◇7 前編

◇7


「織草、ちょっといいか?」

 翌日、学校の廊下にて。

 つつがなく一日が終わり、さて葵さんに昨日のことをどう伝えるべきか、なんてことを考えていると、声をかけられた。

 相手は、クラスの担任だった。若くはないが、保健体育を担当しているだけあって体格が良く、近づかれると多少の威圧感がある。

「仲町を見ていないか?」

「仲町さん? いえ……」

「そうか……文化祭関係で読んで欲しいものがあったんだが」

 彼は持っていた数枚の書類をわたしに見せて、困ったような顔をしていた。

 そういえば、仲町は文化祭の実行委員だったか。たしか「おもしろそう!」と言いながら立候補していたような。まぁ、彼女はありとあらゆることに首を突っ込みたがるので、特定の役職というものに意味は無さそうだけども。

「俺はこれから職員会議があってな。悪いが、仲町を見つけたら渡しておいてくれ」

「わたしがですか?」

「友達だろ、お前ら」

「そう……ですかね?」

「なんだそりゃ。ま、とにかく任せた」

 そう言って担任は半ば強引に書類を押し付けて、さっさと行ってしまった。

 ぽつん、と、廊下に取り残される。

「仲町さんとわたしが」

 友達。

 少なくとも、あの担任にはそう見えていたようだ。

「……」

 なんでもない言葉のはずなのに、それが自分に関係した途端、むず痒い感覚になる。

 自分の傷に触れた時とは違う、背筋を柔らかいもので包まれるような、そんな感覚だった。

 思い返せば、転校してから、仲町とは大体一緒にいたような気がする。

 いきなり声をかけてきて。

 頼んでもいないのに校舎を隅々まで案内してくれて。

 一緒に昼食を食べてくれて。

 集団に慣れていないわたしを気遣ってくれた。

 〝織草帷〟に、関わってくれた。

 もしそれが、偽善や打算を含んでいないものなのだとしたら。

 わたしと仲町の関係は——。

「……そうだったら、いいかも」

 浅く息が漏れる。

 口元が吊り上がりそうになって、手に力が入る。

 くしゃ、と紙の音がして、我に返った。

「そうだ、書類……」

 仲町に渡さなければ。

 そう思って歩き始めた時。

「……あれ?」

 周囲の景色に、違和感を覚えた。

 終業の号令をしてから、まだそこまで時間は経っていない。普段なら、廊下で雑談している生徒や、活動中の文化部の生徒がいるはずだ。それなのに、廊下には自分以外誰もいなかった。

 しん、と静けさが空間を支配する。

「みんな帰った……?」

 そんなまさか。

 早足で歩き始める。

 いくつかの教室の前を通り、階段を下るが、案の定というか、人の姿は見られない。そのことがひどく不気味に思えて、言いようのない不安感が募る。

『ま、せいぜい気を付けなさい。学校内で出会っちゃったら、私たちは助けられないかもだから』

 椛さんの言葉がよぎる。

「もしかして、化心……?」

 化心が用いる心術の中には、対象に幻覚を見せるものもある、と聞いたことがある。

 わたしは知らず知らずのうちに化心に遭ってしまい、攻撃を受けた……のか。

 もしそうだとすれば事態は最悪だが、まだ確証はない。

 疑念を抱えたまま、わたしの足は職員室で止まった。

 全身が強張る。

 書類を渡してきた担任は、職員会議に出ると言っていた。つまり部屋の中を覗いた時、そこで教師たちが話し合っていれば、わたしの心配は取り越し苦労ということになる。

 身を屈めて扉に触れる。

 覚悟を決めて扉をスライドさせようとした時——。

「——織草さん?」

 後方から、泉侑里の声がした。

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