第8回ー1



19


 たかはしは仲間のゴム採取人セリンゲイロたちと森の焼け跡を見つめた。辺りはすすや灰で黒く覆われており、火傷の跡が生々しい巨木が数本、残っているだけだ。

 ──まるで木の墓標だ。

 母は立ち尽くし、ただただ呆然としていた。

「まったくなんてことだろう。ブラジルでまたこんな光景を目にするなんて……」

 母の目が見ているのは今ではなく過去──。東京大空襲で焼け野原になった町だろう。東京都内の四分の一の建物が破壊され、数万人が焼け死んだと聞いている。

「アンドラーデめ」セリンゲイロの一人が拳を震わせた。「まさかこんな手段に出てくるとは……」

 アマゾンでは、牧場主が土地を得るため、その地に住んでいるセリンゲイロや先住民インデイオの集落を焼き払ったり、雇った殺し屋ピストレイロに暗殺させたりする。

「報復だ!」太っちょのゴルドが腕を振り回した。「森のかたき討ちだ。山刀マチエーテで奴の首を切り落として獣の餌にしてやる」

「落ち着け」ジョアキンがゴルドの腕を押さえた。「証拠は何もないんだ。暴力に訴えたら政府を敵に回すぞ」

「森の悲鳴を聞いただろ。焼かれて苦しげだった。仇を討たなきゃ、誰も納得しねえ」

 ジョアキンがひるんだ。何としても森を守りたいという切実さを見たからだろう。

 二度も続けて森林火災が起こればさすがに警察もいぶかしみ、動かざるをえなくなる──と信じたい。だからアンドラーデも当分は無茶をしないはずだ。だが、今後何をしてくるか分からない。もし仲間が殺されたら──。

 セリンゲイロたちの怒りが頂点に達しかけたとき、焦げた巨木の陰から子供が姿を現した。ふらふらした足取りだ。黒髪に藻や枯れ草が絡み、びしょ濡れのシャツが肌に張りついている。

 数秒の間を置いて息子だと気づいた。心臓が跳ね上がった。集落にいるはずなのにひどいありさまだ。

 ゆうが倒れ込むと、高橋は駆け寄り、小さな体を抱き起こした。

「どうした! 大丈夫か!」

 勇太の表情は弱々しい。

「しっかりしろ!」

「ぼ、僕──」

 青ざめた唇が動く。

「何があった!」

 勇太が視線をさ迷わせた。まるで何かの罪を隠したがるかのように──。

 数人のセリンゲイロたちも周りに集まっている。顔を見ると、一様に心配そうな表情をしていた。

「女の子が……流されちゃった」勇太が力なくささやき声を発する。「森が燃えてて、逃げて、川を渡ろうとしたら増水して、二人で流されて……」

 勇太の両手は泥まみれだった。手のひらの皮は裂け、指の爪が一枚、がれている。濁流に流されながらも、死に物狂いで岸辺の枝かつるにしがみつこうとしたのだろう。

「僕が川を渡ろうなんて言ったから、それで……」幼い顔がくしゃっとゆがみ、あふれ出た涙と鼻水で濡れた。「渡ってる途中で、突然のスコールが……」

 森林火災を消し止めてくれた〝恵みの雨〟が、勇太に対しては牙をいていたのだ。

「女の子っていうのは──?」高橋は辺りを見回しながらいた。「集落の子か?」

 誰か行方不明なのか?

「集落の女の子と森で遊んでいて、流されたのか?」

 勇太が小さく首を横に振った。

「集落の子じゃないのか?」

 勇太がうなずく。

 疑問符が頭の中を巡った。アメリカ人の一行は、子供を連れていない。女の子とは何なのか。

「話が分からないと、どうにもならない。勇太、しっかり説明してくれ。何があった?」

 勇太は唇をみ締めた。葛藤するような間がある。

 やがて、苦悩にまみれた声でしやべりはじめた。

「僕、川辺で女の子に出会ったんだ。腰に布を巻いただけで、浅黒い肌で。たぶん、インディオだと思う。でも、全然聞き取れない意味不明の言葉で……」

 数人のセリンゲイロが顔を見合わせた。

 戸惑う気持ちは分かる。この周辺にインディオの集落があるとは聞いたことがない。最も近くに暮らしているのは、植物学者のうらたちを救った部族だろう。だが、決して良好とはいえない関係上、互いに相手のには踏み入らないよう、生活している。

 女の子とはいえ、迷い込んでくるとは思えない。

「言葉は一切通じなかったのか?」

 勇太は「うん……」とまぶたを伏せた。「まるで、ただの〝音〟みたいだった。言葉じゃなく」

「音……」

 たしかにアマゾンには数え切れないほどの部族がいる。それぞれが独自の言語を持っている。とはいえ、部族間でコミュニケーションを取るための〝言語〟である以上、文法は存在するし、身振り手振りを交えて喋ってくれれば、何となく理解できる部分はあるものだ。

 まったく意味が分からず、単なる〝音〟に聞こえるなどということがあるだろうか。

「それで、その女の子が流されたんだな?」

 勇太が涙目でうなずく。

 増水した川に流されたならもう助からないだろう。残酷だが、それがアマゾンの現実だった。

「──待った!」

 ポルトガル語で語調鋭く進み出たのは、アメリカ人──たしかクリフォードと名乗った──だった。

 高橋は勇太をき抱いたまま、彼の顔を見上げた。

「捜索に──行かないんですか?」

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