第4回ー1


 6


 たかはしゆうを連れて熱帯雨林の底を歩いていた。ゴムの採取は一日も欠かさず行わなければならない。

 途中、コーンッ、コーンッ、と何かを打つ音が森に響いていた。

 見回すと、フサオマキザルが顔より大きな丸い実を木に叩きつけ、割ろうとしていた。

「何かの合図かと思った」

 勇太が笑った。

「ブラジルナッツだ」高橋は答えた。「頑丈な実だから、猿じゃ一晩かかっても割れないだろうな」

「そうなんだ。じゃあ、どうやって種がかれるの?」

 純粋で、しかも鋭い疑問だった。

「パカだけが歯で穴をあけられるんだ」パカはげつ類の一種だ。「さやえさとして土に埋められるんだが、たまに取り出されずに忘れられたものが芽を出して、新しい木になるんだ。そうして自然はサイクルしてる」

 説明していると、一人のゴム採取人セリンゲイロが現れた。フサオマキザルに「去れ、去れ!」と怒鳴りながら、威嚇するようにマチエーテを振る。猿は飛び上がり、ブラジルナッツの実を捨てて逃げ去った。

 突然、樹冠のほうで葉がざわめいた。見上げると、五十メートル頭上から一・五キロもあるブラジルナッツの実が落下してきた。セリンゲイロが「うおっ」と跳びのいた。茶色い砲弾のような実が土にめり込む。

 高橋は「大丈夫か」と声をかけた。セリンゲイロは苦笑しながら肩をすくめた。

「そういえば収穫期が近いな……」高橋はつぶやいた。

 セリンゲイロが樹冠を仰ぎ、安全を確認してからブラジルナッツの木に歩み寄った。落下した実が五、六個転がっている。それを拾い上げ、袋に入れていく。実りが多いと、二十個は落ちている。

 雨季になると、セリンゲイロはゴムの採取をやめる。ゴムの木に設置したカップに雨水が混ざり、質が落ちるからだ。その代わり、実って落下したブラジルナッツの実をき集め、莢をいて売る。

 集落に戻ると、数人のセリンゲイロがブラジルナッツの実にマチェーテを叩きつけていた。表面は何度も刃をはじき返している。

 奥に目を向けると、炎天下でセリンゲイロの妻たちが木製の長椅子に座り、台で作業をしていた。そこには扇形や台形の茶色い莢の〓が山積みになっている。割られた実に詰まった十数個の莢を取り出し、〓を剝いてナッツを取り出すのだ。

 緊迫感を引き連れるような足音が駆けてきたのは、勇太と一緒に小屋に戻ったときだった。

 小屋からのぞくと、親友のジョアキンが集落のど真ん中に突っ立ち、切迫した表情で大声を張り上げた。

「──だ!」

 一言で事情は理解できた。

 高橋はマチェーテを腰に差し、勇太に「お前は残れ」と言い置いて小屋を飛び出した。

「僕も行く」

 勇ましい姿を見せたい息子の言葉は無視し、ジョアキンのもとへ駆けつけた。十数人のセリンゲイロが集結してくる。誰もがマチェーテや木の棒で武装し、目をぎらつかせていた。

「俺たちの森を守るぞ!」

 ジョアキンが叫ぶと、興奮が波打つように伝染した。全員が武器を突き上げてたけびを上げる。

 高橋は少しされたが、一団となって森を突き進んだ。

 深い影の中に葉群や低木がびっしり生い茂り、その周辺にキノコ類が隠れるように生えていた。刀のような葉や円盤形の葉が密生し、障害となっている。林立する樹木には寄生植物が絡みついて樹冠までい上がり、三十メートル近く上の枝から房となって垂れ下がっていた。

 マチェーテで植物を払いながら進むにつれ、聞こえてくるエンジン音が大きくなった。密林の奥で高木の樹冠が揺れている。

 つるや草葉を搔き分けると、数人の男たちの姿があった。振動するチェーンソーの刃が巨木の幹に食い込んでおり、粉塵が飛び散っている。木々が痛みにうめき、断末魔の叫び声を上げていた。

 樹林の一部が伐採され、陽光が降り注いでいる。

 チェーンソーを振るっているのは、伐採作業員たちだった。

 樹冠で生活するオマキザル科のブラックタマリンは、すみを奪われておろおろしていた。地面を駆けていき、倒木に飛び乗って辺りを見回す。家族を捜しているようだった。

 普段は物静かなカザリドリも黒い翼で激しく羽ばたき、だいだいいろの腹を見せて頭上を飛び回っている。

 立ち尽くすジョアキンの頰を二、三滴の涙が濡らしていた。切り倒された巨木に、亡き父親の面影でも見ているような表情だ。

「よせ、お前ら!」セリンゲイロの一人が怒鳴った。「森を殺すな!」

 伐採作業員たちはチェーンソーのエンジンを切り、怒気に満ちた目を向けた。

「俺たちも仕事だ。邪魔するな!」

 彼らは北東部の出身らしい浅黒い肌をしていた。チェーンソーの油と金臭い汗が染みたシャツを着ている。

「邪魔されちゃ、賃金が貰えん」

 伐採作業員の一人がスターター・コードを引いた。エンジンが猛犬じみたうなり声を上げる。ブラックタマリンが抗議するように足首にすがりつき、引っ搔いた。だが、そのとたん蹴り飛ばされ、哀れっぽい鳴き声を上げて逃げ去った。

 伐採作業員がチェーンソーを木に近づける。

「やめろ!」

 若いセリンゲイロが巨木の前に立ちはだかり、両手を広げた。他の者たちも続いての前に飛び出した。マチェーテや木の棒を握り締めている。セリンゲイロが三十年ほど前から行ってきた抗議手段、エンパチ──一種の座り込みだ。

 高橋は勇敢な若者たちを離れて見ていた。

 この採取地に侵入者が現れたのは、十三年前の一度きりだった。エンパチはそのときだけだ。当時はセリンゲイロになったばかりで仲間に認められようと必死だったから、自分もチェーンソーの前で体を張った。だが、今は──仲間との温度差を感じる。

 森を捨てて町へ出たい人間には、右手の人差し指を失ってまで伐採作業員に立ち向かったジョアキンのような情熱は湧いてこない。そんな自分を恥じた。

 太っちょゴルドと呼ばれる小太りのセリンゲイロが「ぶっ殺してやる!」とマチェーテを振り上げた。伐採作業員がチェーンソーのエンジンをかけ、身構える。空気が緊迫感をはらみ、裂けそうなほどに張り詰めた。

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