◇3

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 長田の家の前に立ち、インターホンを押すと、おさげの髪で大きな眼鏡をかけた女性が出てきた。長田美月、スマホで確認した顔だったのですぐにわかった。

「ハートキャッチから来ました。えっと、織草帷おりくさとばり、です」

 無意識に名乗ろうと心掛ければ心掛けるほど、ぎこちなさが募る。特に〝織草〟の部分は、未だに違和感が拭えない。嫌ではないが、葵さんと同じ苗字を持つことに、なんともいえない恥ずかしさのようなものがあった。

 長田はわたしの自己紹介を聞くとすぐに、勢いよく手を取ってきて、待ってましたと言いながらぶんぶんと振った。わたしに会った人は大抵、年齢の低さや髪の色を見て怪訝な顔をするのだが、彼女はそういったことはなかった。むしろ「神秘的で信憑性がある」とまで言う始末だった。

「大学時代の友人が、結構オカルト的なものにハマっていた子で、私のことを話したら、ハートキャッチを紹介してくれたんです。『織草の名前はガチだから信頼できる』って」

「ガチ、ですか」

「最初はどうなのかなーホントかなーって思ったけど、いざ連絡してみたら、所長の葵さんでしたっけ? その方が私の身の回りで起きていること、全部当ててきて、もうびっくりして! 『ここしかない!』ってなったんです!」

「なるほど」

「えーっと、あなたも、織草ってことは、所長さんの親族の方なんですよね?」

「……そう、ですね」書類の上では、と付け加えたかったが、やめておいた。せっかくこちらを信用してくれているのだから、余計なことを言って、わざわざ不安にさせることはない。

 それから長田は、最近の自分の不幸話(食べ物にあたり続けているとか、黒猫に取り囲まれたとか)を始めたが、わたしはそれらを一旦制止して、本題である怪我の件について聞いてみた。

「そうなんです! 私の彼氏、櫂くんっていうんですけど、その子が右手の指を骨折しちゃって。利き腕だったから、今はいろいろ手伝いに行ってるんです」

「櫂くん、ですか」

「知りませんか? 中沢櫂、水泳、バタフライの。ニュースにも出てて……あっ、これ誰にも言わないでくださいね! 付き合ってるの、内緒なんです」きゃー、と言いながら、手で顔を抑える長田。心底どうでもいいと思ったが、一応思い出した。葵さんとの世間話の際、新聞で見せてもらったあの男だ。中沢の顔を写真の記憶から掘り起こしながら、目の前の長田を見る。二人が似合っているかは、わからなかった。

「櫂くんはすごいんです! 水の中をすっごく自然に、綺麗に進むんです、スゥー……って!」

「はぁ……」

「水しぶきも全然上がらなくて、私、水泳は詳しいわけじゃないんですけど。でもちょっと前、櫂くんに『魚みたいだね』って言ったら不機嫌になっちゃって、だから結局その夜は——」

「中沢さんが骨折したのは、いつですか?」唐突に彼氏自慢が始まったので、わたしは話を本題に戻すことにした。こういった人間は、多少会話をぶった切るくらいが丁度いい。

「え? あ、はい、一週間前です。というか、その出来事から私の不幸が始まった、って感じですかね」

「知人の方が怪我をされたのは? それも一週間前ですか?」

「知人……ああ、小渕おぶちくんのことですか?」長田は、まるでたった今思い出したかのような口ぶりで、同じく不幸に巻き込まれた知り合いの名前を呼んだ。彼女はいかにも関心がない、というふうに「たしか、櫂くんの怪我よりもかなり前だったと思います。一ヶ月くらい前かな? 詳しいことは、本人に聞かないと」と答えた。

「小渕さんとは、どこで会えますか?」

「近くの病院ですよ。入院して、リハビリしてるらしいです」

 その後も小渕について、聞けるだけの情報を引き出した。長田は不服そうだったが、ついにはある程度答えてくれた。

 どうやら、小渕琉太おぶちりゅうたは中沢と同じく競泳選手であり、中沢に勝るとも劣らない実力を持つライバルだったという。二人は常に競い合っており、ある選手権の場を、お互いに雌雄を決する舞台に決めていた。しかし、小渕は例の〝怪我〟を負ったことで試合に出ることができなくなった。ついには、中沢が記録を出したことで、ライバル同士の勝負は、中沢の勝利ということになったという。「小渕くんがいても櫂くんが勝ってたでしょうけどね!」と長田は最後に付け加えた。

 その後もいろいろな話(主に惚気話)を聞いたが、やはり気になるのは小渕のことだった。葵さんの見立て通りなのか否か、実際に小渕に会ってみる必要がある。

 とはいえ、今は目の前の仕事に集中するしかない。

「長田さん、今日の護衛ですけど」

「は、はい! 実は、今日も、櫂くんの家に行くことになってるんです」

「わかりました、じゃあそこまでお供します。家を出るのは何時くらいになりそうですか? 迎えに行きますけど」

「いえ! と、泊まります、多分!」

「…………あっ。なるほど、ごゆっくり?」

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