、刺激して、誰かを脅かそうとする行為が、正しいはずがない。

「わたし、戦います」剣鉈を握りしめて決意を固める。「もっと強くなって、化心もたくさん倒して……斐上と空骸を、止めます」

「よくわかんねーが……吹っ切れた、ってことか?」

「すみません、急にこんなこと……変なこと言っちゃって」

「ま、近いヤツには言いづらいもんだよな」

 七凪が立ち上がって、わたしの背を押した。

「フォルテは、いつも先のことを考えていた。先に起きることを予測して、それ用にピンポイントで魔術道具の準備とかしててな……もしかしたら本当に、未来が見えていたのかも、って思うくらいだった」

「お店で占いとか、してましたもんね」

「なんかやってたらしいな……? とにかく、俺がここに来ることは、アイツにとってはたぶん〝予想通り〟なんだろうなってことだ」

「…………」

「そんで俺が……『お前を手伝いたい』って思うのもな」

「……それって」

「俺が心宮に来れば、お前のことを放っておかないだろうっていうのを、全部織り込み済みで、アイツはどっかに行っちまったのかもしれねぇってことだ。心の中を読まれてるみたいで、ちょっとシャクだけどさ」

「いいんですか?」

「いいっていうか、元々協力させるつもりだったんじゃねーのか? だから声をかけて来たもんだと」

「……あー、そう、ですねー」

「なんではっきりしないんだよ」

 まさか疑いを晴らすためだったとも言えないので、答えに窮してしまった。

 ただし、もう彼については、実力も含めて信頼に足る者だという結論は、とっくに出ている。

 ……今日だけで、何度も助けてもらったわけだし。

「うし、帰ろうぜ。こいつらも元の場所に返してやらねーと。結構かかりそうだな……」

 七凪が近くにいた男を背負って、移動し始めた。

 わたしも一緒に運ばなければならないが、七凪のような力と体格が無い以上、彼のようにはできない。

 とりあえず、体重の軽そうな人間から引きずるか、と考えたところで——。

「やべぇ!」七凪が急に叫んだ。

「どうしましたか?」あまりにも唐突だったので、わたしの身体がほんの少しだけ跳ねたが、あくまで平静を装って聞く。

「俺たち、出られねぇんだった、二階がループしてるから」

「あっ……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」




 その後、わたしたちは二階の階段の壁や床を数十センチごとにしらみつぶしに叩いたりして調べながら、抜けられそうな〝隙間〟と〝魔術の発生源〟を発見し、そこを突破口にしてなんとか脱出することができた……。

 そして。事の顛末を書き記した報告書を読んだ葵さんは『ゲームのデバッグ作業みたいだね』と呆れたように笑っていた。

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