◇10

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 ホテル探索開始からおよそ30分。

 一階部分をひとしきり歩き回ったわたしと七凪は、瓦礫に腰掛けて休憩をしていた。

 上層階に移動していないのは、五カッケー団のメンバーに異常があったのが、一階だったからだ。故に〝何らか〟の現象が発生するとして——〝何か〟が現れるとして——それは一階で遭遇する可能性が高いだろう、というのが共通の見解だった。そのためまずは、フロントや土産物コーナーなど、このフロアを重点的に探索することにしていた。

 しかしその結果は——現状、空振り。

 どこを探しても、化心や、それに類する痕跡を見つけることはできなかった。

「化心だろうが何だろうが、いつまでも同じところにいるわけでもねーだろ。とりあえず、上の階も見ておくか」

 先ほど、土産物屋の中で拾ったという、剣を模した金属製のキーホルダーを弄りながら(彼曰く、男心をくすぐる代物らしい、幼心の間違いでは?)七凪が言った。ここまで見て何も見つからないのであればたしかに、〝それ〟は既に別の場所に移動している可能性が高い。上層階に行くべきという彼の言葉に、異存はなかった。

「ただ、気になるのは」探索中に浮かんだ疑問を口にする。「化心どころか、被害者についての手がかりも見つからなかったことなんですよね」

 動画の終盤、五カッケー団のメンバーは、下半身を失った状態になっていた。そして、わたしたちは彼がいたであろう場所も含めて今まで捜索したわけだが、化心同様、痕跡の一つとて、見つけることができなかったのだ。

「落とし物とか、服の切れ端とか、見つけられれば良かったんですけど」

「あるいは、残りの〝上半分〟とかな」

「…………」

「この感じじゃ、全部喰われて何も残ってねぇのかも、だが」

「……嫌なこと言わないでくださいよ」

「んなこと言われても」キーホルダーを納刀し、ポケットに入れた七凪が立ち上がった。「〝死んでる〟可能性の方が高いだろ、フツーに考えて」

「それは——」

 七凪の言い分は正しい。

 このホテルはもともと心霊スポットとして、それなりに有名だったのだがが、ある時期から「肝試しで入った人間が帰ってこない」という噂話が囁かれるようになったそうだ。

 その噂話を五カッケー団が聞きつけたことで、今回の事件が発生したわけだが——葵さんが調べたところ、依頼人と同じ動画投稿やインフルエンサー、大学生のグループやオカルト系雑誌記者などが、この付近で消息を絶っているという事実は、実際に存在するらしい。

 だとすれば『ホテルで行方不明になった人間がいる』という情報と『動画の中で身体が消滅した人間がいる』という情報を丸っきり別々に考える方が、むしろ不自然だろう。

 そして、生きている証拠がここまで一切見つからない以上、消えた彼らは——

「——まだわからないじゃないですか」それでも、とわたしは七凪に食って掛かる。

「あ?」

「可能性の話を七凪さんはしましたけど、それなら〝生きている〟可能性だって、0じゃないです。……違いますか?」

 七凪がわたしを見た。

 睨むのでも、訝しむのでもない。

 ただ、わたしを視界の中に入れている——そんな見つめ方だった。

「死体、見たことあるか?」ふいに、七凪がわたしに尋ねた。

「え?」

「ああ、動物とか化心じゃなくて、人間の死体な。今まで、見たことあるか?」

「……見たことは、ないです」

 正確には、織草帷は知らない、というべきか。

 この身体になる前の——記憶を失う前のわたしは、見たことがあるのかもしれないし、わたしの中にいる織草筺花であれば、少なからず死に触れてきたのかもしれない。しかし今のわたしには——自分が死にかけたことは幾度もあれど——他人の死に触れた記憶は無かった。

「そうか」

 短く呟いてから、しかし七凪は次の言葉を出さないでいた。

 さっきの見つめ方といい、言い方といい……なんというか、七凪っぽさのようなものが途端に消え失せたように思えて、少しだけ、戸惑った。

「ま、お前の言った通り、生きてる線はあるか。化心にも色々いるし」かと思えば先ほどまでの調子に戻ってニッと口を吊り上げる。「だとしたら、早いとこ助けてやらねーと、だな」

 懐中電灯のハンドルをぐるぐると回しながら、七凪は階段の方に歩みを進める。わたしも、すぐに立ち上がった。

 そのまま、二階の廊下へ。

 横並びになると、スペースが心もとなかったので、わたしは少し後ろに下がったまま、彼について行くことにした。

「だけど……『やっぱり駄目だった』ってことはあるからさ」

 歩きながらも七凪は——今度はわたしの方を見ずに口を開く。

「覚悟は、するべきだ」

 前を歩いているせいで、その表情はわからない。

 けれど、たぶん、わたしが思い浮かべる彼の顔の、そのどれにも一致しないのだろうということだけは、確信できた。

「——」

 わかりました、と、返答するつもりだった。

 察するにきっと、七凪は七凪なりに、色々なものを見たのだろう。その中にはわたしの想像のつかない〝凄惨〟もあって——先々の言葉は、その経験を経たが故に出力されたものなのかもしれない。

 それをわざわざ聞こうとするほど、わたしは無遠慮ではないつもりだ。

 イルカ蝶の時は、自分の不注意で危うく長田を殺しかけたわけだし……彼の言葉は、含蓄のあるアドバイスとして、素直に受け取っておくべきだろう。

 そういった心情から、了承しようとして——


 ——わたしの声は〝轟音〟にかき消された。

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