第8回ー8

 アンドラーデが目の前に立つと、ジュリアは身をよじった。二人の黒人の大女が楽しそうに見物している。

「……気が強いな。正直に吐く気になったら早めに言え。だんまりが続くと、少しばかり訊き方を厳しくしなければならん」アンドラーデは豚の群れを顎で示した。「豚の飼育では、母豚の乳房を嚙む子豚に〝歯切り〟の処置をする。ニッパーでな。虫と戯れているうちに吐くのが賢明だ」

 毛虫が蠢くカップが体の上で傾けられかけた瞬間、複数の足音が駆け込んできた。黒人二人、混血一人だ。誰もが麦藁帽子をかぶり、麻の軍手をめている。作業服の裾がかぎきになっているのは、長年の労働の証だろう。一人は土で汚れたシャベルを持っていた。

旦那様セニヨール」一人が麦藁帽子を脱いだ。「作業員に連絡したところ、伐採は中断したそうです」

 アンドラーデはカップに蓋をし、木の台に戻した。

「なんだと?」

「現地のセリンゲイロたちの抵抗に遭い、作業を続けることが困難になったそうで……」

「それで連中は逃げ戻ってきたのか?」

「仕方なく……」

「役立たずどもめ。賃金に見合う働きもできんのか。豚でさえ値段相応の肉を提供するというのに」

 アンドラーデが攻撃的な言葉を吐くとき、眉間に皺が寄って目が細まり、分厚い唇がめくれ上がることに気づいた。それが感情的な印象を作る。

 労働者たちがされると、アンドラーデは眉尻を下げた。

「すまんな、お前たち。俺がないばかりに……。賃金もろくに払ってやれん。だが、森を開拓できれば状況は変わる。牧場の十や二十、買っても釣りがくるほどの大金が入るんだ」

「セニョール……」

「俺は働きに見合った賃金を払ってやりたいんだ」

「私たちは平気です。生きていく分には問題ありません」

 アンドラーデは眉間の縦皺をみながら労働者を見返した。

「家族もみな我慢します。食事が一日一食になったとしても、木の根っこをかじってでも耐えます。ですから森の人間を傷つけるのはやめましょう。森を開拓せずとも、経営は──」

 言い終えることはできなかった。唐突にアンドラーデが腰のリボルバーを抜き、引き金を絞ったからだ。

 銃声がはじけた。豚が鳴いた。

 焦げ臭い硝煙のにおいが鼻をつく。混血の労働者は麻袋が倒れるように崩れ落ちた。手に持っていた麦藁帽子が宙を舞って逆さまに落ちる。眉間には赤色の穴が穿うがたれていた。

 ジュリアは目を剝いた。とたんに心臓が跳ね回りはじめた。

 アンドラーデが残りの労働者を見据えた。

「俺が、お前たちのために──と言っている。お前たちはただこう言えばいい。〝ありがとうムイント・ございますオブリガード、セニョール〟。口答えは必要ない」

「シ、シン(はい)」残った二人が声を揃えた。「ムイント・オブリガード、セニョール」

「よし」アンドラーデはうなずくと、死体を見下ろした。「葬儀代は俺が出してやる。こいつの妻子に伝えておけ」

「シン、セニョール」

 労働者たちは二人で死体を抱え、豚小屋を出て行った。

「幸運だったな。俺は怠け者どものケツを引っぱたきに行かねばならん。尋問はその後にしよう」

 アンドラーデは首の骨を鳴らすと、ランプを消し、二人のカウボーイハットと愛人を引き連れて立ち去った。

 残されたジュリアは身をよじり、両手首を縛る麻縄が解けないか、試してみた。肌が擦り切れるような痛みがあるだけだった。

 結局、十分ばかりもがいて諦めた。


 ジュリアは苦悩の記憶を喋り終えると、ふう、と深くため息を漏らした。まるで魂を吐き出すかのように──。

 三浦は話を聞き終えると、一呼吸置いてから口を開いた。

「まさか、セリンゲイロの森を開拓しようとしているアンドラーデと接点があったなんて、思いもしませんでした。その後はどうなったんですか?」

 ジュリアはうつむき加減で答えた。

「アンドラーデに三日三晩拷問されて、なぶられて──。殺される覚悟をしたとき、使用人が逃がしてくれて。結局、イレーネは一人でアパートで息絶えてた。アンドラーデに拉致されなかったら、助けられたのに……」

 彼女は下唇を嚙み締めていた。

「それはお悔やみを──」

 ジュリアは顔を上げた。

「だから私はアンドラーデへの復讐を誓ったの」

「復讐……」

「実はイレーネは、セリンゲイロの一人と文通してたの。相手が町に来たときに知り合ったジョアキンって人。その男との子供も妊娠して、産もうとしたけど、手紙で相手が森を出ないって分かって、絶望して、結局、ろした。一人じゃ育てられないから。だから、本人にイレーネの気持ちも伝えて、文句を言いたかった」

 そういえば、集落に着いてからのジュリアがセリンゲイロの一人──後にジョアキンと知った──と話し込んでいる姿を何度か見かけていた。イレーネの死と絶望を伝えていたのだろう。

「なるほど、アマゾンに入りたかったのは、そういう理由があったんですね」

「ええ。マナウスまで来たのはいいけど、一人じゃ、とてもセリンゲイロの集落まではたどり着けない。とりあえず、酒場でバイトしながら方法を練ることにした。そんなとき、あなたたちの会話が聞こえてきて、どうも、私の目的地に近い場所を通りそう、って分かって、声をかけた。環境保護問題に関心がある大学生をかたって」

 それがジュリアの隠し事だったのだ。

 アマゾンのど真ん中に放り出されたとき、近くにセリンゲイロの集落があることをジュリアが知っていた本当の理由も分かった。

「昨晩、アンドラーデの殺害を頼んだのは──?」

「ロドリゲス。私に頻繁に色目使ってたから、ベッドに誘い込んで、アンドラーデの殺害を依頼した。イレーネの復讐だから。まあ、アンドラーデが森に顔を出さなかったら、どうにもならないけど……」

「では、デニスの死には関係してないんですね?」

「いけ好かない男だったけど、死を願うほどの恨みがあると思う?」

「たしかにそうですね」

「理解してくれた?」

 彼女は正直に打ち明けているという確信があった。これだけの作り話をする意味もないだろう。

 三浦はジュリアの顔をじっと見つめた。

 ジュリアの依頼でなかったとしたら、デニスはなぜセリンゲイロに殺されたのか──。

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ロスト・スピーシーズ 下村敦史/小説 野性時代 @yasei-jidai

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