第1回ー4
クリフォードが怪訝な眼差しで訊いた。
三浦は蘭をまじまじと凝視した。
デニスはビニールの上から蘭をぽんぽんと軽く叩いた。口元に自慢げな笑みが刻まれている。
「金持ちの老人がご所望でな。妻の誕生日に贈るんだと。苦労して探し出したんだぜ」
三浦は目を
「絶滅危惧種では──?」
デニスは悪びれずに──むしろ、軽く顎を持ち上げ、堂々とした態度で答えた。
「だからこそ、高値で売れるんだろうが」
「……絶滅の危機に瀕している植物を採取したんですか?」
デニスはサングラス越しに三浦を見た。
「売れるものを採取する──。何が悪い?」
「採取してしまったらすぐに枯れますよ。プレゼントしても一時の観賞で終わりです」
「金持ちは一時でも楽しめばそれでいいんだろうぜ。
「……絶滅したらもう世界からその存在が消えてしまうんですよ」
「コップの酒を飲んだら空になる、みたいなこと言うなよ」
「重要なことです。種は守らなければ──」
「俺がちょっと採取した程度で絶滅すんなら、何もしなくても自然環境で淘汰されるさ」
「そういう問題では──」
デニスは鼻で笑った。
「環境保護の活動でもしてんのか?」
「こちらはドクター・ミウラです」クリフォードが言った。「今回、同行していただく植物学者です」
「へえ」
デニスはシャツの胸ポケットにサングラスを引っかけた。碧眼で三浦をねめつける。
「これから〝奇跡の百合〟を手に入れようってのに綺麗事かよ。百合を見つけたら採取すんだろ。それとも何か、絶滅危惧種だったら採取を諦めるのか?」
言葉に窮した。
女性店員が大瓶のカシャーサ──サトウキビの蒸留酒──と紙コップを運んできた。
デニスがカシャーサを紙カップに注ぎ、一息に飲み干してから鼻で笑った。折り目を入れたような目元の皺が深まる。
「金になるなら何でも採る。それが植物ハンターだ。植物の保護は仕事じゃねえ」
デニスは迷いなく言ってのけた。
彼は肩書きを免罪符にしているのではないか。
「おい」デニスがクリフォードを一瞥した。「机に齧りついてたセンセイの足に合わせるのはごめんだぜ」
〝センセイ〟だけは日本語だった。そこには
「いがみ合わず、チームで協力しましょう」
「教科書と睨めっこしてるセンセイ様が役に立つかよ。森の植物は俺の専門だ。〝奇跡の百合〟は俺が見つける」
デニスが決然と言った。
「頼りにしていますよ」クリフォードが「しかし──」と人差し指を立てた。「時間だけは守ってください」
「会社員はこれだから困る。これからアマゾンに入るんだぜ。密林でスケジュール帳が役立つか? 時間厳守が必須なら、ジャパニーズ・トレインにでも乗れよ」
クリフォードが眉を
「……リーダーは私です。指示には従ってもらわねば困ります。我々はチームなんです」
チーム──か。
三浦は面々を見回した。
製薬会社社員のクリフォード・スミス。
今回の旅のメンバーだ。
何が起こるか分からない未知の大密林──。
本当にこのメンバーでいいのだろうか。漠然とした不安が胸に兆した。
クリフォードがデニスに言った。
「出発は一時間後ですよ」
デニスは腕時計を確認した。
「三十分遅らせてくれよ」
「なぜです?」
デニスはビニールで包まれた蘭をボストンバッグに戻した。
「こいつを届けて金を貰わなきゃ、一週間、働き損だ。成功報酬は結構な額なんでね」
「それはあなたの事情でしょう?」
「人にはそれぞれ事情があるもんだろ」
「私の指示に従わないのであれば、報酬は支払いません。誰が雇い主か、よく考えてください」
クリフォードとデニスが睨み合った。火花が散るような視線が交錯する。
先に怒気を抜いたのはクリフォードだった。
「……引き延ばすのは三十分だけです」
デニスも表情を緩めた。
「感謝するよ、ボス」
譲歩することで逆に威厳を見せつけたのは、クリフォードだった。立場をはっきりさせる必要があったのだろう。
デニスが酒場を出て行くと、ロドリゲスはその背中を見送ってから「へっ」と吐き捨てた。
「気に食わねえイギリス野郎だ。俺の国を搾取してやがる」
クリフォードが言った。
「そういう意味では私も同じでは?」
ロドリゲスはアンタルチカに口をつけた。
「あんたは金を払ってくれる」
クリフォードが苦笑した。
ロドリゲスはアンタルチカを一気飲みした。
「あんなイギリス野郎、置き去りにして出発しようぜ」
「そうもいきません。アマゾンを知る貴重な戦力ですから。慣れた人間がいないと、密林に飲まれます」
「……ま、いいけどよ」
初っ端から不穏な空気が漂っていた。
やがて、クリフォードとロドリゲスはポルトガル語で旅の計画を話し合いはじめた。
クリフォードがアマゾン全域の俯瞰地図をテーブルに広げ、蛇行するアマゾン川を人差し指でなぞる。
「船でこう下って──」枝分かれしている支流で右へなぞる。「この支流を進む。そして、さらに奥地へ」
ロドリゲスが酒臭い息を吐いた。
「そこは迂回したほうがいいぜ」
クリフォードが「なぜです?」と訊く。
「その辺りは好戦的なインディオが住んでる。最近じゃ、地元の漁師が何人か撲殺されて見つかった」
「迂回したら時間がかかります」
「わざわざ銃弾を無駄にすることもねえだろうさ」
恐ろしいことをさらっと言ってのける。
脳裏にマテウスの死にざまが
三浦はミネラルウォーターで不快な味を流し込んだ。
「船から降りなければ平気でしょう?」
クリフォードが言った。
「森ん中から槍を投げられるかもしれねえぜ」
「アマゾンに多少の危険は付き物でしょう?」
「ま、発砲して脅してやりゃ、逃げ去るかもな。その支流を進んだ後はどうする?」
「どこかで上陸します」
「森を歩くんだな」
「はい。そこから先は未知です」
未知の大密林、アマゾン──。
日本の国土の二十倍近い面積を誇る世界最大の熱帯雨林だ。そこはちっぽけな人間など容易に飲み込んでしまう。迷い込んだら生還できないかもしれない。
彼女のように──。
ぐっと拳を握り締めたとき、尿意を意識した。一気に水分を補給しすぎたようだ。
「すみません」三浦は立ち上がった。「ちょっとトイレへ行ってきます」
クリフォードが「あそこです」と奥を指差した。
「どうも」
三浦は酒場から離れてトイレへ向かった。薄っぺらい板で仕切っただけの個室だ。床に穴があり、黒墨色のネグロ川が見えている。排泄物は小魚の餌になるのだろう。
板壁にはトカゲがへばりつき、動かない。
これからアマゾンか──。
否応なく気持ちが高ぶってくる。
三浦は用を足すと、一息つき、個室の扉を開けた。
サングラスをかけた大柄な白人二人が立ちはだかっており、洞穴のようなリボルバーの銃口と対面した。
頰に傷がある白人が訛りのある英語で命じた。
「手帳を渡せ」
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