第8回ー6

 セリンゲイロの一人が嫌悪に顔を歪めた。

「仲間を疑うな。薄汚い口から今度そんなたわごとを吐いたら、お前のコーヒーに小便入れてやるからな」

 侮辱的な暴言を受けても高橋は意に介さず、反論した。

「喉の切り口が特徴的だった」高橋が空想のナイフで横一文字に切る真似をする。「ゴムの木の切り方だったんだよ」

「馬鹿言うな! 俺たちにどんな動機がある。アンドラーデの腐った短小ペニスなら誰もが切り取ってやりたいがな」

「分かったぞ!」ほそおもてのセリンゲイロが訳知り顔で言った。「アンドラーデの糞豚野郎の策略だ。俺らに罪を着せる気なんだ。だから俺らの癖を真似たんだ」

 高橋が「どういう意味だ?」と訊く。

「政府を利用して俺らを潰す気だ。俺たちセリンゲイロがよそ者の白人を殺害したとなったら、政府が動くだろ。政府を敵に回したら座り込みエンパチで抵抗するどころじゃなくなる。そこを狙って森を開拓しちまう作戦なんだ」

「罪をなすりつけるならもっと別のやり方があるんじゃないか。切り方の癖なんて、政府の人間には分からないだろ」

「じゃあ、何だっていうんだ?」

 結局、セリンゲイロたちの中に疑心が蔓延しただけだった。


 夕闇が忍び込む時間帯、三浦はジュリアの小屋を訪ねた。考え抜いたすえのことだった。

「──話って?」

 ジュリアは木製の椅子に腰かけていた。

 三浦は立ったまま彼女の顔を見返した。瞳に警戒心などは宿っていない。

「デニス殺害の件です」

 ジュリアが「ええ」とうなずく。

 三浦は深呼吸した。

「──あなたが殺害を依頼したんじゃないですか」

「は?」

「実は昨晩、見てしまったんです。何の話か分かりますよね?」

 三浦はそう言って彼女の顔色を窺った。

 ジュリアの目がスーッと細まる。

「……覗き見はあなた?」

「意図的ではありません。用を足そうとして外に出たら、が聞こえて、心配になって様子を見に行ったんです」

「……そう」

「あなたが誰かの殺害を依頼していました」

 ジュリアの目は探りを入れるように、細くなったままだ。

 三浦はごくっと唾を飲み込んだ。

 彼女は一呼吸置いてから口を開いた。

「誤解よ」

「しかし、たしかに聞いたんです。ベッドの相手に〝あいつを殺してほしい〟と囁いていました」

「……私はデニスの殺害は依頼してない」

「デニスの殺害──?」

 ジュリアは眉間にたてじわを刻んだ。

「殺そうとしていたのは他の誰か──ということですか?」

「……ええ」

「一体誰を──」

 彼女の口から出てきた名前は意外なものだった。

「アンドラーデ」

 三浦は目を見開いた。

「なぜアンドラーデを──? 環境破壊者だからですか? アマゾンを守るために──?」

 問いただすと、ジュリアは木製テーブルの上のカップに視線を落とした。

 覚悟を決めるように、しばし沈黙を作った。うつむいたまま桃色の唇を開く。

「森の中に置き去りにされたとき、私が話したこと、覚えてる? リオでの生活」

「もちろんです」

 リオ・デ・ジャネイロの貧民窟フアベーラで生きていたジュリアは、常に死と隣り合わせの毎日だった。

 腹痛を訴えたルームメイトのイレーネを助けるため、医者を呼びにアパートを飛び出たところ、正体不明の二人組に拉致されたという。話はそこで終わっていた。

 その後、何がどうなってアマゾンに入ることになったのか。

 ジュリアは深呼吸すると、語りはじめた。


 夜の川を一隻のカヌーが進んでいる。

 ジュリアは体の前で両手首を縛られていた。腰に銃を下げた二人のカウボーイハットが前後に乗り、片方が操縦している。

「ねえ」ジュリアは振り返って後ろの男に声をかけた。「何が目的か知んないけどさ、帰してよ。友達がさ、苦しんでるんだから」

 医者を呼んでくると約束したのに──。ファベーラで車のトランクに押し込まれ、拳銃で脅されてカヌーに乗せられてしまった。

 カヌーのエンジンが静かに音を立てている。闇夜にホーッ、ホーッと鳥か猿の鳴き声が広がっていた。

「ねえってば!」ジュリアは声を荒らげた。「何とか言ってよ。何者なの」

 後ろの男は腕組みをくと、人差し指でカウボーイハットのつばを下げて目を隠した。そしてまた腕を組んだ。

 ジュリアはため息を漏らすと、辺りを眺め回した。両岸に茂る草木は闇を抱えて黒々としていた。その陰で黄色い目玉が光っている。カヌーが通りすぎると、クロカイマンがドボンと川に滑り落ちていく。

 逃げられそうもない。川に飛び込んだらクロカイマンやピラニアがいるし、岸にたどり着いても森の中を何十日もさ迷うはめになる。

 やがて操縦者の男が黙って白い筒を取り出した。グワンパだった。牛の角で作られている容器で、牛飼いの人間なら必ず持っていると聞いたことがある。二人は牧場で働く人間なのかもしれない。

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