第5回ー1


 8


 今日はゴムの商船が来る日だった。

 たかはしは他のゴム採取人セリンゲイロたちと倉庫へ行き、ゴムの板をかつぎ出した。肩にのしかかる重みは、日々の仕事の結晶だ。運んでいると、多少は誇らしい気分になる。

 高橋は仲間と共に森を進んだ。葉の衣で着飾った木々が競い合うように伸び上がっていた。朝日も樹冠に遮られて地上まで届かない。熱帯雨林は濃緑色に沈んでいる。

 見上げるような樹林の底を一列で歩いていると、誇らしさは薄れ、切り取った葉を運ぶ葉切り蟻サウバの気持ちになってくる。

 光沢が鮮やかな体長わずか五センチのハチドリが十数羽、高速で枝から枝に移動している。羽ばたきは翼が数枚に見えるほど速い。木にぶつかったら、細長く尖ったクチバシが突き刺さりそうだ。

 汗水を流しながら五キロ歩くと、トゥピ語で〝コンゴウインコの川〟を意味するアラグァイア川にたどり着いた。対岸の樹林が低く見えるほど幅広だ。黄土色の川面に陽光が溶け込んでいる。

 商船は岸に停泊していた。その船の形状から鳥籠ガイオーラ船と呼ばれている。

 黒縁眼鏡をかけた船長は、〝口は悪いが男気のある船乗り〟を気取りたがっている学者──という印象だ。麻薬でハイになった床屋が切り刻んだような髪型をしている。腰には護身用の拳銃が一丁、差してあった。

 セリンゲイロがゴムの板をガイオーラ船に運び込もうとした。が、船長はタラップの前を動こうとしなかった。

「……何なんだ?」イタリア系ブラジル人のボスがいた。

「見ろ」船長はガイオーラ船を指差した。「途中で威嚇された」

 目を凝らすと、船の側壁に黒い穴が穿うがたれていた。

「一体誰がこんなことを」

「誰だと? 牧場主だろ。揉めてるそうじゃないか」

「奴らは侵略者だ。俺たちは森を守るために──」

「そんなことは関係ない。面倒は困る。いいか。今月は買い取るが、トラブルを解決しなければ来月は買い取らん」

「待ってくれ。牧場主が権利を振りかざして現れたら、そう簡単には解決しない。奴らを追い返すには何ヵ月もかかる」

「行き来するたびに弾痕を増やすつもりはない」船長は人差し指を立てた。「一ヵ月だ。一ヵ月以内に解決できなければ、ゴムはもう買い取らん」

 セリンゲイロたちが一斉に抗議の声を上げた。ゴムの値が下がっている今、船長としては牧場主の脅迫に逆らってまでこの商売に固執する理由はない──ということか。

「さあさあ」船長はタラップを空けた。「さっさとゴムを積み込め。何日も留まらないぞ。俺たちはまた襲われる前に去る」

 セリンゲイロたちがゴムの板を運び込み、船上に備えつけられたはかりのフックに引っかけた。目盛りが揺れ動く。若い船員が腕組みをして凝視している。目は計算機さながらに無感情だ。

 高橋はゴム板を運び込むと、世相を知るのに必要な古新聞十数日分を船員から購入した。仲間は往復するために集落へ戻っていく。

「あの……」ジョアキンが顔馴染みの船員に訊いた。「今月の手紙はあるかな」

 ジョアキンは町の元娼婦と文通中だ。

 船員は「待ってろ」と言い残して船室に引き返し、手紙を持って戻ってきた。ジョアキンは半信半疑の様子で受け取ると、高橋に差し出した。

「……読んでくれ」


 愛するジョアキンへ。

 私はあなたと暮らしたいです。

 遠く離れたまま不慣れな文字だけでやり取りするの、つらいです。

 子供には父親が必要です。どうか、町で一緒に……。

 待っています。


 ジョアキンは黙って聞いていた。腕組みし、人差し指で二の腕をコツコツと突っ突いている。

「おい」船員が口出しした。「町に行きたいなら、帰りに乗ってってもいいぜ。船長に掛け合ってやる」

 ジョアキンは答えなかった。

「船は明日の夕方に出るからな」

 ジョアキンはうなずいてきびすを返し、原生林の奥へ姿を消した。


 高橋は息子と密林の底を歩いていた。

 突然、銃声がはじけた。ホエザルが金切り声を上げた。鳥の羽ばたく音が飛び交う。

 高橋は警戒し、身構えた。

 アンドラーデの一味かもしれない。

 落ち葉や小枝を踏み締める音が近づいてくる。獣ではない。人間の歩き方だ。草むらが不自然に揺れ動き、裂けるようにき分けられた。

 姿を現したのは、ジョアキンの祖父、セルジオだった。右肩に猟銃を掛け、右手で鹿の四肢を束ねて持っている。

「ユウジロウか。わしの猟場に踏み入るでない」セルジオは鹿の死体を持ち上げた。「こうなりたくはなかろう」

 枯れ木色の肌に刻まれたしわは、木彫りの人形を思わせる。白色と灰色のまだら髭が唇の周りを覆っている。水色のシャツには土の汚れが染みついており、左脇の下がめくれるように破れていた。

「すみません」高橋は答えた。「向こうに蜂が多かったので、つい回り道を──」

 セルジオは二十年前からジョアキンにゴムの採取を任せ、自身は狩猟で生活している。毎日早朝から夕方まで百数十本のゴムの木を回るために二十キロ以上歩き回るより、そこらじゅうに生息している獣を仕留めるほうが楽だからだ。

 突然、草むらが割れ、子鹿が飛び出してきた。ブラジルナッツの木の根元を一周し、母鹿を見上げた。セルジオが八十歳の年齢に見合わない機敏さで動いた。

「あっ──」

 高橋が声を漏らした瞬間、セルジオが母鹿を投げ捨てると同時に猟銃を構えた。引き金を絞る。銃声が轟く。

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