◇6

◇6


 ——やめろ——考えなおせ——どうして——正気じゃない——逃げろ——何をする——〝たかが一回の失敗で〟——許して——見逃して——死にたくない——


「…………」


 殺した。

 殺した。

 殺し尽くした。

 廃墟——廃墟と化したホテルの中で斐上弦慈は、己が過去に〝引き起こした〟地獄を反芻していた。

 十年前。

 かつて当主候補と呼ばれながら、魔術師の家から追放された彼は、ある時突然、斐上の家に連なる者たちの集会に現れ——そして、〝杖を振るった〟。

 即ち——〝虐殺〟を始めたのだ。

 彼らの脳を貫き、首を刎ね、胸を裂き、手足をもいだ。

 彼らの目を抉り、耳を落とし、口を焼いた。

 中には反撃してくる者もいたが、斐上家は戦闘に特化した魔術の家系ではなかったので、この日のために準備をした斐上にとって、彼らの抵抗は脅威にはなり得なかった。

 知らない人間は即死させ、知っている人間は何度も魔術を叩き込んで入念に殺した。それが自らの心を非情にするのに最も手っ取り早い方法だと、斐上は考えたからだった。その結果得られたのは、覚悟の形をした諦観でしかなかったのだが。

 最後に、積みあがった何十人かの屍を施設ごと燃やして、彼はその場を去った。

 特に意識せずに思い出したのは——自らが腰掛けた瓦礫の、焦げて崩れた見た目が、かつて見た〝それら〟によく似ていたからだろう。

 しかし、改めて思い返してみて……〝意外だ〟と、斐上は思った。

 あれだけの事を何の躊躇いもなく実行した自分にそう感じたのではない。むしろ魔術師は人の道や道徳から外れた者が大半なので、あれを殺すことに、罪悪感を抱く謂れはなかった。

 興味深いのは、そんな魔術師でさえ——死ぬ直前には何の変哲もない〝悲鳴〟を上げたり〝命乞い〟なんてものをしたりすることだった。まるで普通の人間のように振舞う彼らの姿は——それで口元を歪めるほどではないにせよ——ひどく滑稽で見るに堪えなかった。

 ある〝出来事〟や〝経験〟が、自らの糧になる食料のようなものだとして……〝過去〟とは、それが消化されきって、汚物と化したものに過ぎない。ならば過去を振り返る、などというのは、その汚物を再び口に含み、咀嚼するようなものだ。その行為に意味はなく、ただただ不快であるのみ——斐上は常々、そう考えていた。

 過去がそうなら……未来、などというものは——

 扉が開く音、斐上は即座に杖を取り出し、音の方向にそれを向けた。

 ——襲撃か。

 防御と迎撃ができるように、魔力を編み上げる。

 一連の流れは、ほとんど無意識、地獄を経たことで身に着けた反射神経の賜物であったが——今回に至っては、彼の杞憂だった。

「あ……」杖の先にいた少女——空骸黑が、身体を硬直させて、その場に立っていた。

「……黑か」敵ではなかったことを確認し、斐上は杖を下ろした。「今日は呼んでいないはずだが」

「う、うん……ごめんなさい」ゆっくりと、呼吸の仕方を思いだす空骸。「斐上さんがくれた魔導書で……わかんない、とこがあって……次は、ちゃんとノックする、から」

 空骸が両手で抱えている本に斐上は目を向ける。分厚く、古びた魔導書。彼女を魔術師に〝仕立て上げた〟際、ついでに与えた魔術道具の一つだった。魔術師としての基礎は既に身についていたが、彼女なりに研鑽を積んでいたらしい。

「そうか。わからないところは全部か?」

「う、ううん……! 全部じゃなくて……たとえば、この、式の組み立てなんだけど——」

 斐上が問うと、空骸が上ずった口調で近づいてきた。わからない、というのに、心なしがそれを楽しんでいるかのような、矛盾した雰囲気だった。

「問題ない」そんな彼女に、斐上は冷静に声をかける。「お前は既に〈その本に書いてあることを理解できる〉ようになっている」

「えっ……」

 耳元に届いた言葉を受けて、空骸は〝嫌な予感〟がした。震える手で該当するページを開くと、数秒前まで不明だった理論が、頭にすんなりと馴染むようになっていた。

「……斐上さん、これって」

「織草鏡花の言霊で暗示をかけた。あとは、式を行使できるように魔力を増やせ。それは、暗示で誤魔化すには限界がある」

「……わかった、がんばる」

「他に用はあるのか」

「……もう、大丈夫」

 ありがとう、と小さく呟いて、空骸はその場を後にした。

 斐上は彼女の姿を見届けた後、握ったままの自分の杖を見た。

「……読めたのか、あれを」

 才能がある、と思った。

 魔術師としての、才能が。

 自らと他者に凄まじい影響をもたらす暗示の言霊だが、本質的に不可能なことを可能にする力ではない。これはあくまで〝その気にさせる〟力であり、空骸が魔術を理解し、デザイアまで会得しているのは、純粋な彼女自身のスペックだ。別の言い方をすれば、〝空骸黑が至る段階〟を前借りしているに過ぎないのだ。あの魔導書についても、暗示程度の助力で読めたということは、ある程度の時間さえあれば、いずれ彼女は理解できたのだろう——決して容易い内容の本ではない、にもかかわらず、だ。

 順当に行けば、並の魔術師を大きく引き離す魔力と実力を兼ね備える。

 その確信があった。

 そして彼女がもし……本物の魔術師を目指したとき。

 果たして自分には、彼女を——


「…………」

 考えるだけ無駄だ、と思考を切り捨てて、斐上は立ち上がった。

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