第8回ー4

 唇には自慢げな薄笑みが張りついている。

 助かった──。

 高橋は三浦の手を借りて岸によじ登ると、下流に目を投じた。注意深く見回す。

 クリフォードは──。

 女の子は──。

 目を凝らすと、数十メートル下流でクリフォードの姿を発見した。仰向けの女の子を抱き寄せるようにして、こちら側の岸へ向かって泳いでいる。

 女の子を確保できたのか──。

「行きましょう!」三浦が叫んだ。「救助するんです!」

 三浦が下流へ走りはじめると、高橋はすぐ後を追った。三浦が蔓草の壁を前に立ち尽くしている。

「任せろ!」

 高橋はマチェーテで蔓草を切り落とし、道を作った。大自然の障害を搔き分け、進んでいく。

 やがて、クリフォードが泳ぎ着いた岸辺に来た。

「まずは彼女を!」

 クリフォードが女の子を持ち上げるようにした。高橋は身を乗り出し、女の子を受け取り、引き上げた。開けた地面に横たえ、クリフォードがよじ登るのを助ける。

「息はあります」

 びしょ濡れの服が体に張りついたクリフォードは、意外にも鍛え上げられた肉体をしていた。女の子のそばにひざまずき、脈と呼吸を確認している。

「人工呼吸をします!」

 クリフォードが女の子の胸に両手を押し当て、ぐっぐっと圧迫し、口づけして息を吹き込む。

 高橋は黙って見つめるしかなかった。

 それが近代的な救助方法なのだろう。

 何分か続けたとき、女の子が濁った水を吐いた。苦しげにき込んでから目を開ける。

 息を吹き返した──!

 奇跡としか思えなかった。

 クリフォードは額の汗を拭った。肌にべったりと張りついた金髪が横に流れる。

「趣味のサーフィンで学んだライフセービング技術が役立ちました……」

 クリフォードが爽やかな笑みを浮かべる。

 場の空気が緩んだ。

 英雄気質だな、と思った。金持ちの白人は、インディオの女の子の命など気にも留めていないという偏見があった。ましてや、アマゾンの奥地で流された女の子の命など。

 見捨てても責められない状況にもかかわらず、命懸けで救助を試みた。クロカイマンが潜む川へ躊躇せず飛び込んでまで──。

 大したものだ。

 仰向けの女の子は目をしばたたいた後、首を左右にひねるようにした。

 見知らぬ人間たちを警戒しているのだろうか。インディオの中には、部族外の人間を敵視している者もいる。あるいはひどい目に遭わされた経験があり、怯えている者も。

「……言葉は分かるかな」クリフォードが女の子にポルトガル語で話しかけた。優しい声音だ。「君は川に流されたんだ。危うくクロカイマンの餌になるところだった。だけど、もう大丈夫だ。心配ない」

 女の子はまばたきを繰り返すばかりだった。

 クリフォードは耳慣れない単語を二、三、発した。どこかの部族の言語だろうか。

 女の子に通じた気配はない。

 クリフォードが肩をすくめながら振り返った。

「駄目ですね……」

「今のは?」

「いくつかの部族の挨拶です。アマゾンに入ってインディオに遭遇したとき、友好的な態度を見せたら無用ないさかいを避けられると思いまして……。自衛の手段として、挨拶程度ですが、調べておいたんです」

「そうか……」

「残念ながら、私が覚えてきた言語は役立たずだったようです。彼女は一体どの部族でしょう」

 高橋は「分からん」と首を横に振った。

 女の子が上半身を起こし、口を開いたのはそのときだった。勇太が表現したとおり、それは〝音〟としか言いようがないものだった。だが、彼女は懸命に何かを伝えようとしていた。

 女の子の発する〝音〟には、規則正しい文法が存在するようには思えない。

 本当に言語なのだろうか。

 横目で窺うと、三浦がじっと女の子を凝視していた。その眼差しに宿る感情は何なのか──。

「……さて」クリフォードが言った。「集落に戻りましょう。この子も安静にする必要がありますし、デニスの行方も気になります」

 植物プラントハンターのデニス──か。

 死にざまが脳裏に蘇る。

 首の傷口は、セリンゲイロがゴムを採取するときの切り方だった。おそらく凶器はゴムフアツカ切り・デ・ナイフセリンガだろう。森林火災とインディオの女の子の救出のドタバタですっかり記憶から抜け落ちていた。無視はできない問題だ。

 クリフォードは女の子を背負うと、歩きはじめた。全員で集落へ帰還する。

 すぐさま勇太が駆け寄ってきた。クリフォードの背中に女の子の姿を見つけるや、表情が一瞬で明るくなった。

「見つかったの!」

「ああ、無事だ」高橋はクリフォードと女の子を見た。「彼が救ってくれた。命懸けで、な」

 勇太はクリフォードの前に立ち、「ありがとう!」と笑顔を見せた。

 クリフォードは「いや」と小さくかぶりを振った。「幸運だった。たまたまだよ」

「本当にありがとう!」

 勇太の笑顔を見て、高橋は安堵した。クリフォードの勇敢さに感謝しなくてはいけない。

 待機していたセリンゲイロの一人に女の子の無事を伝えると、その吉報は瞬く間に伝わり、捜索を行っていた者たちが次々と集落へ戻ってきた。

 女の子は小屋のベッドで休ませている。

 小屋の前には、クリフォード、ロドリゲス、三浦、ジュリアの四人が集まっていた。

 高橋は三浦に顔を向けた。仲間の殺害を伝えるのか? と眼差しで問うた。

 三浦は覚悟を決めたようにうなずき、進み出た。クリフォードとロドリゲス、ジュリアを前に口を開く。

「報告があります。デニスは殺害されていました」

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