◇3 前編

◇3


 悪夢から目覚めた時。

 そして、傍らの時計を見て——それがまだ起床するには程遠い時刻を映している時……一体〝どちら〟を選ぶのが正しいのだろう。

 もう一度寝て、次は良い夢を見る方に賭けるのか。それとも、嫌な夢の続きを見ないためにさっさと起きてしまうのか。

 普通の人間が、どちらの行動を選ぶのかはわからないが、わたしは後者だった。

「んんっ」

 伸びをして、顔を洗って、水を飲む。

 その後、布団の上に座り直す。

 何もせず、ぼうっと空気を眺めていた。

「…………」

 寝たくない。

 そう思うようになったのは、織草鏡花に心臓を入れ替えられた日のことを——半年前の記憶を思い出してからだ。

 身体を開かれた恐怖と、それを涼しげな顔でやってのけた彼女の狂気。

 何故忘れていたのかさえ、今となってはわからないほど鮮烈な出来事。

 あおいさんが言うには、トラウマである出来事に、自分の中で無意識のうちに〝記憶の蓋〟のようなものをして封じていたが、魔術師たちに正体の一端を聞かされたことで、その蓋が無理やりこじ開けられた……そうだ。人間の脳には、そういうメカニズムが備わっているとも言っていた。なるほどそうかもしれないし、そうじゃないかもしれないと、わたしは思った。

 いずれにしても。

 思い出した日から、あの日の出来事を、頻繁に夢に見るようになった。

 そして——こと寝ることについては特に、忌避感を覚えるようになってしまった。

 意識を失うことが、怖くなった。

 悪夢を見てしまうから、というだけではない。

 わたしの中に『一度目を閉じたが最後、二度と目覚めないかもしれない』という思考が入り込むようになったからだ。

 元々の心臓を抜き取られ、握り潰された時点で、そこまで生きていた〝わたし〟は〝死んだ〟……少なくともその時は、明確にそう感じたのだ。

 そして今は〝筺花の心臓〟という得体の知れないパーツで〝生かされて〟いる。

 並の人間以上の回復力、というおまけつきで。

 だが……得体が知れないだけに、いつ何がどうなるかもわからない。

 なにしろ、千年前の心臓なのだ。実は順当に腐っていて、ある日突然停止するかもしれないし、あるいは、心臓の中に燻ぶっている筺花の意思とやらが、突然わたしの人格を消し去り、乗っ取ってしまうかもしれない。

 ……嫌だ。

 考えれば考えるほど、その〝終わり〟が来るのが……途端に恐ろしくなった。

 一秒でも長くわたしが〝わたし〟であることを自覚していたい、そう考えるようになったのだ。

 寝て起きた時、果たしてそこにいるのが〝織草帷おりくさとばり〟なのか……自分を疑いたくなくて、なかなか寝付けなくなってしまった。

 どうやらわたしは、意外と〝生きていたい〟タイプの人間だったらしい。

 一度死んだ後に自覚するのは、なんだかな、という感じだけども。

「そろそろ……用意しなきゃ」

 立ち上がり、パンをかじり、水を飲む。

 新品同然の制服を手に取り、袖を通した。


 鏡を見るのは、必要最低限に留めていた。

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