第3回ー4

 球根状のゴム塊が二つ出来上がると、高橋は肩に担ぎ、集落の北にある倉庫に向かった。鉄製の扉は開けっ放しだ。鼻をつくゴム特有のにおいが外まで漂っている。

 中に入った。右側にはゴムの厚板がうずたかく積まれ、左側には樽状のゴム塊が並んでいる。

 奥にはイタリア系ブラジル人のボスが腕組みをして待っていた。十九世紀後半、ゴムの最盛期に移民してきたイタリア人の子孫だ。刑務所の中で威張る看守を思わせる。

 ボスの前には、ゴムの板や塊を持った十人ほどのセリンゲイロが列を作っていた。

「遅いぞ、日本人ジヤポネース

 ボスは決して名前で呼ばない。大勢のセリンゲイロ、そしてその中のジャポネース。

「すみません」

 高橋は謝りながら、二つのゴム塊を順番にはかりに載せた。

「うむ」ボスはゴムの重さと質を確認し、足し算した。「悪くないゴムだな。七十レアルだ」

 高橋は懐から帳簿を出して記載した。

 ゴムの採取地を仕切るボスは、複雑な計算ができない文盲のセリンゲイロたちを巧妙にだまし、買値を誤魔化すのが常だった。それは百年前から変わらない。そんな状況の中、ここでは文字が読めて計算もできる高橋が仲間に押し切られ、不正の監視役を兼ねた帳簿係になった。日本人は生真面目だからこずるいまねをしない、というイメージがあるのだろう。

 セリンゲイロたちが順にその日のゴムを量っていく。

「四十五だな」

旦那セニヨール」老いたセリンゲイロが詰め寄った。「もう少し高値でお願いしますよ」

「虫の死骸が入った酒に金を出す客がいるか? 同じことだ。見ろ。虫が何匹交ざったゴムだ? 文句があるなら買わん」

 老いたセリンゲイロは結局、舌打ちして引き下がった。ゴムの厚板を秤から取り上げ、隅に運んで積み上げる。

 全員が計量を終えて引き揚げていくとき、口笛が聞こえた。振り返ると、ボスが顎をしゃくった。彼が他人を呼びつけるときのやり方だ。

 高橋は出て行く仲間の背中を横目で追った。

「何です?」

 ボスは人差し指で鼻の下を撫で回していた。普段は単刀直入で、相手の感情など気にせず言いたい放題なのに、今、躊躇している。一体なぜだろう。

 警戒しながら待つと、やがてボスが口を開いた。

「お前の計算式は……間違っている。明日以降、を使ってもらいたい。帳簿係としてな」

 一瞬、意味を理解しかねた。ボスは──暗に不正の黙認を求めている! 計量を誤魔化すから従え、と。

「仲間を裏切れと?」

「その仲間のためだ。最近はゴムが値下がりして買い手に足元を見られている。わしにはほとんど儲けなど残らん。それでも、仲介を続けている。お前たちのために。だが、そんな話で値引きに納得する奴など一人もいない。だから気づかれないように値を操作する」

 今の時代は他国の栽培ゴムや合成ゴムが主流となり、ブラジルの天然ゴムは価値が下がっている。

「セリンゲイロのために買い叩くなんて、べんでしょ」

「全く売れんよりましだろ」ボスは少し考えるように間を置き、ため息をついた。「そうだな……しばらく協力してくれたら、町での仕事を紹介してやろう。森の生活より楽ができるぞ」

 計算ができる〝監視役〟を町に追い払えれば、セリンゲイロを騙しやすくなるからだろう。そんな真意を知りながらも心が揺らいだ。

 黙っていると、ボスが続けた。

「使えるコネは使えるときに使え。ジャポネースは真面目すぎる。〝ジェイチーニョ・ブラジレイロ〟という表現を知っているか? 法律や規則では不可能でも、機転やコネを駆使して可能にするブラジル流の問題解決法のことだ。こっちじゃ、このジェイチーニョを使えることが評価につながる」

「しかし──」

「ブラジルのことわざにこういうものがある。〝死ぬという事実は変えようがないが、それ以外のことなら必ずなす術があるはず〟」

 ──勇太、森の生活、好きか?

 ──うん、好きだよ。仕事は好きじゃないけど。

 父親に気を遣った息子の顔が頭を離れない。

 計量の不正を見逃せば町で暮らすチャンスが訪れる──。それは甘美な誘惑だった。

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