第6回ー1


 11


 密林の底には、緑の天蓋から鳥の鳴き声が降っている。茂る枝葉の陰に隠れているため、種類までは分からない。

 うらはジュリアと並んで若い先住民インデイオの後を歩いていた。迷いを一切見せない青年の足取りは心強かった。

 ジュリアはリュックからペットボトルを取り出し、飲料に口をつけた。

 三浦は彼女の横顔を見つめた。

 インディオの集落に留まって二日で彼女の体調は良くなり、四日目には快復していた。その後、ゴム採取人セリンゲイロの集落まで案内してくれることになり、こうして先導してもらっている。

 朝一番から歩き続け、正午になったころ──。

 若いインディオが立ち止まり、密林の奥を指差した。切り開かれた場所に高床式の木造の小屋が見えている。

「あそこが──」

 ジュリアがつぶやくように言った。

 若いインディオは自分を指し示し、それから森の反対側に指先を向けた。

 自分はここで戻る──と伝えているのだろう。インディオとセリンゲイロは近年では共闘関係になっているとはいえ、一昔前は土地を巡って争っていたという。互いの領地に踏み入る行為は誤解を招くかもしれない。そういう危惧があるのだ。

「オブリガード」

 三浦はポルトガル語で礼を伝えた。

 ジュリアも感謝を告げた。言葉は通じなくても、気持ちは伝わったと思う。

 若いインディオは理解したようにうなずき、きびすを返した。三浦は彼が森の奥へ消えていくのを見送ってから、セリンゲイロの集落を見つめた。

「行きましょう」

 ジュリアが率先して歩きはじめた。

 三浦は彼女に付き従い、集落へ向かった。高床式の小屋が点在しており、セリンゲイロが行き交っている。

 集落に踏み入ると、数人の視線が注がれた。

「あのう……」三浦は見回しながら誰にともなくポルトガル語で呼びかけた。「どなたか話を聞いていただけませんか」

 小屋の前の数人が顔を見合わせた。何やらささやき交わしている。

 奥から一人の中年男性が近づいてきた。一目で分かるアジア系の顔立ち──。

「もしかして……日本人ですか?」

 中年男性は「ああ」とうなずいた。ポルトガル語で言う。「たかはしだ。あんたたちは?」

「植物学者の三浦です」三浦は隣を見た。「彼女は調査に同行中のジュリアです」

「へえ。こんな奥地まで調査に──?」

「実は同行者たちとはぐれてしまって……。彼らはこの集落を目指していたはずなんですが……」

 高橋は目を細めた。

「……同行者というのは、アメリカ人の?」

「ご存じですか? アメリカ人とイギリス人と現地の人間の三人組なんです」

 高橋は集落の奥をあごで指し示した。

「一昨日、ここへやって来て、今も滞在してるよ。しつけな感じだった。リーダーみたいな白人だけは丁寧だったが……」

「会いに行っても構いませんか」

 高橋は軽くうなずいた。

「ありがとうございます」

 三浦はジュリアと共に集落の奥へ向かった。天高くそびえる樹木の前に小屋があり、その前にクリフォードたちがいた。地図を片手に寄り集まって計画を話し合っている。

 近づく靴音が耳に入ったらしく、三人が同時に顔を向けた。目が見開かれる。

 ロドリゲスが薄笑みを浮かべた。

「しぶといじゃねえか、センセイ。二人揃ってくたばったと思ってたぜ」

「……辛うじて、ですが」三浦は言った。「インディオに助けられて、九死に一生を得ました」

 クリフォードの驚き顔がに戻った。

「無事で何よりです」

 ジュリアが敵意の籠った表情で踏み出した。

「私たちを見殺しにしたくせに」

 クリフォードが眉をひそめた。

「あの場に留まっていたら全滅していた。そもそも、強引に同行を申し出たのは君だろ。足を引っ張るなら置いていくと言ったはずだ」

 今度、眉を顰めたのはジュリアだった。

 ロドリゲスがにやつきながら言った。

「まあ、結果的に助かったんだからよかったじゃねえか。俺らもを捨てたくて捨てたんじゃねえ」

 本心では仲間と思っていないだろう。

 クリフォードにしても、〝奇跡の百合ミラクルリリー〟発見のために植物学者としての知識を求めておきながら、ほとんど迷いなく置き去りにする決断を下した。普通なら、イレギュラーな形で同行することになったジュリアだけを見捨てさせる場面ではなかったか。しかし、彼は比較的あっさりと二人をまとめて諦めた。

 まるで植物学者としての知識など──。

 ウエストポーチから消えていた手帳のことを追及したい衝動に駆り立てられた。

 肌身離さず持っていたのだから、盗める機会があったのはメンバーだけだ。

 誰が何のために盗んだのか。

 何が書かれているか、誰も知らなかったはずだ。〝奇跡の百合ミラクルリリー〟に関する情報はクリフォードが持っており、その存在に半信半疑の植物学者が何かしらの〝秘密〟を書き記している可能性が低いことは容易に想像できるだろう。そもそも、共に発見しようとしているメンバー内で出し抜こうと画策するメリットもない。

 手帳をわざわざ盗もうと考えた理由は? 何が書かれていると想像して盗んだのか。

 不信感が芽を出し、体に絡みつくつる性の植物のごとく、育っていく。

「無事でよかった、と思ったのは本音ですよ、ドクター」クリフォードが言った。「目的のために和解しませんか」

 ジュリアはクリフォードをにらみつけたものの、何も言わなかった。

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