◇17

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 アンプルは残り五本。

 わたしはその全てを〝全開放〟し、中の血液を空中にばら撒いた。間髪入れずに〈守れ〉と言葉を発する。

「じゃあ、行ってきます」

「ああ」

 命令を受けた血が、わたしの周囲をふよふよと漂っているのを確認してから、わたしは目の前の大穴に〝飛び込む〟。

「————よし」

 血は纏わりついたまま、わたしと同じ速度で落下している。

 即席で作成したバリア。今のところ、想定通りの動きだった。

 織草筺花の血はほとんど万能と言っていい。抽象的なものであれ、具体的なものであれ、ありとあらゆる命令(あるいは無茶ぶり)に従い、わたしの意のままに動いてくれる。血液だけでここまでのことができるのだから、当時の——花の巫女と称されていた彼女の力は、人智を遥かに超えたものだったのだろうというのは、想像に難くなかった。

【オ——!】

 見上げたままの化心が、さらに口角を吊り上げる。獲物が向こうからやってきたのだから、当然のリアクションか。

 腕が伸びた。

 三——五——合計数は十、本気でこちらを捕らえるという気概を感じる数だ。

 わたしという目標に対して、一斉に迫って来る。

 腕の一本がバリアに触れた。

 続けてもう数本が触れて——バリアを貫通し始める。落下を続ければ、あっという間に腕に揉まれてしまうことは、明白だった。

 ——だが、ここまでは想定内——!

「〈燃えろ〉‼」「〈遠く遠くへランペイジ〉‼」

 二人の叫びが——わたしと、わたしの後方にいる七凪の声が、こだまする。

 血が付着した腕が爆破に飲まれ、わたしの左腰にあらかじめ〝仕込んで〟あった七凪の能力が起爆した。わたしの身体は炎上した血の膜を無理やり突き破り、炎をその場に置き去りにしながら、近くの瓦礫に不時着した。一方の化心はというと、巨大な悲鳴を上げながら、他の腕をばたばたと動かし、肌を鎮火し始める————そこに、

「——まだだ! 〈遠く遠くへランペイジ〉!」

 続けて、さらなる追撃。

 化心の露出した肌めがけて、握りこぶし大の瓦礫が、間髪入れずに投下された。

 瓦礫には、七凪の〝デザイア〟によって、加速が付与されていた。能力と重力の相乗効果を得た即席の砲弾は、凄まじい威力を備えながら着弾。

 化心の身体を、容易く〝貫通〟————「クソ、ダメだ!」

 苛立った七凪の声が上から降り注いだ。

 ……防がれた、と即座に理解する。良く見えなかったが大方、他の腕を伸ばして瓦礫を消し去った……という辺りだろう。追跡された際にも思ったが、この化心、移動だけでなく、そもそもあらゆる動きが機敏だ。純粋なフィジカルで突破するのは、かなり困難と言わざるを得ない。

 だが当然、地団駄を踏んでいる暇はない。

 今の策で無理なら次の策だ。

 残った血を招集させ、再び自分の周囲へ。

 量は心もとないが、壁としては——使い切りの〝身代わり〟としては、まだ期待できる。

「ふっ!」

 滑り込むように化心の射程に入り込みながら、剣鉈で横薙ぎの一閃。

 腕を、切り落とした。

 剣鉈に一切の損傷は無かった。血を使った凍結への対応から、心術の有効範囲を〝手首から指〟までと予想していたが、間違っていなかったようだ。手に触れず、腕を攻撃するだけならば、被害を抑えることはできる。

 残っている化心の腕が一点に——真下にいるわたしを狙う。

「こっちだ、オッサン!」

 いつの間にか。

 上にいたはずの七凪の声が、化心を挟んだ向こう側から聞こえた。

 既に、この二階まで飛び降りてきたらしい。

【……ア?】声に釣られてか、化心の動きが一瞬だけ緩んだ。

 そのタイミングで腕をさらに斬り落としつつ、立ち上がって体勢を立て直した。

【——イ、ギャ‼】苦悶の表情を浮かべて、悲鳴を上げる化心。先ほど一度だけ、意味をもった言葉を発したかのように思えたこの化心だが、今となってはもはや、喚き声を上げるだけの存在になっていた。

 理想を言うならば、弱点と思われる部位……頭を狙いたかったが、体格差の問題故、そこまでの余裕はなかった(ちなみに、剣鉈が届かなかったのは、わたしの背が低いのではなく、あの化心の頭が〝特別〟高い位置にあるからだ……というのを、誰に突っ込まれたわけではないが、補足しておく)。

「————‼」

 瓦礫の散弾。

 剣鉈の連撃。

 化心がわたしの方を向いた時に七凪が。

 化心が七凪に対抗しようとした時にわたしが。

 前後左右から互いに、絶え間ない攻撃を加えて、敵の注意を分散させる。

 化心の懐に入り込み過ぎるのはリスクが高い。故にわたしたちは接近と回避を高速で行い、掌と指をすり抜けての攻撃を行っていた。

 針の穴を通すように精密で、神経を疲弊する戦術。

 一度に与えられるダメージはたかが知れていた。こちらの一振りで敵の腕が一本、運が良くてせいぜい三本分程度……全身を覆うおびただしい数に比べれば、焼け石に水だ。加えて、斬り落とされた〝手〟の方にも心術の効果は残存するようで……その部分は返り血ならぬ〝返り手〟となって宙を舞い、触れたわたしたちの身体を蝕んでいた。

 それでも——たとえ浅く、小さな損傷であっても、着実に積み重ねていく。

【イ……!】

 化心の声は歪んでいた。

 狼狽している、と思った。顔をまじまじと見る余裕はないが、冷や汗の一つでも滲んでいるような気さえした。

 化心は、心そのものが形を成したものだ、であるならば、彼らの行動は即ち彼らの心情を直接反映していると言える。逆も然りで、感情に揺らぎが生まれた時、彼らはそれを覆い隠すことが恐ろしく不得手なのだ。

 声のトーンと、先ほどから精細を欠き始めた触手の動きは、化心が相当に焦っていることを、如実に表していた。

 行ける……と確信する。

 このまま、続ければ、

 いずれは————————————————————————

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