第7回ー2

「では、さっそく行きましょうか」

 高橋は深刻な顔つきでうなずくと、中年のセリンゲイロのもとに向かった。癖毛が渦巻くボサボサ頭だ。顔にはなめし革のようなしわが多いものの、眼光は力強い。腰には猟銃とゴム切りナイフを携えていた。

「話があるんだ、ジョアキン」

 ジョアキンと呼ばれたセリンゲイロは、首を捻った。右手の人差し指がない。

「目立つ場所は避けたい」

「……それじゃあ倉庫に行こう」

 高橋は途中、ゴムの採取量が倍増したセリンゲイロ数人も捕まえた。倉庫の両側には、ブロック状のゴム五日分が山積みになっている。

 高橋は大きく息を漏らした。黙ったまま面々を見回す。

 ゴムの臭いが立ち込めた倉庫に、重苦しい沈黙が立ち込めている。

「……話って何だ」ジョアキンがれたように口を開いた。「そろそろ回収に行かなきゃならない。それはユウジロウも同じだろ」

 高橋は三浦を振り返った。

「実は植物学者のセンセイから話がある」

 全員の視線が滑って来ると、三浦は胸を上下させて深呼吸した。意を決して口を開く。

「アマゾンの動植物は珍しいですから、フィールドワークとして散歩がてら観察していました。そうしたら、ゴムの木に元気がないことに気づきまして」

 セリンゲイロたちの顔つきが一斉に険しくなった。異分子から攻撃を受けたかのように──。

「おそらく、ゴムの木が過剰に傷つけられていることが原因だと思われます」

「ああ」高橋が続きを引き取った。「そこで俺に話がきて、確認したらゴムの木に傷が三本もあった」

 ジョアキンが唇を歪めた。

 高橋はうずたかく積まれたゴム塊の山を一瞥した。

「この数日、急にみんなのゴムの採取量が増えてるよな。そういうだったんだな」

「……すまん。ユウジロウは真面目だから、反対すると思って言わなかったんだ」

「ボスに密告したりはしない」

「ユウジロウを信用しなかったわけじゃない。ボスにも遠からずバレるさ。そのときは説得して協力させる。要は政府の目を欺ければいいんだ。

 別のセリンゲイロが説明した。

 採取用保護林に指定されるのは容易ではない。牧場主に殺されたセリンゲイロ兼環境保護活動家のシコ・メンデスも、長年闘い続けて三つの採取地しか守れなかった。だが、いったん採取用保護林に指定されれば、ゴムやブラジルナッツの採取しか許されなくなるという。

 高橋が眉間に皺を寄せたまま言った。

「だが、あんなに傷をつければ木の再生能力が弱まるぞ。肝心のゴムの木が死んでしまったら本末転倒だ」

 そのとき、靴音が倉庫に響いた。振り返ると、白髪の老人だった。古木の樹皮のように見える茶褐色の顔に皺が刻まれている。焦げ茶色のシャツを着て、肩に猟銃を掛けていた。

 高橋が三浦に言った。

「ジョアキンの祖父のセルジオだ」

「……雁首揃えて歩いていく姿を見たのでね、様子を見に来た」セルジオがしわがれた声で言った。「途中からだったが、話は聞いた。ユウジロウ、これはわしの発案だ」

「あなたの?」

「うむ。ここの採取地には例の研究発表も当てはまらんからな」

「研究発表?」

 高橋が訊き返すと、セルジオが語った。

 アマゾンには出荷して収益を得られる産物が数多くあり、その中でもゴムとブラジルナッツは飛び抜けている。森を生きたまま永久に利用すれば、伐採して牧場にする二倍の価値が出るという。だが、アクレ州と違い、ここの採取地は収穫量が少ない。

「採取地の価値を高めねば、保護林に指定させることもできん」セルジオはゴムの山をいとおしげに撫でた。「新参者のお前さんには分かるまい、わしらの辛苦は。わしが幼いころはこれほど恵まれた生活はできなんだ」

 セルジオは目を細めた。目尻に傷のような細かい皺が寄る。

 彼は静かに語りはじめた。

 十九世紀の終わりごろ、欧米で自動車が増産され、タイヤに使うゴムの需要が増した。五十年間でセリンゲイロは五千人から十二万人に増えていたが、労働力はまだまだ不足していた。白人たちは先住民のインディオを奴隷化して採取させた。しかし、苛酷な労働に耐え切れず大半の部族は逃げ出し、そして虐殺された。『涙を流す木』のために大勢の血が流れた。

 そんな時代、北東部が大かんばつに襲われた。作物も家畜も死んだ。米一合のために刃傷沙汰が起こるほど、誰もが飢餓に苦しんでいた。貧農のあいだにうわさが流れたのはそのころだ。

『樹皮を切るだけで白い金が流れ出る。一夜で大金持ちになれる』

 北東部の貧困者たちは噂をみにし、家も仕事も捨ててアマゾンの密林へ向かった。セルジオの父も例外ではなかった。残った数頭の牛を売って船賃を絞り出し、家族六人でゴムの採取地を目指したのだ。

 だが、現実は甘くなかった。誰もが金を払ってボスから採取道具や安物のライフル、小屋を借りねばならなかった。前貸しアヴイアード制だ。森林の使用料も徴収され、働く前からゴム一年分の借金を背負わされた。子供の教育も禁じられた。読み書きや計算を覚えられたらだませないからだ。

 隣人に会うにも徒歩で数時間かかる密林の奥地に家族で住み、朝から晩まで森を歩き回る日々──。

「俺たちは囚われの身カチヴエイロだ……」

 セルジオの父は吐き捨てると、せ細った体に鞭打って仕事に出た。幼いセルジオは母を手伝いながら帰りを待つしかなかった。

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