第5回ー4

 黒茶色の肌を覆うのは、獣の毛皮で作った腰巻きだけだった。モンゴロイド系の顔に紅色の塗料で波線紋様が描かれており、頭に扇形の黄色い羽根飾りが付けてある。獣の骨で作った三つのリングの重みで耳の下部が数センチ垂れ下がっている。二の腕にはゴムの白い輪を嵌めていた。誰もが木の槍を持ち、弓を背負っていた。

 一番長身の者が──百七十センチほどだが──槍を上下させながら何かを言った。部族の言語だろう。呪文めいて聞こえた。

 インディオの一人が近づいてきた。木登りをするために発達したのか、裸足の指は常人より二センチばかり長い。

 再び呪文めいた言葉を発した。

 三浦は無抵抗を示すため、手を上げた。インディオたちが木の槍を軽く振り立てている。

 危機感を覚え、三浦はテントの入り口の前に陣取った。ジュリアの身を案じた。

 緊張が一気に膨れ上がる。

 三浦は渇いた喉を唾で湿らせた。額ににじみ出る汗の玉は、熱帯雨林の暑さだけが原因ではないだろう。しずくが眉間から鼻の脇を伝い、唇に滴る。唇に塩気を感じた。

 両側のインディオが距離を詰めてきた。槍先をテントに向け、突っ突くようなジェスチャーをしている。

 向こうも警戒しているのだろうか。

 三浦は身振りを交えてポルトガル語で話しかけた。

「怪しい人間ではありません。森の侵略者でもありません。森で迷った観光客です」

 インディオの警戒心は解けなかった。数人がはやし立てるように槍を振り立てている。

 三浦はテントを振り返り、入り口を指し示しながらまくし立てた。

「敵意はありません。仲間が病気なんです。僕たちは助けを必要としています」

 言葉は通じていない。

 言語コミユニケーシヨンは──断絶していた。

 ジュリアの姿を見せることが状況を悪化させるのかどうか、不安も強かったが、一呼吸置いて覚悟を決めた。思い切ってテントの入り口の幕をめくり上げる。

「彼女は病気なんです。休める場所が欲しいんです」

 三浦は諦めずに訴え続けた。リュックサックから缶詰を取り出し、アピールしたりもした。

 インディオたちは顔を見合わせた。三浦を指差し、部族の言語を交わす。

 インディオたちの警戒心が急に薄れたように感じた。槍の上下運動が落ち着いている。何が通じたのか分からない。病気の女性に同情してくれたのか、交換条件で掲げた缶詰が興味を引いたのか、それ以外の何かか──。

 長身のインディオが北を指差し、次にテントを指し示して何事か喋った。

 助けてくれるのか──?

 三浦はインディオたちを見渡した。自分の解釈が正しいのかどうか自信がない。

 どうすればいいのだろう。

 インディオの一人が大袈裟な手振りで森の奥を何度も指し示した。

 ついて来い、と言っているのだろうか。

 この瞬間、言語は理解できなくても、人間としての本能的な部分で通じ合えた気がした。

 錯覚でないことを祈る。

 三浦はテントに顔を差し入れ、うなされているジュリアに話しかけた。

「もしかしたら……助かるかもしれません」

 ジュリアはうわ言のように何やらつぶやいている。顔は紅潮し、玉の汗に濡れている。

 三浦はジュリアをいったん外に出すと、毛布の上に横たえ、テントを片付けた。

 インディオの一人がリュックを指差し、担ぎ上げた。持ってくれるのだろう。

 三浦はジュリアを負ぶい、彼らの後を歩いた。荷物を持ってくれたインディオも樹海をやすやすと進んでいく。とげのある草や、繁茂する葉、のたうつ蔦の群れ、毒虫や蟻をものともしない。摩訶不思議な力で歩きやすい場所が分かるかのように──。

 先祖代々、数千年前から森で生きてきた者たちは、住み慣れた場所を追われても、すぐ自然と仲良くなれるに違いない。

 ジュリアを背負う役目を何人かが交代してくれて、四時間半ばかり歩いた。

 途中、木の枝に胎盤がぶら下げられていた。

 まじないだろうか。

 さらに進むと、若いインディオがいた。V字にした指を唇に添え、小鳥の悲痛な鳴き声を真似ている。親鳥を呼び寄せているらしい。やがて彼は弓に矢をつがえると、上体を傾け、樹冠に向けて全身で弦を引き絞った。こくたん色の筋肉が緊張した。静寂が訪れる。弓や吹き矢はほとんど音がしない。森で狩りをするには最適だ。

 矢が放たれた。空気を切り裂く微音が樹冠に吸い込まれた。鳥の断末魔の叫びが響いた。数羽が金切り声を上げて飛び立つ。

 間を置き、矢が串刺しになった一羽の鳥が降ってきた。恐ろしく正確だ。狙われたら生き延びるのは不可能だろう。

 奥に進むと、太いつるに裸の子供がぶら下がり、体を揺すって遊んでいた。インディオの集落はその先にあった。切り開かれた場所にマンジョーカ芋やトウモロコシの畑があり、オレンジやレモンやバナナの果樹のあいだに、藁葺きの住処が散らばっている。

 インディオの中年女性が人間二人は隠せそうな籠に薪を一杯にして背負い、歩いていた。先頭の幼子二人は、山刀マチエーテで草木を切り開いている。

 地べたに座った二人の女が互いの髪をまさぐっていた。シラミを取り合っているのだろうか。

 奥では、少年が水に浸けたインゲン豆を臼に敷き詰め、丸太の杵で押し潰しながらねている。二、三歳の息子に小型の弓を持たせ、使い方を教えている男もいる。

 大勢のインディオが生活していた。子供も多い。ある少年はマンジョーカ芋の皮を平べったい貝で剝いていた。ある少年は朱色のウニに似た刺々しいウルクンの実の中身を煮込み、顔料を作っていた。ある少年は両膝を胸に抱くようにしてしゃがみ、ウサギ並に大きいネズミの皮をナイフで剝いでいた。ある少年はナイフで削った樹皮を燻し、染み出た黒光りする液体を指ですくって矢に塗りたくっていた。アルカロイド系の猛毒だろうか。

 案内されるまま、草葺きの天井があるだけの広い場所に移動した。長身のインディオが、敷かれた藁とジュリアを交互に指差した。

 三浦は藁の布団に彼女を横たえた。

 むず痒い人差し指の先を爪で搔きながら待っていると、長身のインディオが前に座った。部族の言葉で喋り、三浦の手を握った。五指を広げさせる。

「……何ですか?」

 長身のインディオは鋭角な小石の欠片を掲げると、何かを言って勝手にうなずいた。小石の先端が人差し指の先に添えられた次の瞬間、マッチをするようにこすられた。

「痛っ──」反射的に腕を引こうとしたものの、相手の握力が予想以上に力強く、無理だった。「何をするんですか」

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