第7回ー3

 ゴムを売っても借金は増えた。ボスは秤に細工して目方を誤魔化しているようだった。

 食料は採取したゴムと引き換えに受け取る契約だったが、それだけでは食べていけない。しかも、カップに雨水が混ざる雨季にはゴム採取ができず、前借りするしかない。病気や事故で毎年何千人も死んでは新たに補充された。セルジオの父が森の奥でこっそり穀物を栽培しはじめたのは、そんなころだった。

「当時、自給自足は禁じられておった。採取者が作物を育てれば、借金で縛れなくなるからな。だが、父は芋を作った。あばら骨が浮き出た息子たちに『満腹』という幸せを教えてやるために……」セルジオの顔の皺が深まり、声に苦汁が滴った。「半年後だった。畑が見つかったのは。父はゴムを全身に巻かれて火を付けられ、家族の眼前で焼き殺された。それがあのころの罰し方だった」

「そんなことが……」高橋は同情の籠った眼差しをしていた。「制裁による殺害こそされなかったが、自分たち日本人移民も同じような苦境を経験した。ごととは思えない」

「セリンゲイロは今も苦しめられておる」セルジオが言った。「今度は新たな敵に──。森の侵略者どもに。だからこそ、ここを採取用保護林にする。手段は問わん。一時的にゴムの木が弱ったとしても、必ず回復する。それよりもまず、森を守るほうが大事だ」

 セリンゲイロたちがうなずいた。

 開拓が許されない採取用保護林──か。そのためにゴムの木に傷を多く刻み、採取量を水増ししているとしたら、その行為を一体誰が責められるだろう。

 開拓されてしまえば、ゴムの木が傷むかどうかどころではなく、全て伐採されてしまう。

 彼らとしても苦渋の選択だったのだろう。

 そのとき、セリンゲイロの一人が倉庫に駆け込んできた。息を切らし、肩を上下させている。

座り込みエンパチだ!」

 セリンゲイロたちの顔に一瞬で緊張が伝染した。

「また来やがったか!」

 弱った森にとどめを刺そうとするように、伐採作業員たちが現れたという。

「俺たちの森を守るぞ!」

 セリンゲイロたちは山刀マチエーテで武装し、激情に歪んだ顔で息巻いている。

 ひりつく緊張が肌にびんびんと伝わってくる。

 セリンゲイロたちが倉庫を駆け出て行くと、高橋が三浦に向き直った。

「センセイはここにいてくれ」

 高橋は言い放って背を向けた。

「いえ、僕も──」

 一方的な森の伐採と聞けば、見過ごせなかった。高橋は振り返って何かを言いたそうにしたものの、しばらく視線が絡んだ後、嘆息を漏らした。再び背を向け、駆けはじめる。

 集落を横切ったとき、走っているジュリアの姿が目に入った。彼女と目が合うと、互いに立ち止まった。

「森の破壊者が──!」ジュリアが切迫した顔で言った。

「はい。木々が伐採されているそうです」

「食い止めなきゃ」

「危ないですよ」

「覚悟の上」

 ジュリアが高橋の後を追いかけていく。

 三浦は二人を追った。

 密林の底を走り抜け、全員で現場へ駆けつけた。樹冠が消えているせいで灼熱の陽光が降り注いでいた。セリンゲイロたちが壁のように横一列になっている。ジュリアは一番端だ。

 彼らが睨みつける先では、伐採作業員たちが汗で光る褐色の上半身をさらしながらチェーンソーを操っている。数本の木が倒されていた。

「さっさと終わらせちまおうや!」口ひげの伐採作業員がチェーンソーの騒音に負けない大声で仲間に叫んでいる。「こんな木より、いい女を押し倒してえよ」

「やめろ」

 セリンゲイロの一人が怒鳴った。

 だが、伐採作業員は作業をやめなかった。刃は太い幹に食い込み、木の粉が散っている。

「やめろと言ってるだろ!」

 セリンゲイロが分厚い手で相手の肩を摑んだ。口髭の作業員がチェーンソーを振り回すように向き直った。

「邪魔するな。首を切り落とすぞ」

 セリンゲイロが眉を垂れ下げ、後ずさった。伐採作業員は鼻を鳴らすと、再び木を切りはじめた。

 そのときだった。森に銃声が響き渡った。伐採作業員たちの足元の土がはじけ、えぐれた。二発、三発と続く。誰もがチェーンソーを放り出して飛びのいた。電動の刃が土の上でのたくっている。

 三浦は銃撃の方角に目を向けた。奥の草葉の中からライフルの銃口が突き出ている。銃身を支える右手だけが見えている。

 再び銃口が火を噴いた。

 伐採作業員たちは慌てふためき、あっという間に散り散りになった。

 その様子を見届けた後、振り返ると、草むらから突き出ていた銃口が消えていた。

 一体誰が銃撃したのだろう。

 高橋も草むらを睨みつけていた。やがて、険しい眼差しのまま言った。

「……ひとまず危機は去った。集落へ戻ろう」

 三浦は高橋の背中を追って歩いた。

 集落に戻ると、高橋が高床式の小屋を順に覗き込んだ。昼食をとるセリンゲイロたちの姿を見つめる。

「どうかしましたか?」

 三浦は背後から声を掛けた。

「いや」高橋は背を向けたまま答えた。「利き腕を──な」

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