第3回ー7
彼が見据えているのはジュリアだ。デニスは顎を軽く持ち上げ、挑発的な薄笑みを浮かべている。
彼女が目をスーッと細め、「は?」と反応した。
「役に立てる機会が巡ってきたんだ。喜べよ」
「女を先頭に立たせるわけ?」
「アマゾンの森に男も女もねえだろ。甘えるなよ」
「森に慣れてるってさんざん自慢してたんだから、あなたが行けば?」
ジュリアは険しい目で睨み返している。
デニスは不快そうに顔を顰めると、担いでいるライフルを手に取り、銃口を彼女に向けた。
「お、おい──」
三浦は制止しようと足を踏み出した。銃口が滑ってくる。真っ暗な穴と対面した。
心臓が縮み上がり、胃が冷たくわなないた。
反射的に手を上げた。一歩踏み出した分、後ずさった。デニスの人差し指は引き金にかかっている。もし少しでも指先に力が加わったら──。
「恰好つけるなよ、センセイ。森の中に法なんかねえんだ。人が死んでも自然に飲まれて終わりだぜ」
本気だろうか。
三浦はごくっと唾を飲み下した。
デニスは鼻を鳴らし、再びジュリアに銃口を据えた。
「これくらいしか役に立たねえだろ」
ジュリアは下唇を嚙み締めていた。
これがデニスの本性か──。
平気で人間に銃口を向けることができる。おそらく、気に食わない相手には平然と引き金を引くだろう。
「ほら、早く渡ってカヌーを取ってこい」
三浦はクリフォードを一瞥した。彼は押し黙っている。
止めるつもりはないのか──。
デニスは銃口で沼を示した。
ジュリアは屈辱を嚙み締めるような表情でため息を漏らし、背を向けた。沼へ歩いていく。
「僕が行きます」
気づけば名乗りを上げていた。
「女性の手でカヌーが動かせるとは思えません」
おんぼろのカヌーは岸に打ち上げられている。丸太をくりぬいたようなタイプだから、重量は相当あるだろう。
デニスは少し考えるように間を置き、言った。
「よし。だったら二人で行け」
三浦はジュリアと顔を見合わせた。彼女の瞳にある感情は何なのか、読み取れなかった。
「早くしろ」
銃口に急き立てられ、三浦は緊張したまま沼に歩み寄った。土を溶かし込んだような色味で、濁った水面に落ち葉や蔓草や虫の死骸が浮かんでいる。
躊躇していると、背後で発砲音が鳴り渡った。鳥が羽ばたき、猿が金切り声を上げる。
心臓が飛び上がり、三浦は振り返った。デニスがライフルを空に向けていた。銃口からうっすらと立ち昇る硝煙──。
「早くしろって言ったろ」
野球帽の下の目には苛立ちが宿っている。デニスが本気なことは充分に理解できた。
三浦はジュリアとうなずき合い、足を踏み出した。沼に靴が沈み、どろりとした泥水がふくらはぎに纏わりついてくる。さらに歩を進めると、水深が一気に深まり、腰まで浸かった。
ジュリアも沼に進み入った。ショートパンツから伸びる小麦色の太ももが泥水に消える。
「気持ち悪い……」
同感だった。アマゾン川に飛び込んだときとは違い、水は粘着質で、あらゆるばい菌が肌から体内に侵入しそうに思える。
「ワニに気をつけろよ」
後ろからデニスがからかうように言った。
ジュリアが睨むように振り返った。唇が一瞬だけ開いたものの、反発の言葉は飛び出してこなかった。
沼の中に危険生物は生息していないのだろうか。
足を進めるたび、緊張が増していく。
「大丈夫ですか?」
三浦はジュリアに声をかけた。
彼女は「ええ……」と小さな声でうなずいた。だが、その声には若干の不安が混じっていた。
ジュリアのショートパンツは沼に完全に浸かっている。互いに泥沼から上半身だけ出した状態だ。
靴底で常に底を確かめながら進んだ。急に水深が深くなっていたら危険だ。
十分ほどかけて沼の中央まで来た。容易には引き返せないという事実に不安が増す。
三浦は休憩すると、緊張が絡んだ息を吐き、振り返った。デニスたちは岸辺でこちらの様子を窺っている。
粗暴なデニスに苛立ちが込み上げる。
小さく嘆息し、何となく視線を持ち上げたときだった。樹冠に目が吸い寄せられた。
大人の男の太ももほどもある枝が剝き出しで、なぜかそのことに違和感を覚えた。
一体なぜだろう。
違和感の正体にはすぐに気づいた。おぞけを伴った戦慄が背筋を這い上ってくる。
アナコンダが消えている──。
先ほど見上げたとき、樹冠の枝でアナコンダが眠っていた。今、姿が消えている。
「おーい!」
三浦は大声で呼びかけた。だが、クリフォードたちの耳には届いていないようだった。
デニスが身振りで早く渡れと急かした。
「蛇が! 蛇が消えてる!」
三浦は声を振り絞った。
デニスの威嚇の発砲でアナコンダの目が覚めたのではないか。七メートル級の大蛇に襲われたら、人間などひとたまりもない。
声が届いたらしく、岸の三人が樹冠を見上げた。複数の樹木の枝々を用心深く見回す。
アナコンダはどこへ消えたのか。
いや──。
どこに潜んでいるのか。
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