第7回ー6

 しばらく探し回ると、大人の二の腕よりも太い蔓を発見した。マチェーテを何度も力いっぱい叩きつけて切り落とした。

 女の子のもとに駆け戻った。彼女はブルーの羽が綺麗なフウキンチョウを見上げていた。

 勇太は蔓を差し出した。

「これ、傾けたら水が出てくるよ」

 言葉は通じない。

 勇太は実践してみた。

 女の子は好奇心と疑いが半々の顔で受け取ると、上を向いて蔓を掲げた。液体が流れ出てくる。

「喉、潤うでしょ?」

 女の子は唇を拭うと、笑顔を見せた。

「じゃあ、行こうか」

 自信を持って二人で歩きはじめたときだった。樹林の隙間から灰色の煙が立ち込めてきた。

 見上げると、樹木の枝葉が煙にむせたように揺れていた。木々の向こう側に炎が見え隠れしている。

 森が──燃えている!

 ぜんとした。心臓がバクバクと高鳴り、煙を吸ったわけでもないのに息苦しくなった。

 一瞬で危機感が全身を走る。

 それはもはや本能だった。

「逃げなきゃ!」

 勇太は女の子の腕を引き、植物を搔き分けながら走った。炎から遠ざかろうと走るうち、アラグァイア川の支流に出た。岸には枝葉の塊が生い茂っていた。黄土色の川に浮いた小枝や枯れ草が揺れながら流れている。対岸までは五十メートル程度だ。

 川岸には三匹のクロカイマンが寝そべっていた。体長は約三メートル。角質のうろこが黒鉄色に輝いている。黄色いガラス玉のような目玉が左右に動いていた。川面の上まで突き出た裸の枝で、ハゲタカに似た黒い鳥が二羽、羽を休めていた。

「……川を渡ろう。ここは浅いから」

 女の子がまた何かの〝音〟を漏らした。

 怖がっているのだろうか。だとしても、炎のことか、クロカイマンのことか、濁った川のことか、分からなかった。

「刺激しなかったら、心配ないよ」

 クロカイマンに襲われたインディオの話は頭の中から追い出した。十メートルは離れているから気づかれないはず──。そう願った。

 深呼吸してから二人で川に足を沈める。

 一歩一歩、川底の砂を搔き混ぜないくらいゆっくりと足を進めた。真昼の陽光が溶け込む川のなまぬるい水が腰にまとわりついてきた。黄土色の川面にかった下半身は見えない。

 突然、ボチャンッ、と砂袋が川に落ちるような音が聞こえた。視線を向けると、川岸のクロカイマンが二匹になっていた。

 勇太は目を剝いた。

 数メートル先に生じた波紋が動いている。少しずつ近づいてくる。全身が凍りつき、動けなかった。心臓だけが激しく跳ね回り、汗が額から頰を伝う。

 黄土色の川面が一瞬だけ盛り上がり、続いて黒光りするクロカイマンが顔を出した。黄色い目玉がぎょろりと動く。

「落ち着いて……落ち着いて進もう」

 泳いで逃げたい衝動と闘いながら、クロカイマンを刺激しないよう一歩ずつ進んだ。剝き出しのすねを水草や藻が撫でていく感触がある。

 背後で女の子が不安げな〝音〟を発する。

 振り向くと、彼女が濁った川面をじっと見つめていた。

 何かが足に触れた──のか?

 勇太はクロカイマンのいた方角に顔を向けた。川面から鰐の顔が消えていた。波紋もない。どこに潜ったのだろう。

 唾を飲み、腰元を見下ろした。黄土色に濁った川は、浸かった腰すら見えない。何かが潜んでいたとしても分からない。

「だ、大丈夫だよ。たぶん──ナマズか何かだよ」

 自分にも言い聞かせると、彼女の手を引いたまま川を進んだ。

「あっ」勇太はそれに気づき、声を上げた。「動かないで!」

 黄土色の水面の真下を全長五十センチほどのまだらの毒蛇が這うように泳いでいた。波紋一つ立てず──。

 川の中にいる毒蛇は凶暴で危険だった。

 心臓は今や破れそうだ。毒蛇はくねくねと水の中を泳ぎ、二人の体のあいだを──握り合った手の真上を通過した。

 勇太は息を吐くと、彼女と再び川を進みはじめた。

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