◇5

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「葵さん、依頼についての話をしたいのですけどぉ、大丈夫ですかぁ?」

『帷ちゃん、そっちから電話してくるなんて、珍しいじゃないか』

「ホウレンソウは大事だとぉ、どこかで聞いたのでぇ」

『殊勝な心掛けだね。いいよ、起きたことを聞かせてくれ』

「護衛中に化心が出現しましたぁ。イルカのようなぁ、蝶のようなぁ、気持ち悪い見た目ですぅ」

『大体の化心はそういうもんさ、これに関しては慣れてもらうしかない。ちゃんと殺せた?』

「いいえぇ、取り逃がしましたぁ。重症は負わせたと思うのですがぁ……どこにいるかは、わからないですぅ。すみません」

『へぇ、逃がすなんて珍しい。怪我はしてない?』

「——してませんよぉ。依頼人も無事ですぅ。今は、依頼人の彼氏の家にいますぅ。家主は不在ですがぁ」

 既に〝治った〟左腕をさすりながら、何も起きてない風を繕って答える。間違いなく葵さんにはバレているだろうけど、彼女は『ふーん』とだけ言って流してくれた。こちらとしても、自分の〝体質〟に触れられるのはあまりいい気分ではないので、少しホッとした。

 不死身、とは少し違うと思う。ただ、傷の治りが異常に早いというだけの体質。先ほどのような複雑骨折なら、数分も経たずに元通りになる。

 どういうわけか、胸の傷だけは治らないのだけど。

 とはいえ、人並みに痛みは感じるし、治るものにも限度はある……はずだ(試してはいないが、首を刎ねられても生きている気はしない)。なので、これは戦闘においてちょっと便利、くらいの感覚で使っていた。

 化心との戦闘を終え、わたしは長田と彼女の彼氏の家——中沢櫂の家で休むことにした。

 住宅街の中に建てられた立派な一軒家、中沢はそこに一人で暮らしていた。家の中にはいなかったが、半同棲状態の長田が鍵を持っていたので、帰ってくるまで待ちぼうけ、ということにはならずに済んだ。

『重症を負わせた、か。なら、少なくとも今日また出ることはないだろう、心の傷は治りにくいからね』

「そういうもんなんですかぁ」

『あのさ、言うかどうかちょっと迷ったけど、帷ちゃん、声に違和感があるよ。君、どこで通話してるんだ?』

「うえぇ、あっ、ごめんなさいぃ、シャワー浴びててぇ、声が反響してぇ」

 バスルームの扉を開けて、脱衣所に出る。髪を拭きながらスマホを再び手に取った。

『シャワー? そっちで雨でも降ったとか?』

「違いますよ。化心の返り血で顔と服が汚れたので、借りたんです。中沢さんに無断ではありますけど」

『返り血?』

「まったくです。化心って、血が通ってるやつもいるんですね、初めて見ました」

『——待った。化心の〝血〟を浴びたのかい?』

「そう言ってるじゃないですか。でも、毒とかはないと思います、あくまで普通に人間っぽい血で……葵さん?」

 スマホからバタバタと音が聞こえる、葵さんが何かしているようだ。何回か葵さんを呼んでみたが、物音がするだけで応答がない。

 しばらく待っていると、ちょっと出かけてくるよ、と葵さんが言ってきた。

「出かけるって、どこへ?」

『小渕が入院している病院。彼に事情聴取しに』

「この時間から面会は無理じゃないですか?」

『そこはなんとかする。帷ちゃんには、小渕の自宅に行ってもらおうかな、場所は彼から直接聞きだしておくから。頼めるよね?』

「それはいいですけど、その家で何をすれば?」

『中に何があるか、確かめるだけでいいよ。あと、他にやって欲しいのは——』

 と、葵さんがいくつか指示を出してきたので、忘れないよう、集中して、聞くことに専念する。

 それこそ、長田が替えの服として置いてくれたTシャツを着るのも忘れて。

 ガチャ、という音が聞こえ、顔を上げる。

 脱衣所の扉を開けて、男がこちらを見ていた。

 知った顔だった。新聞記事で見た、競泳選手の、中沢櫂。

 数秒、目が合う。

 中沢は、最初こそ驚いた表情だったが、わたしの顔と身体を一瞥すると、顔をしかめて「気持ち悪っ」と呟いた。


 わたしは、手に持っていたスマホを、思いきり投げつけた。




「イルカの化け物だろ。見たし、なんならこの前襲われた」スマホが命中した額をおさえながら、中沢はぶっきらぼうな口調でそう言った。あまりにもさらっと言ったので、わたしも長田も、若干遅れてリアクションをとる羽目になった。

 脱衣所で口論(不毛すぎたので割愛)を終え、わたしと中沢、長田の3人はリビングのテーブルについていた。そして、二人に化心についての基礎説明をし、先ほど起きたことの情報共有をしていた。

 当初はこちらを疑っていた中沢だったが、長田の説得や、イルカの姿といった化心の特徴を聞くと、ついには信用したらしく、自分が体験した事件を語り始めた。

「一週間前、部屋の窓を割って襲ってきた。棚を倒されて、それが当たって、このザマだ」包帯の巻かれた右手を見せる中沢。

「えええええ!」叫んだのは長田。「あの部屋がめちゃくちゃ荒れてた日って、櫂くん、襲われてたの⁉」

「ああ」

「そんなこと全然言ってくれなかったじゃん!」

「言っても信じないだろ」

「櫂くんの言うことならなんでも信じるよ!」

「そーか、だから言い訳が通じたんだな」

「あの、長田さん、中沢さんにどんな言い訳されたんですか?」

「住宅街直下型地震で物が落ちたって……」

「それを信じたんですか……?」

 ……カップルの片方がバカな場合も、広義の意味ではバカップルになるのだろうか?

「でも、化心に襲われてよく無事でしたね……というか、中沢さん、化心が見えたんですか?」そういえば、と、彼の話から気が付いた点を指摘する。化心を視認できる人間は珍しい、比較的軽傷で済んだのは、攻撃が見えたからだろうか。

「普通は見えないんだっけか? 俺ははっきり見えたけど。この程度の怪我で済んだのは、あいつが適当に暴れたらどっかへ消えたからだ。襲われたのはそれっきり。もう出ないと思ってたんだけどな」

「そうだったんですね」

「なんか、織草さんも櫂くんも、同じもので盛り上がってて、ずるい」長田は恨めしそうな顔でこちらを見ていた。

「いや、あんまり見て気分のいいものじゃないですよ?」「俺も見たくて見たんじゃねーし」と、見える組が同時に反応する。

「ほら、そういうとこです。羨ましいなー」

「全然羨ましくないです。実際めちゃくちゃ不気味ですよ、特にあの目とか」「目なんかより、イルカに手足が生えてることのほうが不気味だろ」

「そう、いう、とこ! 仲間外れにしないで!」




「競泳の練習については、最近どうなんですか?」

 長田からの訴えるような視線をひしひしと感じたので、なんとなく話題を変えることにした。長田の顔が明るくなる。この話なら、自分の独壇場だと思ったのだろう。

「大事をとって、腕まわりは動かさないんですけど、でも下半身のトレーニングはしてるんです。そうだよね? 櫂くん?」と、得意げな様子で語り始めた。

「……俺のことは別にいいだろ」

 だが、意外にも中沢の方はあまり乗り気ではないようだった。

 ならばちょうどいい、別にわたしも大して興味があるわけじゃない。話がすぐに切り上げられるのなら好都合だ。

「よくないもん! 織草さん。櫂くんって、怪我した翌日から、すぐに専用のメニュー組んだんですよ! 『一秒も休めないから』って」

 即座に長田が発言する。それまでおあずけを食らっていた分、喋りたくてたまらない、といった様子だ。

 ……まだ帰れないか、なら適当に相槌を打って機を伺おう。

「へー、努力家なんですねー」

「櫂くん、日本記録取ってからも、ずっと練習してて! こういうの、なんていうんでしたっけ? ストマック?」

「ストイックだろ、馬鹿。つーか、言うな」中沢がツッコむ。よく見ると、顔が少し火照ったようにも見える。長田の言葉に、照れているのだろうか。意外な一面だった。

「えーいいじゃない! なんで頑張ってるのに、言っちゃ駄目なの?」

「頑張ってるうちに入んねーからだよ。こんなんでアピールしたら、ダサいだろ」

「ね? 聞きました? 私の彼氏、めちゃくちゃかっこよくないですか? えっと、ストライク、ですよね?」

「……まぁ、あなたにとっては、そう言えなくもないでしょうね」

 その後も、長田が自慢し、中沢が制御するという会話の流れがしばらく続いた。

 最初はイメージできなかったが、今、こうして二人が並んで話している姿を見ると、いい相性なのだろうと思えた。




 中沢家を出た時には、完全に日が沈んでいた。

 わたしは、スポーツブランドのロゴが入ったTシャツを着て、大きめのショルダーバッグを背負っていた。どれも中沢から借りたものだ。バッグの中には、血まみれの服と武器が入っている。職質されたら一発アウトの代物ばかりなので、移動は慎重にならざるをえない。

 バッグからアンプルを1本取り出し、中身を家の門の前に垂らす。葵さんからの指示の一つだった。簡易的な結界になるらしい。獣除けみたいなものだろうか。

「そんなにわたしの血って嫌ですかね、くさいとか?」空になったアンプルを嗅ぐ。血の匂いがする、ということはない。これも例の加工技術の賜物か。少し安心した。

 スマホにメールが届いたので確認すると、葵さんからだった。文面には、小渕の住所が書かれている。ここから徒歩で行ける程度の場所だった。

 左腕を軽く動かし、完全に元通りになっていることを改めて確認すると、わたしは歩き出した。

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