◇8 後編

 剣で、槍で、矛で、鞭で、槌で、銃で、

 斬られ、突かれ、刺され、叩かれ、砕かれ、撃たれる。

 殺戮という概念が形となり、わたしに向かって、化心たちが次々とのしかかる。

 骨と内臓が圧迫され、軋むような、形容しがたい音が全身から発せられる。


【このままじゃ、君、ぺちゃんこになっちゃうよ】


 誰かの——〝■花〟の声が、脳に響く。その脳でさえ、今にも化心の手で頭蓋ごと握りつぶされそうだった。

「————」

 気道が塞がれたせいか、息ができず、喉が動かない。

 それでも、抗うように、口内に僅かに残った空気を出す。

「〈さ……せ……〉」

 発しているわたしにも聞き取れないような、あまりにも小さく、か細い声。

 しかし——どうやら〝言葉〟として〝認識〟されたらしい。

 とめどなく流れ出るわたしの〝血〟が一斉に、鋭く尖った。

 まるで茨のような形状となり、まとわりついていた化心の群れを、一斉に〝串刺し〟にする。そのまま化心たちは空中で悶えていたが、やがて力尽き、消滅した。

「…………」

 治る。

 治る。

 治る。

 切創も、刺創も、銃創も、瞬く間に塞がる。

 わたしの〝体質〟が発動する。

 どんなに傷ついても、時間が経てば嘘のように、元に戻る。

 なかったことになってしまう。

 なかったことなら、痛くない。

「痛くない、はずなのに……」

 足音が聞こえた。何十にも重なった行進、化心の群れが近づく音だった。

 骨が繋がっているのを確かめながら、ゆっくりと立ち上がる。

「……わたしが」

 目の前にいるたくさんの化心たちと向かい合う。

「わたしが……あなたたちに……何かしましたか……!」

 通じるはずもない悲鳴を、彼らにぶつけることしかできない。

 溢れそうになる涙を、必死に抑え込むように、声を上げる。

 ——変な髪。 ——気持ち悪い傷。 ——暗い顔。 ——イタイ喋り方。 ——何考えてるかわかんない。——なんで今来たの? ——ヤバイ奴なんじゃない?

 化心と向かい合う度に聞こえてきた言葉。

 多分これは、彼らがずっと抱いていた感情だ。

 校内で常に感じていた、奇異の視線や陰口。

 その悪意が、具体的な形を成して伝わってくる。

 ありありと、まざまざと、見せつけられる。

 どうにか頑張って気にしないようにしていたのに、わたしの抵抗は、神様などというちっぽけなアプリと、それによって生み出された化心によって蹂躙されたのだ。

 でも……。

「わたしが、そんなに気に入らなかったんですか……?」

 ここまでされる謂れはない。

 こんな目に遭うのはおかしい。

 そう訴えたくてたまらなかった。

 脳が揺れる、唇が震える、身体が強張る。

 剣鉈を握る手に力がこもる。

「わたしは何も……何も……」

 してないのに!


【〝だから〟じゃない?】


 化心に斬りかかる直前、再び〝彼女の声〟がした。


【〝何もしなかった〟から、こんなことになってるんじゃないの?】


「——どういうこと、ですか」化心の集団を蹴散らしながら、わたしは問いかける。

【誰とも関わろうとせず、悪意を見ないふり、聞こえないふりで誤魔化して、自分への誤解も解かなかったから、みんなの心は……君を敵だと思ったんじゃないのかな】


 ……わたしは、


【人と関わっていた? ううん、あれは話しかけに来てくれた人に応えていただけだよ。もしも、誰も構ってくれなかったら、学校で君は、ずっと黙ったまま一日を終えていたはず。なんなら君は今まで一度だって、自分の意思で道を決めたことなんてなかったでしょう?】


 ……何を、言って、


【ハートキャッチにいたいと思った? 化心と戦いたいと思った? 学校に行きたいと思った? それって全部、言われたことにただ頷いて、従っていただけなんじゃない? 『これがわたしの生きる道なんだ』って、自分で決めたと思い込んでいたけど、その実周りが決めたものに乗っかってただけで、そこに君の意思は無い】


 わたしの……意思、


【他人の親切心にかまけて、期待して、自分から動くこともなかった。そんな受け身の生き方が、彼らの〝無意識〟を苛立たせた……そうは思えない?】

「…………」


 気を紛らわせたくて、耳を塞ぎたくて。

 冷静に、作業のように淡々と、化心を処理していく。

 肌を切り裂く感覚にも、刃が沈み込む感覚にも、完全に慣れ切っていた。

 そうして慣れれば慣れるほど、戦いとは別方面の思いが——〝彼女〟の存在が、脳を犯してくる。

 別の誰かのようでもあり、自分自身でもあるような、不確かで曖昧な存在。

 それが、声として常に頭の中で響いていた。

「……そんなの」

 だからこそ——思う。

「自分が誰なのかもわからなくて、これからどうすればいいのかもわからなくて……だから、『こうしろ』っていう誰かの指示に従うのなんて……」

 吐き出すように、嘆きが口をつく。

「そんなの、〝しょうがない〟じゃないですか……!」

 倒れた化心を踏みつけにしながら、叫ぶ。

「髪だって、傷だって……好きでこんな風になったわけじゃないのに!」

 酷い話だ。

 何も知らないから、何もしなかった。

 自分が〝違う〟ことがわかっていたから、せめて〝違わない人々〟を刺激しないように、静かに息をひそめていただけなのに。

 もちろんそういった振舞いが、人との関係性を築く中で、プラスに働かないことはわかっていた。それでもマイナスになるよりは——余計なことをして人を怒らせたり、不用意に傷つけてしまうよりは、ずっとマシだ、そんな風に思っていた。

 至極真っ当な判断で、当然の行動のはずだった。

 だから——むしろ何もしないことが、彼らの逆鱗に触れるなんて、考えもしなかった。

 あまりにも理不尽で、不条理だ。

 わたしはずっと可哀そうな被害者で、落ち度なんて一つもない。

 そう彼女に訴えたかった。

 もしかして……これこそが、葵さんが前に語っていた〝軸〟なのだろうか。

 常識、道徳、倫理、価値観。

 軸が意味するものがそうなら、たしかに、わたしと彼らには、大きなズレがあるのだろう。

 そのズレを戻すために、その乖離を正すために、化心が生まれたというならば。

 わたしの、居場所は——


「——っ!」

 何度剣鉈を振っただろうか。

 途端に、視界が開けた。

 周囲にまとわりつくように存在していた化心が消えている。

 無心で斬り続けているうちに、ほとんど殺し尽くしたのか。

 肩で息をしながら、戦いの終わりを感じ取る。

「……ああ、生き残り、ですか」

 背後から衣擦れの音がした。

 振り返れば、予想通り、もはや見慣れた首無しの黒コートがいた。

 息を整えながら、わたしはそれに向かって、ゆっくりと距離を詰める。

 目の前の化心は動かない——というよりは、こちらに一歩近づいたかと思えば、半歩下がる、といった不規則な動きをしている。

 その行為にどんな意味があるかはわからない——というより、もはや考えるのも面倒だった。どうでもいい、とさえ思う。感情のベクトルの大小はあれど、これもどうせ、わたしを排除したい〝誰か〟が生み出したものに違いないのだから。


「じゃあ、死んでください」


 剣鉈を振り上げた————その時。

 目の前の化心が、へたり込んだ。そのまま地面に手足をついて、うなだれる。もし頭がついていたならば、こうべを差し出すような姿勢になっていただろう。

 手が止まる。

 よく見れば、この化心は他とは違い、剣や鎌などの武器を持っていない、いわゆる〝丸腰〟の状態だった。どの個体も瓜二つで見分けのつかない今回の化心だが、目の前のこいつには——唯一、見覚えがある。

「あなたは……泉さんの化心」

 校内で最初に出会った化心、泉の保護を優先して、交戦せずに距離を置いた個体。

 武器も持たず、動く様子もなかったからこそ、印象に残っていた。

 わたしの言葉に反応したのか、泉の化心は身体を動かし、より一層縮こまった。

 しばらく様子を窺ったが、泉の化心が動く様子はない。姿勢を低く保ちながら、わたしに無防備な姿を晒し続けている。

 殺し易くて、殺しがいがない。

 そう思えてしまうほど、隙だらけだった。

「……泉さん」

 イルカ蝶のことを思い出す。

 褒めて欲しいという願いが歪み、突進という行動へと昇華された事例。

 形はどうあれ、化心には、本体の意思を叶えようとする性質がある。つまり化心の行動は、具現化した本性そのものを表していると言ってもいい。

 ならば……目の前の〝これ〟は?

 丸腰のまま、抵抗することもなく、静かに俯いている姿。

 もしもこれが、泉の本心——深層心理の表れだとしたら?

【この子はもしかして——わわっ】

 ——びゅん、と。

 わざと大きく剣鉈を振る。

 振って——〝■花〟の声をかき消す。

 特別な理由はない。

 泉の心を〝彼女〟に代弁してもらうのは……関係ない奴に、分かった風に口を出されるのは「なんか違うな」というか……はっきり言えば、気分の良いものじゃない。

 それ故の行動だった。

 声が止む。

 完全な静寂が一人と一体の間に流れる。

「……決められないんです」

 再び刃を向けながら、わたしは化心に向かって告げた。

 届きはしないとわかっていながらも。

「化心が生まれたきっかけも、それに至る経緯も——いや、神様のアプリの仕組みはわからないですけど、一応わかった……つもりです」

 もしも、早くに泉の気持ちを察することができたなら、みんなの気持ちを慮ることができたのなら、ここまでの事態にはならなかったのかもしれない。

「でも……それでも」

 やっぱりわたしは悪くない。

 たとえ原因にこちら側にあるとしても、死ぬほど傷つけられるのは割に合わない。

 心から、そう思ってしまう。

「泉さんが最初に〝どんな風〟に思って……今〝そういう風〟に思っていたとして……それを知ったわたしがどうするのが正しいのか……わからないんです」

 泉侑里は、わたしのことを気遣って親切にしてくれた。

 その行為に嘘はない……はずだ。

 だから彼女が赦しを請うというならば、受け入れるのが、きっと正しい。

 正しいはずなのに、そのことを否定しようとする自分がいる。

 恨みつらみをぶつけたい、文句を言わなければ気が済まないという思いが、心を蝕んでいく。

 自分の軸が、ブレる。

「……時間をください」

 しゃがみこむ。

 化心と目線を——存在しない目線を合わせる。

「わたしはここで、何も学べていません。このままあなたを憎むべきなのか、まだ判断できなくて……だから、結論が出るまで……少しだけ待っていてくれませんか?」

 剣鉈の柄を両手で持ち、化心の背に当てると、少しだけ反応したが、やはり大きく動こうとはしなかった。

 覚悟を決めて、一気に力を込める。

 ……。


「……また、教室で」

 霧散する化心に告げると、わたしはその場に倒れ込んだ。

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