ロスト・スピーシーズ

下村敦史/小説 野性時代

第1回ー1


 プロローグ


 ブラジル北部      


 燃える太陽の下、未舗装の赤茶けた道路が地平線まで延びていた。両側の森は遠方まで切り開かれ、まるで墓場だ。ところどころに残る枯れ木は、救いを求めて地中から伸びる焼けただれた腕を思わせる。緑は毛をむしられたように散らばっているだけだ。

 ロドリゲス・シウバは開発されたアマゾンの末路を見ながら歩いた。脳みそが煮立ちそうなほどの暑さだ。肌が焼ける。汗がとめどなく流れてくる。しかも森の中と違い、土ぼこりが砂色の帯となって風に流されている。喉がいがらっぽくなった。何度も目をこすり、咳をした。

 体長五十センチほどの茶色いハナグマが二匹、けだるげに道路を横切った。

 汗みずくのシャツに覆われた腹の脂肪を揺らしながら歩くと、金の採掘地に着いた。

 いつかく千金を夢見て十万人の金採掘人ガリンペイロが押し寄せているきんの採掘地は、ロンドニア州の州都ポルトベーリョから約七十キロの場所にあった。半砂漠化した荒涼たる大地が広がり、無数の砂岩がコブのように盛り上がっている。

 体を蒸し焼きにしそうな熱風が吹き渡るたび、乾ききった大地からじんが舞い上がった。口で呼吸すると、砂の味がする。

 褐色の肌を剝き出しにした子ども六人が一列で歩いていた。半ズボン一枚だ。砂金をすくうための薄っぺらな鍋を頭に載せ、日よけにしている。その下からのぞく目は攻撃性を秘めていた。

 これがブラジルの現実だった。ごく一部の金持ち以外は地べたをいずり回り、泥水の底に埋もれた幻の希望をあさりながら生きていかねばならない。

 ロドリゲスは採掘場に向かった。巨大な手で森を引っ剝がしたように砂地が表出していた。照りつける太陽で干からびた裸の大地のあちこちがえぐられ、周辺に板やビニールで作った掘っ建て小屋が点在している。ところどころ、雑草の茂みが申しわけ程度に生えていた。

 帽子を被ったガリンペイロたちが汗まみれで行き交っている。一人が「今日は朝から大量だったぜ」と自慢していた。

 ──ほら吹き野郎め。

 砂金一粒しか見つけられなくても、大量だったという得意顔をするガリンペイロは少なくない。見栄というより、自分だけ外れくじを引いたことが我慢できないのだ。

 ロドリゲスはライバルたちを横目に歩いた。

 赤錆色のマデイラ川が──欲望が沈む川が延びていた。

 板張りのしゆんせつせん──ポンプで川底から砂を吸い上げる作業船──が数百そう、所狭しと並んでいる。竜巻に襲われた木造のボロ小屋が数多く浮かんでいるようなあり様だった。けたたましい音を立てている。

 ロドリゲスは、自分の浚渫船──ポールに焦げ茶色のアナコンダの皮が巻きついている──を眺めた。デッキでは、紺のロングシャツ一枚の女がバケツに腕を突っ込み、それだけが自分の存在意義であるかのように衣服を揉み洗いしていた。どの船にも炊事洗濯を担当する女が一人、必ずいる。

 ロドリゲスは自分の浚渫船に乗り込むと、洗濯を続ける女の横を通り抜け、板張りの船室に入った。上半身裸の浅黒い男が二人、動き回っていた。

「よう、気張ってんな」

 声をかけると、瘦せぎすの一人が歩いてきた。左右の脚の長さが違うかのようにいびつな歩き方だ。まいを起こしたのか、額を押さえて首を振る。

おせえよ、ロドリゲス。他の奴らに金を横取りされちまうぞ」

「寝坊しちまったんだよ」

「さっさとはじめろよ」

「おうよ」

 船室では、ポンプで吸い上げた川底の土砂が傾斜した板を流れていた。そうすると、比重の重い金を含んだ砂が残るのだ。

 ロドリゲスは作業をはじめた。床板に溜まる砂をステンレスの皿で掬い、ドラム缶に注ぐ。それを繰り返した。

 隅に置かれたポリエチレンの容器の一つを持ち上げ、ドラム缶に戻って中身を注いだ。大量の水銀だ。

 ロドリゲスは金棒でドラム缶の中をき混ぜた。やがて水銀が砂に含まれていた金に付着して塊になると、それを黒鉄の鍋に乗せた。塊にガスバーナーで青白い炎を噴きつける。こうして金と分離するのだ。表面が赤黒く変色しはじめ、蒸発した水銀の薄膜が立ちのぼる。

 水銀が蒸発した後には、少量の砂金が鍋に残った。それを薄紙に移す。

 ロドリゲスは薄紙を折り曲げて漏斗代わりにし、砂金を空のやつきようの中にこぼしていった。金を詰めて撃つわけではない。壊れたはかりの代わりだ。

 黙々と金の採取作業を繰り返した。夕暮れになると、ようやく一段落だ。

 今日は調子がよく、薬莢一発分の金が採取できた。

 これがガリンペイロの日常だった。

 毎日毎日、ほんのわずかな金を採取し続ける。

「今に見てろ」ロドリゲスは仲間を振り返った。「絶対、金を掘り当てて庭とプール付きの豪邸に住んでやる」

「へっ」瘦せぎすの仲間が笑った。「十年前からそう言ってるじゃねえか。十年後も同じ台詞せりふを吐いてるだろうぜ」

「うるせえ。夢は馬鹿でかく持つもんなんだよ」

「俺は毎日町で女が買えて酒が飲めりゃそれでいい」瘦せぎすの仲間が自嘲の笑みを浮かべる。「川にゃ馬鹿でかい夢なんざ沈んでねえんだ」

 ロドリゲスは肩をすくめると、船室の入り口に鉄製の鍋を置き、その上でヤシの実の殻に火をつけた。黒色の煙が糸のように立ちのぼる。夕方は大量の蚊が飛び交うから、即席の蚊取り線香だ。

 そんな中、異分子が現れたのは一際暑いある日のことだった。高級そうなシャツを着た白人だ。黒色の髪は乱れもせず、整っている。

 船群の前の岸に突っ立っている白人を目に留めたとき、ロドリゲスは船上から声をかけた。

「ここは金持ちの白人様が来るような場所じゃねえぜ。お高いシャツが汚れちまうぞ」

 白人は値踏みするようにロドリゲスを見上げた。

「……腕利きを探してます」

「あん?」

「お金に興味は?」

 ロドリゲスは鼻で笑った。

「十何年も金を獲り続けてんだぜ、俺は」

 ロドリゲスはきびすを返した。船室に入ろうとした瞬間、白人が船に乗ってくるのに気づいた。

 無視して船室に踏み入ると、後から白人も現れた。船内の仲間が異物をにらみつける。

「何だよ、そいつ」

「知るかよ」ロドリゲスは金採取の準備をしながら答えた。「身ぐるみ剝がされたい間抜け野郎じゃねえか?」

 仲間が馬鹿笑いしながらガスバーナーで塊をあぶった。煙が充満しはじめる。

 白人は鼻と口を押さえると、顔をしかめた。

「物凄い臭いの煙ですね……」

「ああ」ロドリゲスは答えた。「こうやって炙って水銀が蒸発したら砂金が残るんだよ」

「そんな煙を吸っていたら病気になりますよ」

「煙草は好きなんでな。俺の肺は丈夫なんだ」

 ロドリゲスは椅子に腰掛けた。腹の脂肪がいっそう盛り上がり、短いズボンのベルトにのしかかった。干し肉をかじり、しやくする。飲み込もうとして喉元を押さえた。片眉をゆがめて首をひねり、それから喉仏を上下させた。

「話を聞いてもらえませんか」

 白人が言った。

さんくせえ白人の話なんざ、聞く耳はねえ」

 ロドリゲスはコーヒーをれると、小さなスポイトの中身をしたたらせた。

「それは──?」

 白人が不審そうな口ぶりでく。

「水銀だ。それがどうした?」

「水銀? 水銀は毒ですよ。知らないんですか?」

「俺はこうして飲むのが好きなんだ」

 仲間の一人が水銀の溜まったドラム缶の中身を川に流した。変色した液体が川の水と混ざり合い、流れてゆく。

 白人はその様子を眺めながら言った。

「金の採掘地では毎年千トンの水銀が垂れ流されていると新聞で読みました。下流で生活する森の人間は、みんな水銀に冒されているそうです」

「だったら何だ? お説教するためにやって来たのか?」

「……いえ」

「へっ」

 コーヒーを傷だらけの木製テーブルに置いたとき、仲間の一人がボロボロのトランプを掲げた。テーブルには古びた拳銃──ブラジル製のS&Wスミス・アンド・ウエツソンが無造作に置かれている。

「ひと勝負しようぜ、ロドリゲス!」

 ロドリゲスは「おう」と応じ、木箱に尻を落とした。ふと思い立ち、白人に目をやった。

「お前も交ざれよ」

「え?」

「金持ってんだろ。吐き出していけよ」

 二人の仲間が「ビビってんのか」と挑発する。

 白人は若干困惑を浮かべたものの、嘆息すると、向かいの木箱に座った。

「……いい度胸じゃねえか」

 ルールを共有してから勝負をはじめた。白人は思いのほか強く、あっという間に場の賭け金を搔っ攫った。取り返そうとして裏目に出る。

 白人が一人勝ちの様相を呈してくると、ロドリゲスはみし、拳を震わせた。

 カードの隅をめくる指は小刻みに震えている。

 白人がそこに視線をじっと注いでいた。

「その震えは水銀中毒のせいでは?」

「うるせえ!」ロドリゲスは二百レアルを賭けた。「ビッド。勝負に出るぜ」

 白人はカードの端をめくり、数字とマークを覗き見た。

「……コール」白人は賭けに乗り、同額の二百レアルを押し出した。「三枚交換します」

「俺は二枚だ」

 ロドリゲスは配られた二枚を確認すると、唇を歪めた。

「ふんっ、レイズ」ロドリゲスは賭け金を上乗せした。「後三百レアルだ」

 ガリンペイロの仲間二人が揃って降りた。勝負しても勝ち目がないと悟ったのだろう。

 白人は配られたカードの隅を持ち上げて確認した。

 ロドリゲスは相手の顔を観察した。だが、表情から手札は読み取れなかった。むんむんする熱気が船室に籠もり、額から汗が流れ出る。

「レイズ」白人は紙幣を押し出した。「後四百レアルです」

「俺もレイズ。後百五十レアル」

「レイズ。後四百レアル」

「同じだ」

 白人は表情を変えないまま、「全額を」と言い放った。

 ロドリゲスは顔をしかめた。

 持ち金を全て賭けて大勝負するか、今までに賭けた金を諦めて降りるか──。

 降りても全てを失うわけではない。挽回のチャンスはまたやってくる。

 ロドリゲスは舌打ちすると、テーブルを叩いた。

「……降りる」

 白人は場に出ている金を引き寄せた。

 仲間のガリンペイロが薄笑いし、「結局、何だったんだ?」と白人のカードに手を伸ばした。白人は仲間の手のひらを押さえつけた。

「カードに触れるのはマナー違反です」

「おいおい、『役』を見たいだけじゃねえか」

「癖や戦術を読まれたくないんです」

「……なるほどな」仲間が手を引っこ抜き、ロドリゲスを睨みつける。「ロドリゲスがいつもカードを見せねえ理由が分かった。勉強になったぜ」

 白人はカードの表を誰にも見せず、山札に返した。

 大勝で流れが決まった。ロドリゲスは連敗し、最後にカードをテーブルに叩きつけた。五枚が裏表バラバラに散らばる。

「負けだ、負け。やってられるか!」

「勝負ありでしたね」

 白人は澄まし顔で取り分の紙幣を整えた。

 二人の仲間は白人に気づかれないよう、目配せしていた。金の採取場では欲と憎悪が渦巻き、金や女を巡って銃が火を噴き、山刀フアツコンが振り下ろされる。昔から何百人も殺されてきた。人の死も笑い話ピアーダのような調子で語られる。

 るか──。

 テーブルのS&Wをチラッと見やり、尻を浮かせようとした瞬間──。

 白人が先に動いた。一瞬、場が緊張した。だが、白人は自分の勝ち分を全部テーブルのこちら側へ滑らせただけだった。

 ロドリゲスはくびひねった。

 白人は三人を見回し、言い放った。

「手付金です。もっと稼ぎませんか? 私はボディーガードを必要としています」

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