第3回ー5



 5


 熱帯雨林がどんどん深くなっており、羽根状の葉と果実の房を実らせたつたが辺り一面に渦巻いていた。深緑の壁の中に、ところどころ円盤形の赤い花が咲き誇っている。

 うらはリュックサックを背負い、クリフォードたちに付き従って樹林を歩いていた。先頭はロドリゲスで、マチエーテで蔓草を切り落としながら進んでいる。ライフルを背負ったデニスは、常に一帯に警戒の目を這わせていた。

 差し交わす枝葉が樹冠を作り、そこから射し込むわずかな木漏れ日が木々や草葉に纏わりついていた。瑠璃色の小鳥、ヒタキが火打ち石を打つような声で鳴いている。

 重いリュックサックのショルダーハーネスは両肩に食い込んでいた。三浦は、ふうふう、と息を乱しながら歩いた。

 アマゾンジャガーを追い払った後、デニスとロドリゲスが警戒を怠らないまま漁船に舞い戻り、荷物を回収してきた。漁船が炎上したのはその直後だった。搔き集めた物資は全員で分散して背負っている。

 懐中電灯、簡易テント、寝袋、缶詰、ペットボトルの飲料水、チョコレート、ビスケット、干し肉、タオルや着替え、抗生物質などの薬類──。

 確保できたのは必要最低限の装備だ。大密林の中で何日も歩き回るには頼りない。

「これで〝奇跡の百合ミラクルリリー〟が手に入らなきゃ──」ロドリゲスは苛立たしげにマチェーテを振るい、巨大な蜘蛛の巣のように繁茂する蔦を切り裂いた。「やってられねえぜ」

 真後ろを歩くクリフォードが言う。

「相応の賃金は払っているでしょう?」

「船を失って森をさ迷い歩くはめになった今、割に合わねえ」マチェーテを真横に薙ぎ払う。「倍額は貰わねえとな」

「〝奇跡の百合〟を見つけたらいくらでも払いますよ」

「成功報酬は成功報酬でちゃんと貰う」

「要求は仕事をこなしてから主張してください」

 ロドリゲスはマチェーテを振り回すのをやめ、クリフォードに向き直った。

「俺があんたにどれだけ従ってきたと思ってる?」

 クリフォードが眉をピクッと反応させた。

「……川底からわずかばかりの砂金を採取する毎日を一生続けたいですか? 水銀中毒のどん底に舞い戻りたくなければ、無駄口を叩かず、働いてください」

 ロドリゲスが顔をゆがめた。

「〝奇跡の百合〟は人類の希望となるだけではなく、莫大な利益を生みます。発見したらそれこそ黄金の山も同然です」

「……黄金郷エル・ドラドより信憑性がある話ならいいけどな」

「〝奇跡の百合〟の存在を信じてないんですか?」

 ロドリゲスは皮肉な笑みを浮かべた。

「俺は砂金を採るしか能がねえ。製薬会社の小難しい話なんざ、理解できるかよ。俺は金で雇われてるだけだ」

 ジュリアは二人の口論をじっと眺めていた。ロドリゲスがその視線に気づき、彼女をねめつけた。

「なんか文句でもあんのか?」

 ジュリアは軽く肩をすくめた。

「言いたいことがあんなら言えよ」

 彼女は黒髪を耳の後ろに搔き上げた。

「……製薬会社が本当にそんな百合の存在を信じているのか、気になっただけ」

 クリフォードが「というと?」と首を捻った。

「だって──」ジュリアは旅のメンを見回した。「会社にとんでもない儲けをもたらす植物を探してるにしては、心もとないメンバーじゃない?」

 デニスがカチンときた顔で口を挟んだ。

「俺が頼りないってのか? 素人の女子大学生よりましだと思うけどな。俺は密林のスペシヤリストだ」

「そうだとしても、あくまででしょ。アメリカの製薬会社が本気だったなら、もっとしっかりしたを組織して万全を期するんじゃない?」

 言われてみればそうかもしれない。植物の専門家は二人だけ──植物学者、植物ハンター──で、後は製薬会社社員とボディガード役の金採ガリン掘人ペイロだ。イレギュラーな形で同行することになった大学生のジュリアを含め、たったの五人だ。

 熱帯雨林での安全を確保するための案内人も不在だし、サバイバルの専門家もいない。デニスはアマゾンに慣れていると自負しているが、果たしてどこまで頼りになるか──。

 デニスがクリフォードを見た。

「言われっぱなしかよ?」

 クリフォードは眉間に皺を寄せ、考え込むように沈黙していた。唇は真一文字だ。

 誰もが彼が口を開くのを待っていた。

 やがて、クリフォードが言葉を発した。

「正直に明かせば、残念ながら、社の会議で〝奇跡の百合〟の存在を認めさせられたわけではありません。懐疑派が多数を占めており、このプロジェクトに潤沢な予算を確保できませんでした」

 考えてみれば、製薬会社のいち社員であるクリフォードが現場に出向いている時点で不自然さを感じるべきだった。

 三浦は彼に訊いた。

「では、〝奇跡の百合〟の存在は眉唾ものなんですか?」

「そうではありません。しっかり調査し、データを集め、存在を証明したつもりです。頭の固い年寄りたちが慎重論を唱えているにすぎません。しかし、彼らが会社の決定権を握っているのです」

「おいおい」ロドリゲスが疑心の目でクリフォードを見た。「上がそんなんなのに、ちゃんと報酬は出るんだろうな」

「もちろんです。〝奇跡の百合〟さえ発見すれば、年寄りたちも目が覚めるでしょう」

 ロドリゲスの目に渦巻く猜疑はなくならず、ただ、じっとクリフォードの顔を睨みつけていた。

 やがて、デニスが「さあ、暗くなる前に少しでも進もうぜ」と切り出し、また五人で歩きはじめた。

 薄暗い影の底にシダや蔓植物が濃密に寄り集まり、深緑の壁となっていた。生存競争に勝った植物だけが太陽を得られる。

 植物学者としては、歩くたびに変化する生態系が興味深く、目を引くが、大半の人間には樹木と草花が延々と続く緑の地獄にしか見えないだろう。しかし、ほとんど無防備で密林のど真ん中に放り出された今、知的好奇心で植物を観察している余裕はなかった。

 歩き続けているうち、ロドリゲスが急に立ち止まった。クリフォードが「どうしました?」と訊く。

 ロドリゲスはマチェーテで茂みを軽く払うようにし、ズボンのチャックを下ろした。蛇のようなペニスがこぼれ出る。

「溜まっちまった」

 ロドリゲスはペニスをつかむと、草むらに向かって放尿した。くすんだ黄色の小便が放物線を描く。

 デニスが呆れ顔で言い放った。

「仲間と間違われて毒蛇に嚙みつかれんなよ」

 ロドリゲスが「へっ」と鼻で笑う。「嚙み合ったら俺の蛇のほうがつええ」

「じゃあ、勝負してみろよ」

「あ?」

 デニスが草むらを指差した。ロドリゲスが顔を向けると、そこには暗緑の蛇が顔を見せていた。

「うおっ!」

 ロドリゲスが飛びのいた。小便が撒き散らされた。

「クソッ!」

 ロドリゲスは舌打ちすると、マチェーテを振り下ろした。蛇の頭部が地面に落ちた。頭が切り落とされても赤黒い舌がチロチロとうごめいている。

「嚙み合うんじゃなかったか?」

 デニスが茶化すように言った。

「うるせえ」

 ロドリゲスはいまいましそうに蛇の頭を踏み潰すと、改めて小便をした。すっきりした顔で「行くぞ」と歩きはじめる。

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