◇12
◇12
「さっき使ったのが、俺の〝デザイア〟……あー、その、デザイアっつーのは」
「得意な魔術、でしたっけ?」
「まぁ、だいたいそんな感じで合ってるな。そんで、俺のデザイアは……〈
「吹っ飛ばす……なるほど、それでさっきのことが」
「覚えたのは最近だから、まだ全然使いこなせてねーんだけどな。いやー、着地の時はすまんかった! つっても、ほら、お前も一応助かったわけだし、お互い様ってことにしようぜ」
「……まぁ、そうですね。結果的に無事に済んだので……胸を触ったのも、不問にしましょう」
「ん? ムネ?」
「触ったでしょう。緊急事態なので、別に全然気にしてないですけど」
「あ、や、その、それは、なんつーか、あん時は必死で——」
「……あの、ごめんなさい。わたしなりに、ちょっと冗談を言ってみたつもりだったんです……まさかそんなに動揺するとは。忘れてください」
「——いいや、待て、待ってくれ。わかった、思い出した。心配するな、大丈夫だ」
「何がですか?」
「冷静に思い返したが、俺は胸を触ってない、だから安心してくれ」
「だから気にしてないですって」
「いいや、大事なところだ、ここ最近は特にな。初めに誤解を解かないと、こういうのが後々に大変なことになるって、聞いたことがある」
「別に出るとこ出るつもりはないですけど」
「だとしてもだ、とりあえず聞いてくれ」
「はぁ。……触ってないという根拠は?」
「こう……あの時の感触を思い出してみたんだが……うん、めちゃくちゃ〝固かった〟んだ。俺も人生でしっかり触ったことはないが、たぶんちゃんと触れていたら〝柔らかい〟はずだし。だから俺が触ったのは〝胸〟じゃなくてむしろ〝骨〟——————」
閑話休題。
「……とりあえず、状況を整理しましょう」
〝502号室〟の客室の中。
わたしたちは黒焦げのベッドに並んで腰かけていた。
ここを選んだ理由はシンプルに、火事のせいでほぼすべての部屋が〝開放的〟になっている中で、扉で姿を隠すことのできる数少ない部屋、というだけだった。あの敵はわたしたちの居場所を察知することができるようなので、実際のところは気休め程度の対策かもしれないが……それでもこれからのことを話し合うのに、一旦の避難場所を確保したかった。
「まずは、あの……男の首からたくさん手が生えてたの、ですけど……」
「化心だろーな」俯いたまま七凪が言う。「化心以外にいるか? あんな無茶苦茶な見た目のヤツ」
「ストレンジャー、という可能性は?」
「無い。魔力は感じなかったし……そもそもストレンジャーは、向こうの世界の〝動物〟だ、こっちの世界とはちょっと生態が違っているだけのな。だから……ああいう姿のストレンジャーがいるっていうのは、まず無い」
たしかにあの化心を生物の括りと捉えるには、あまりにもその存在は破綻していると言わざるを得ない。彼の言う通り、一旦は化心として考えて良さそうだ。
敵の正体はとりあえず確定したとして。
次に確かめなければならないのは——。
「身体の調子は? 今はどうですか?」
「びっくりするくらいなんともない。……絶対にヤバイ状態なのはわかってるんだけど」
そう言いながら、自身の〝負傷〟箇所を見る七凪。わたしの視線もまた、そこに——彼の〝抉られた左脇腹〟に注がれていた。
——非常階段を下りたにもかかわらず、上の階にいるはずの化心と相対するという状況に陥ったわたしたち。
次の行動は、ほとんど反射だった。
『くっ……〈
『〈持ち上げろ〉!』
自らを吹っ飛ばす七凪と、血を纏いながら自らを運搬させるわたし。
それぞれが化心の射程外に移動するために、最善の手を打っていた、
……はずだったが。
七凪の方は、ほんの一瞬だけ、その行動が遅れていた、ようだ。
曰く、飛び上がる〝直前〟——化心の有する無数の触手が襲い掛かってきたのだという。
そして不幸にも、その内の一本が、左脇腹に〝触れる〟のを、彼は回避することができなかった。
ギリギリ、間に合わなかった。
触れた際の衝撃は無かった。
煙を掻き分けるかのように、何の〝手応え〟も感じることなく、触手の先の〝指〟が——その部位を〝抉った〟。
抉った際の痛みは無かった。
上層階に着地した時点で七凪が感じたのは、なんとなく〝足りない〟という感覚だけだった。
普通に立っているはずなのに、身体がバランスを崩してふらつく違和感。
その原因を確かめようと視線を下に向けて初めて、彼は自身の〝負傷〟に気づいたのだ。
「出血もしていないし、凄い綺麗に〝中身〟が見えちゃってますね」
「じろじろ覗かないでぇ?」
「生物室にある人体模型みたいな感じっていうんでしょうか……もしかして、このちょっとだけ見えてる白いのって骨ですか? 肋骨とか?」
「あんまりそういうのも言わないでぇ⁉ なんかちょっと想像しちゃうからさぁ!」
なるほど、さっきから若干視線を上に向けているのはそういうことか。耐性はあまりないらしい。……人間の死体がどうとか言ってたくせに。
しかし、状態の把握と認識のすり合わせは大事だ。七凪には悪いが、じろじろ見させて貰おう。
とはいっても、人体の仕組みにも医療にも詳しいわけではない自分が推察できることなど、たかが知れているのだけども。
抉られた部分のサイズは握りこぶし程度、触手の〝手〟に触れられたのだから、当然と言えば当然か。腹から背中側まで、しっかりと〝持ってかれて〟しまっている。筋肉はもちろん、もしかしたら臓器の一部も損傷しているはずだが、やはり血の一滴も滴ることなく、どういうわけか七凪自身は健康そのものだ。
「ここに手を入れたら、やっぱり痛いんですかね?」
「ウソだろ? やめろよ? 絶対やるなよ⁉」
「……フリ、ですか?」
「なわけねーだろ!」
叫べるほど元気なら、実はやせ我慢をしているだけでした——なんてわけでもないのだろう。そもそも〝今まで〟の話を総合すれば、既にこの現象について、ある程度の推測をたてることはできる。
「つまり……これが、あの化心の〝
「ああ」七凪が頷く。「触手で触れたものを消す能力、ってとこか。俺の腹がこうなってるのは、触れたところ〝だけ〟が消えるから……にしても、わけわかんねーけど」
「むしろ、わけがわからないからこそ……ですね」
化心の有する超能力である心術。それによって引き起こされる事象は、一般の常識や法則では説明できないことの方が多い。『私たちの言霊もそうだけど、心術は肉体や物質に作用するものというよりはむしろ、概念への干渉に近い……と唱える人もいるね。私はこの分野には明るくないのだけど』と、前に葵さんが言っていたことを思い出した(そもそも誰なんだ? その唱えた人っていうのは)。
「ホテルの中で人が消えたのも、あの動画で被害者の下半身が消えたのも……」
「化心の仕業だろうな。そして、化心が見える奴は少ない、だから……」
「…………」
きっと彼らは、自分たちの目の前に何がいるのかもわからず……怯える間もなく、逃げることも叶わず、一瞬でその存在を消されてしまった。
そういうということなのだろう。
「……平気か?」
黙り込んだわたしに、七凪が問う。
今一番平気じゃない人間に心配されるのは、妙な感じだった。
「わたしは大丈夫です。それよりも……」いつ化心がやってくるかわからない以上、悼んでいる暇はない。「次に考えなければいけないのは、このホテルですよね」
話題にしたのは、ついさっき直面した怪奇現象。
階段を下りた先で、何故か化心と対面してしまった件についてだが、この出来事については、より不可解な事態が発生していた。
あの時、二階から一階に降りたはずのわたしたちの目の前には——どういうわけか〝一階に下るための階段〟があったのだ。そして、元々二階にいる化心と〝再会〟した。
まるで、〝二階から二階に移動した〟かのような……。
「ホテルは十階建てで……二階から上については自由に行き来することができました。でも……」
「二階から一階に降りる時だけ、二階に戻されちまう、ってわけだな」
要は、二階と一階の間を境に——〝空間がループ〟しているのだ。
ちなみに、崩壊している壁や、窓を破壊するなどの方法で外に脱出することも試みたが、その際は謎の大きな力(見えない壁のようなもの)に阻まれ、不可能だった。
「これも、化心の心術ですか?」
「いや、心術は一体で一つだ……消す能力がもうあるなら、ホテルの方はたぶん関係ない」
「なら、この現象を引き起こしているのは……」
「魔術だな。空間がループする扉を作った……いや、空間を捻じ曲げて繋げてるって感じか? 一階に繋がるところだけを弄ることで、魔力を省エネしてるんだろうが……なんにせよ、相当に〝やり手〟だな、これを作った奴は」
斐上と空骸、二人の魔術師の顔を思い浮かべる。今回の化心はその辺のものとはどうやら事情が異なりそうだ——という予感はあったものの、その予感は最悪の形で的中してしまったわけだ。
彼らの目的は化心の根絶。そのためには化心の制御が必要であり——化心を使った実験は、その目的を達するための道筋なのだという。人間がいない場所に発生したという今回の化心も、彼らの手が入っているとすればその不自然さもいくらか解消される。
憶測だが、わたしたちがホテルの外に出られないようになっているのは、別に侵入者を捕らえるためなどではなく、もともとホテルに棲みついているこの化心が外に出ないようにするためではないだろうか。いわばホテルを、実験施設にしているのだ。
化心の存在が計画の一部だとすれば……逆に。
ここで化心を早々に退治することができれば、彼らの計画を遠ざけることができるかもしれない。
そういった意味でも、あれを狩る必要性は、十分にある。
情報をまとめた後は、化心の能力について少しだけ七凪と議論し、立てられそうな対策について話し合ってみた。しかし、やはり一度しか接敵していないせいで、ほとんど情報が得られなかったのがネックとなっており、効果的な策を立てることはできなかった。「もしもの時は、その場のノリでなんとかするしかねーな」というのが、七凪の出した結論であり……わたしも同意せざるを得なかった。
「その……七凪さんの身体は」
「心術のせいでこうなってるなら、アイツを殺せば元に戻るはずだ。ま、その前に全身消されたらおしまいだけどな!」
「……すみません、元はといえばわたしが」
「気にすんな、化心退治にはよくあることだ。身体の怪我にも慣れてきたし……次に会った時は、確実に狩る」
そうだろ? と七凪が促す。
わたしも頷いた。
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