第3話 ウェルカム トゥ マイ ワールド

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ウェルカム トゥ マイ ワールド


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 廃墟内にて。

「うわわ、ここやばい! 今までで一番ボロボロ!」

 空骸黑からがいくろは床一面に散らばった瓦礫をあちこち飛び越えながら、広大なフロアをせっせと歩んでいた。

 瓦礫は大小様々な形状をしており、原型をとどめているものだけでも、巨大な丸テーブルやシャンデリア、凝った装飾のクローゼットのようなものが見て取れた。既にそれらがすべて〝焼け焦げている〟ため、値段的な価値をつけることはできそうもないが、その名残だけでも、この建物の元々の豪勢さが伺えるようだった。

「足元に気を付けろ、黑。踏み外せば床が抜けるぞ」

 空骸の前を歩くスーツの男、斐上弦慈ひがみげんじが振り返らずに言った。斐上は建物の構造を熟知しているのか、一切逡巡することもなく進んでいく。

「……むー」

 じゃあもうちょっとゆっくり歩いて欲しい、と言いたかったが、斐上がそんな気をきかす人間でないことは知っていたため(そもそも自分が文句を言える立場にもないため)、空骸は彼の足跡を短期記憶に叩き込み、カルガモのヒナのように必死について行くしかなかった。

「ここだ」

 フロアのほぼ中心部、そこで斐上の足は止まった。彼の視線の先には、ただ空間が広がっているだけであり、そこに目を引くものは確認できなかった。

「えっと……何もないけど?」

 空骸が怪訝な顔で尋ねる。が、すぐに「いつものことだ」と思った。斐上の行動の真意が初めから明白なのは稀だ。今回もご多分に漏れず、そういうことなのだろう。結局は説明してくれるので、大きな不満があるわけではないのだが、最初から分かり合う関係、というものにも憧れはあった。

「心宮グランドホテル。それがここの名前だった」

 空骸の胸中を知る由もない斐上は語り始める。問いに対して迂遠な回答をするのも、彼女に言わせればやっぱり「いつも通り」のことだった。だが、まるっきり見当違いの物言いをするような人ではないことも知っていたので、とりあえずは聞いておくことにした。

「ホテルだったんだ、ここ」

 なるほど、というリアクションをする。しかし、空骸は今までホテルというものに泊まった経験はない。それどころか、旅行、というものもしたことも、誰かに連れて行ってもらったこともなかった。なので、テレビや漫画等で得た知識と、焼け残った僅かな調度品を見ながら「金持ちが泊まるホテルだったのかな」と想像した。実際のところは、家族連れや観光客向けに対して比較的リーズナブルな価格帯で部屋を提供するタイプのホテルだったので、彼女の予想は外れていた。

「俺たちが立っている場所は、一階のレストランだ。18年前、ここで食中毒事故が発生した」

 斐上はズボンのポケットから数枚の紙を取り出した。それは新聞か週刊誌の記事のように見えたが、空骸はどちらもちゃんと読んだことがないので、はっきりとはわからなかった。

「毒性の強い山菜が前菜に混入したことが原因で、摂食した28名が腹痛、嘔吐、呼吸困難を訴え緊急搬送された。そのうち、高齢者や子どもを含む6名が死亡、10名が手足の痺れ等の後遺症を残す重症を負った」

 淡々と、記事の内容を伝える斐上。凄惨な事実を読んでいるにもかかわらず、その声色が歪むことはない。斐上が動揺する姿を想像できないが、果たして自分が死んだら、少しは悲しんでくれるだろうか。彼の横顔を見ながら、空骸はそんなことを考えていた。

「知識不足、杜撰な管理体制、事件発生後の対応の遅さ……多くの要因により、ホテルはマスコミや世論から激しい非難を受けた。そして、事件から二か月後」

 斐上はそこで言葉を切り、上を見上げた。

「ホテルのオーナーは、首を吊って自殺した。ちょうど、俺のいる位置だ」

「……自殺」

 空骸もつられて上を見る。そこにはやはり天井が——なんの変哲もない黒焦げた天井があるだけだったが、過去を知っている状態で見ると、なるほどたしかにその部分からは、何か禍々しいものを感じるような気がする。とはいえ、あくまでなんとなくそんな気がしただけであり、ただの思い込みの可能性もあるので、何も言わなかった。

 斐上が別の記事を取り出す。

 先ほどよりも小さな紙面だった。

「ホテルは廃業。直後、謎の不審火による火災が発生。人的被害はなかったものの建物は全焼。ここはかつての面影を僅かに残す廃墟として、取り壊す予定もないままあり続けている」

 顛末を語ると、斐上は持っていた記事をポケットに戻した。

「ずっとフシギだったんだけど……なんでいつもここにいたの?」

 空骸はとうとう、斐上に問いかけた。彼にも自分にも、家、と呼べる場所はあるし、金に困っているわけではないので、本来ならもっとマシな場所を拠点にできるはずだからだ(とはいえ空骸は、絶対に帰りたいとは思わないので、寝食の際はネットカフェ等を使っていたのだが)。ここがかつてホテルであることはわかったが、斐上が拠点として利用する理由は、依然として不明だった。

「観測のためだ」杖の先を光らせて、斐上が言った。「このホテルのオーナーの化心けしん……その出現を観測するため、なるべくここにいる必要があった」

「オーナーの、化心……?」

空骸は当初、斐上の言葉の意味がわからなかった。

 化心は、人間の過ぎた感情が怪物の姿となったものだが、それはすべからく〝生きた人間〟の感情から生まれたものだ。死体から化心が出るという話は聞いたことがない。

「でも、そいつって」

「18年前に死んでいる。だが、その〝心〟だけは——〝未練〟と言い換えてもいいが、この場所に沁みついている……と、俺は考えている」

「……それ化心なの? ユーレイじゃなくて」

「そう言えなくもない」

 斐上の杖は、件のオーナーが首を吊った地点に向き続けていた。斐上が小さく、短く何かの言葉を呟くと、杖から青い光が——魔力が放出され、太い柱状となって、天井と地面を繋いだ。

「それ何?」

「このホテルで最も残留思念が濃く残っているであろう場所——この自殺現場に、予め魔術の〝網〟を仕掛けていた。〝斐上家〟が代々受け継いできた〝人間から化心を引きずり出す魔術〟だ。それを使って、オーナーの化心を捕える」

「その魔術、もう死んだ奴……っていうか、ただの〝場所〟なんかでも使えるの?」

「本来は無理だ。だが、実体を感じられるほどの強い念が渦巻く場において、織草鏡花おりくさきょうかから渡された〝心術しんじゅつ〟——〝暗示の言霊〟を組み合わせれば、あるいは可能かもしれない」

「魔術と……心術」

 斐上家は、150年ほど続く魔術師の家系だと、斐上はかつて空骸に語っていた。千年続く織草家と同様、化心と戦うことを生業としているのだが、明確に異なるのは、織草が化心と同じ系統の力——心術しんじゅつを使うのに対し、斐上は外の国から伝わった神秘——魔術まじゅつを用いることだった。歴史上、二つの家が大きく衝突することはなく、基本的には不干渉の状態で現代までお互いに生き残ってきたのだという。そして斐上弦慈は、その斐上家の現当主だった(『尤も、数世代前から斐上家は没落の道を辿っており、既に復興の兆しはない』とも彼は言っていたが)。

 そんな彼に突然近づいてきたのが、当時織草家の当主だった、織草鏡花おりくさきょうか

 数々の言霊を操ることができ、歴代最強とも呼ばれた彼女は、どういう風の吹き回しか斐上の元に現れ、花の巫女の心臓の〝居場所〟を知らせてきた。さらに「しばらく貸して差し上げます」と言って、勝手に彼女の持つ言霊の一つである〝暗示の言霊〟(織草鏡花は〈永演えいえん〉と称していたようだが)の能力を〝押し付けて〟きたのである。

 そのいきさつを聞いた時、空骸は純粋に……「怖い」と思った。

 花の巫女——初代織草——織草筺花おりくさきょうか

 言霊の祖たる力を持つ彼女の心臓は、織草家にとって——否、すべての人間にとって利用価値がある。それを自らが所持せず、無関係の少女に移植するという行動。その情報と自らの能力を他人に——それも、魔術師に与えるという行動。いずれも異常に違いないと思ったからだ。『使えるものは利用する』と、斐上は言っていたが、何を考えているかわからない織草鏡花の行動は、空骸にとって、ただただ不気味だった。

 暗示の言霊のすさまじさは、空骸自身もよく知っている。強力な自己暗示と他認識の支配を司るその力は、空骸黑に魔術師としての肩書を与え、様々な人間に成り代わり、他者に怪しまれることなく近づくことに役立った。それだけのメリットを持った力を躊躇いもなく切り離したという思考も、あの女の不審さに拍車をかけているように思えてならない。

「暗示の言霊の力は、対象に自身の存在・状態を誤認させることができる。俺は単に、この場にある残留思念に言い聞かせるだけでいい……〈お前は生きている〉とな」

「…………」

 それでも。

 空骸にとって最も優先するべき事柄は、斐上の意志だ。

 仮初の弟子でも、部下でも、道具でも……必要とされるなら、どんな形でも受け入れ、手足となって動く覚悟を持っていた。斐上が良しとすることであれば、自分もそれが正しいと疑わない。自分の考えは押し殺して、理想の邪魔をしないようにする……そのように、彼について行く時に決めていた。故に空骸は、心術については既に割り切って、これ以上疑うことはしなかった。

「……上手くいったな」

 斐上が呟いた。

 空骸も同じ方向を向く。

 放った魔力の光がだんだんと収束し、内側に閉じ込められていた〝もの〟が——自殺したというオーナーの化心が姿を現し始める。

 自殺。

 自ら死を選ぶ行為。

 どんな気持ちだったのだろう。

 空骸もかつて〝生きていたくない〟人間だった。境遇と環境に絶望し、生存に意義を見出すことができなかった……そういう心が、彼女にはあった。そんなギリギリの状態を救ってくれたのが斐上だったのだが……かつてのその時期でさえ「死のう」と決意するまでには至らなかった。空骸黑の中の〝生きない〟と〝死ぬ〟の間には明確な一線があり——結局、その線を飛び越えることはなかったのだ。

 だから、同じ絶望した者同士であったとしても、自分は〝死に手を伸ばせなかった者〟で、顔も名前も知らないオーナーは〝生の苦しみから脱却した者〟であり——〝できなかった者〟と〝できた者〟であり——その心持ちはまったく異なるんじゃないか……そう思った。

 その心が、今、化けようとしている。

「死んだ後にも、心だけは生き続ける……この化心はその証左だ」

「……いーね、それ」

 隣にいる斐上の言葉に、空骸は応える。

 本心だった。

 純粋に、嬉しかった。


 たとえ〝その時〟が来たとしても、彼に残せるものがあると、知ることができたからだ。

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