◇1
◇1
「ただいま帰りまし——うわぁ」
仕事を終えて、報告のためにハートキャッチへ戻ったわたしを出迎えていたのは、いつもの二人の——葵さんと椛さんの、いつもとは少し違った姿だった。
「おかえり、帷ちゃん。お疲れだったね」
「おぅあえいぃちょありぃぃぃ~」
「……なんて?」
正確に言えば、違っていたのは椛さんだけだったが……。
缶、瓶、徳利。
ビール、ウイスキー、ワイン、カクテル、日本酒、その他いろいろ……。
事務所の中央、デスクの上に所狭しとばかりに並べられた〝酒類〟を見て、概ねの事情を察する。どうやらこの二人、わたしがせっせと外で働いている最中、酒盛りに興じていたようだ。だからといって、別にそれを殊更に非難するつもりもないけど。
「おぅおぅおぅ、お帰りですよ我らが姫がぁ」椛さんがソファーの端に寄って、それまで自分が占めていた部分をばんばんと叩いた。
「さぁさぁ、こちらにどーぞどーぞ。座ってお休みなさいなぁ~」
「わたし帰りますよ? ここに寄ったのも荷物置きに来ただけで」
「どーぞどーぞ~」
「全然聞いてない……」
「それとも——この私からの厚意を無碍にするつもり? 私、偉いんだけど」
「情緒どうなってるんですか?」
「言う通りにしてあげた方がいいよ。酔っている椛に拗ねられると厄介だからね」
缶ビールを傾けながら、葵さんが説き勧める。
「ほらほら~」と満面の笑みで両手を広げ、待ち構える姿勢の椛さん。
なるほど葵さんの言う通り、立っているのを〝禁止〟されるのも困るので、一旦おとなしく従うことにした。
「今日はどうだった?」
「葵さんの見立て通りでした。依頼人の元交際相手……えっと、そもそも付き合ってなかったんでしたっけ。とにかく、その人が本体の化心が出現しましたが、直後に退治しました。誰にも見られていないので、後処理は不要です」
「どんな姿?」
「大きさはわたしの剣鉈くらいで……ネズミの身体でした。ただ、足の部分が戦車のキャタピラみたいになってて……〝移動〟というか〝走行〟してました。心術を使われる前に倒したので、それ以上のことは何も」
「そうかい。なんにせよ化心が消えたなら、依頼されていたストーカー被害についても、これ以上暴走する可能性は低いかな。万が一の場合は、警察への相談を勧めることにしよう」
「それと、帰る途中で化心がいたので、ついでに退治しました。たぶん野生だと思います。見た目は……なんか、ペラペラのカーテンみたいな形でしたけど、特に苦戦はしなかったです」
「へぇ、それは凄いね、今日は大活躍だ」
「……あの、葵さん」
「ん?」
「この状態は、いつまで続くんでしょう……」
首筋に抱き着いたままの椛さんを指さした。
抱き着くというよりは、もはや拘束に近い。椛さんの両腕がわたしの両肩を囲み、両手の指はがっちりと組み合っているので、どうにも抜け出すことができない。「むぅぅ」と呻くような声を出しながら、わたしの首に顔を押し付けており、鼻先と髪が擦れてくすぐったかった(アルコールの臭いとフルーティな香水の香りがせめぎ合っている……僅差で後者の勝ち)。
「もうちょっとすれば、寝落ちするさ」と葵さんは持っている缶を傾けて言った。
「わたしまぁだ飲めうって~~~」
「とのことですが」
「んぉあいにぬぇてあえるんらぁ~」
「なんて?」
「無理するなって言ったんだけどねぇ」
椛さんがテーブルのグラス(綺麗な色の酒……何かのカクテルだろうか)に手を伸ばすが、掴む直前に葵さんがひょいと奪い取る。そのまま中身を飲み干すと、今度は椛さんが残したであろう缶や瓶の中身も次々に〝片付けて〟いた。
しばらくすると、首筋のくすぐったさの原因に椛さんの寝息が追加され始めたので、わたしはいそいそと身体を動かして脱出し、ソファに彼女を寝かしておいた。
「悪いね。仕事が終わって疲れているだろうに、酔っ払いに付き合わせちゃって」
片付けを済ませた葵さんが、給湯室から戻って来た。両手にはマグカップになみなみ注がれたコーヒー、まだ飲むんだ……。
片方のカップをわたしの前に置いてくれたので、いただく。
砂糖もミルクも無いブラックコーヒー。口をつけた瞬間に、舌全体に痺れるような深い苦みが広がった。豆によっては酸味が強いものもあるそうだが、葵さんが淹れてくるものでそれは感じたことはない。きっと好みの問題なのだろう。他の場所でコーヒーを飲んだことがないので、自分がどのタイプが好きなのかはわからない。あえて言うなら、初めて飲んですぐに気に入ったのは、紅茶だった。
「……飲みに誘ってきたのは椛の方なんだよ? 私は『帷ちゃんが働いているのに忍びない』と断ったんだけど、彼女が強引に」
「いや別に責めてませんよ……」
「そうかい? てっきり怒られるかと」
わたしを何だと思ってるんだろうか、この人は。
映画などでは、登場人物たちが酒を持って話す場面が度々出てくる。だから、良くは知らないが、大人にとって酒とはきっと〝そういうもの〟なのだろう。と勝手に推測した。
だから葵さんと椛さんの間にも、流れはどうあれ、何かしらの意図が——何か、姉妹水入らずで積もる話とか——あったのかもしれない。なんなら別にそんなことも無く、ただ飲みたいだけの気分だったのかもしれない。いずれにせよわたしには知るつもりもないし、聞くつもりもなかった。
とはいえ——。
「でも意外でした。葵さん、コーヒー以外は口にしないのかと」
「そんなことは無いよ」いつもより少し大きな声で笑う葵さん。「色々と付き合いがあるからね、酒くらいは嗜むさ。コーヒーの方が遥かに好きというだけ」
「それに、椛さんが弱いのも意外で……それとも、葵さんが強いだけなんですか? わたし、お酒は詳しくないのでわからないですけど」
「帷ちゃんの歳で知るようなものでは無いさ。……ああいや、案外、記憶を失う前は結構ヤンチャしていた可能性もあるか、君」
「……否定はできないですね」
「あっはは!」珍しく大声で笑う葵さん。見ただけではわからないが、実際は彼女もかなり酔いは回っているのかもしれない。いつもがいつもなだけに、なんと言うか……ギャップを感じる。
「まぁたしかに椛はアルコールに弱いね。私が人並み以上なのも本当だけど……まったく、妙な気分だ」
「何がですか?」
「ん? いや……まぁ……なんだろうね、こういうの」
珍しく歯切れが悪い。
織草葵という人物は、良くも悪くも、はっきりした物言いをするタイプだ……と思っている。声色も口調も断定的なので、憶測や多少当てが外れた事項であっても、聞く人にはあたかも論理が通っているように感じさせる……そういう力がある。なんならこのわたしも、その力にコロッと騙された(ある意味では)者の一人と言えなくもない。
なので、そんな彼女がすぐさまに二の句を告げないでいるのを見るのは、初めてだった。
これがアルコールパワーなのか。
恐るべし。
「椛には……小さい頃から、何も勝てなかったからね。頭も、身体も、心術も……彼女の方がうんと出来が良かった」
「そう……なんですか」
「あと人徳も向こうが上だったな、貰ったラブレターの数は私よりも多かった、モテてたなぁ、椛」
「それはどっちもどっちでは……?」普通は数えるほど貰わないと思う、ラブレターは。
「昔はそれこそ……嫉妬して、勝ってやろうと躍起になったりして…………私がだよ? 今考えると信じられないよねぇ……」
「…………」
「多少の努力程度じゃどうにも差は埋まらなくて……こりゃあ駄目だ、どうにもならない、でも仕方ないかと諦めて……」
「…………」
「でも大人になってみたら、なんとびっくり、酒の強さで私は上だった。……勝敗に興味が失せてようやく、唯一の白星がついたんだ」
そう言って再び笑う葵さんだが、声の音量は少し下がっていた。
「ま、こんなものは勝ち負けで測るものじゃないんだけどね、単に体質の問題なんだから。酒に弱いっていうのも、見方によっては飲む量が少なく済む——お金の節約になるともとれるし、それなら私の完敗だ」
「…………葵さん」
「完敗に乾杯だー」
「結構酔ってますね」
やはり恐るべし、アルコールパワー。
その後は明日以降の依頼内容や、高校について少しだけ話して、わたしは席を立った。その時の葵さんはすっかり〝いつも通り〟だったので、わたしも努めて〝いつも通り〟に徹した。
彼女に何かを告げるには、わたしの中に蓄えたものなんかでは、まったく足りないように思えたからだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます