第7回ー7
16
鳥や猿の鳴き声が止むと、森はとたんに静まり返る。静寂は無条件で孤独や不安を
三浦は高橋と顔を見合わせた。
「なぜ彼が──」
三浦がつぶやくと、高橋が小さくかぶりを振った。
「獣の仕業じゃないな」
人間に殺されたのか。一体誰に? 真っ先に思い浮かんだのは、先ほどの伐採作業員たちだった。
「では、さっきの──」
「……いや」高橋はデニスの死体を睨みつけていた。「連中ならナイフは使わないだろう」
三浦は茫然自失状態から回復すると、深呼吸で気持ちを落ち着けた。だが、心臓は駆け足になったままだ。
「……チェーンソーの可能性は?」
「そんなもんで首を切りつけたら、胴体から頭が落ちてる。そもそも、エンパチに参加してもいなかった部外者の白人を殺す動機があるか?」
言われてみればそのとおりだ。
「エンパチのことを知らずに森に入っていて、運悪く連中と遭遇してしまったとか」
「雇われの作業員が殺人まで犯すとは思えない」
不意に頭の中に浮かび上がってきたのは、昨晩のジュリアの嬌態だった。
──お願い。あいつを殺してほしいの。
ジュリアの殺害依頼──。
それがデニスのことだったとしたら。
おぞけが背筋を這い上ってきた。ジュリアは一体誰に殺害を依頼したのか。そして──なぜ。
思考の海に沈んでいると、高橋がデニスの死体の前に片膝をつき、ゆっくりと首元に手を伸ばしていった。
鮮血に染まる顎を持ち上げたとたん、ザクロをぱっくりと半分に裂いたような傷口が露になった。
三浦は思わず顔を背けた。
意を決して顔を戻すと、高橋が硬直していた。傷口にじっと目を注いでいる。
「……どうかしましたか」
高橋は背を向けたまま沈黙している。
やがて、ゆっくりと立ち上がって振り返った。
「……切り傷は若干斜めで、最後に丸く下に捻るようになっている」
「つまり──?」
高橋は言いにくそうに間を置いてから、口を開いた。重苦しい声で言う。
「俺たちセリンゲイロがゴムの木を切るときの切り方だ」
三浦は目を見開いた。
「まさか」
集落のセリンゲイロの一人がデニスに馬乗りになり、ゴム切りナイフで喉笛を搔き切っている光景が脳裏に浮かび上がる。毎日繰り返して体に染みついた切り方が無意識のうちに出た──ということなのか。
ジュリアが色仕掛けで
現地の人間にデニスの殺害を依頼した──?
考えてみれば、〝
三浦は渇いた喉を唾で湿らせようとした。だが、熱帯雨林の酷暑で体の水分を奪われており、唾もうまく飲み込めなかった。代わりに額から染み出た脂汗が鼻筋を伝った。
「報告だ」高橋が言った。「森でよそ者が殺された。それも、セリンゲイロに──」
沈鬱な空気を纏ったまま、三浦は高橋に付き従って集落へ戻りはじめた。
道中、木の焦げる臭いを嗅いだ。
振り返ると、アマゾンが燃えていた。炎が纏わりついた木が無数に連なり、のたくる
「森林火災です!」
「ああ!」高橋の顔に切迫感が表れる。「集落のほうへ! とにかく逃げるぞ!」
「はい!」
立ちのぼる黒煙であっと言う間に一帯が覆われた。あちこちで樹皮が弾ける。
走り出すと、煙の向こう側から二人組のセリンゲイロが逃げてきた。浅黒い裸の上半身は
「逃げろ。早く逃げろ」一人が立ち止まった。「クソッタレ。アンドラーデの野郎に違いねえ」
見上げると、炎が樹林を飲み込みながら迫ってきていた。今や紅蓮の津波だった。
「畜生。俺たちの森が……」
セリンゲイロは悔しげに吐き捨てると、反対側に逃げていった。後に続こうとしたとき、悲鳴が耳を打った──気がした。『
見回すと、激しい炎の高波の向こう側で小柄な影が揺らめいた。だが、それはまばたきする間に消えた。
三浦は高橋と顔を見合わせた。
高橋がつかの間の躊躇を見せた後、決然と言い放った。
「あんたは集落へ! 子供は俺が助けに行く!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます