第28話 夕暮れのアウストリ

 アルフェイムに足を踏み入れるころには空の大半を深藍ふかあいが染め、夜のとばりに点々と星が咲き乱れる。

 その儚い光の粒をさらうようにして灰色の雲が流れる。ジョージの助けがなければ今頃あの雲の下で雨に打たれていたかもしれない。彼には本当に頭が上がらない一方である。


 エヴェリーナに事情を離した後、ユキトらは先にミズキの依頼を消化するため、彼女が話していた鍛冶屋へと向かっていた。

 エルフが多く行き交う小国は入り口から切妻屋根を冠った建物が立ち並ぶ。その様相は国というよりも中世のヨーロッパの村落、異世界を体現したような家並みであった。


 その一方で窓には惜しげもなくガラスが使用されていたり、ノルカーガでも見かけた外灯もどきが列立するところを見るに、決して後進ではない様子だ。

 外灯もどきを支える柱にはノルカーガ同様、使用不可と書かれた紙が貼られており、天辺の人口灯は暗くうなだれている。


「でも、まさかフミちゃんが友達を連れて来るとはねー」

「え、ええ。まあ」


 エヴェリーナという金髪のエルフはユキトのことをまじまじと見つめる。


 フミの頼み事、それは「一日だけエヴェリーナの前で友達のふりをする」ことであった。


 エヴェリーナは一人を好むフミを心配してか、一か月に一度、アルフェイムに帰って顔を見せるという決まりを設けているらしい。

 今日もその約束で訪れたそうだが、フミとしてはそろそろ彼女離れをしたいとのこと。そこでフミは人間の友達がいる所を見せればエヴェリーナの心配も薄れて、決まりを廃止できると考えたのだという。


 ユキトは一日友人を演じることで宿の口利きだけでなく、助けてもらった件もチャラになる。悪く無い話ではあるが、偽りの友人を連れてこないといけない状況をみるに、エヴェリーナが心配する理由もわからなくはない。


 エヴェリーナと話すたびに罪悪感と迷いが募っていく。


「そういえばまだ私が誰なのか話してなかったよね。私はエヴェリーナ・ティッカ、アウストリに住むエルフでフミちゃんのお母さん!」

「念のため言っておきますが違いますよ」


 エヴェリーナは不意に黒羽織を両手に抱えたフミの肩へ手を伸ばし、グイっと抱き寄せる。抱擁される少女は抵抗する様子もなく、たゆらかな胸部に埋もれた小顔を横に向けてユキトを一瞥いちべつする。

 端正でうら若い二人の様子は親子というより、ぬいぐるみとそれを抱く子どもの方が近い。


「そしてこの茶髪のエルフがファイちゃん! アウストリの門守かどもりを務めるとても優秀な新人よ」

「優秀って、さっき敵意のない相手に思い切り攻撃しようとしてたんですけどって熱っ!?」


 突如、灼熱を感じた手の甲を反射的に引っ込める。

 その様子を半歩先を歩くファイが傍目に口もとで笑みをこぼす。彼女の掌には黄昏たそがれを照らす炎が発現している。


「あっ、ファイちゃんいま彼に魔術使ったでしょ、めっ!」

「へぃっ!?」


 ユキトが前の少女に歯をむき出しにして怒っていると、エヴェリーナが片手を伸ばしていたずら少女の首筋を軽く触れる。彼女は話し声からは想像できないような高い奇声を上げ、ぴくっと身をのけ反らせて立ち止まる。


「ムカッときても魔術でいたずらしないっていつも言ってるでしょ、次やったら三秒だからね」


 首元を手で堅くガードしたファイは口をとがらせたまま何も言わずに歩き出す。

 傍から見ていると甘えん坊の三女を抱いたまま悪戯好きの二女を叱る長女といった感じ。やはり二十歳くらいの見た目をしたエヴェリーナに母親という肩書はしっくりこない。


「それにしても、もうすぐ夜だっていうのにずいぶん明るいんだな」


 現代の都会みたく至る所に明りが設置されているわけではないため、微かな星の瞬きも見える程度に町は暗い。ただ辺りには松明を手に持ったエルフ達が土道を歩き回っているのである。


 中世辺りの暮らしと言えば日照時間がイコールで生活時間、太陽光で動く機械のように陽が落ちると早々にイグサの上で横になるものだと思っていた。

 丸々中世ヨーロッパの複製でないにしても、緊急でもないのに村人が松明を持ってあちこち出歩くなんて少し意外な光景である。


「今、アウストリは対外から来た来訪者への対応でいろいろと忙しいの。特に作物の授受とかね」

「作物の授受?」

「最近、魔力の消費量が増えたって問題になってるでしょ。エルフは豊穣を司る種族でもあるから、他の種族や地域に食糧を分けているの。おかげで入域に制限をかける必要が出たんだけど」


 おっとりとした喋りで質問に答えるエヴェリーナ。いわゆるエルフが所有する種族バフみたいなものと考えるのが妥当だろう。


「そういやラライユ祭がどうのって話をメイさんがしてたな」

「豊穣祭のことね。エルフがその年の豊作を祝福するために執り行う祭りで、色んな種族を招いて料理を振舞うの」

「聞く限りいつも提供してるって感じですね」

「エルフが育てる作物は他の何倍も速く育つから。それに自分の種族のことを言うとあれなんだけど、エルフはねんごろで誰かに施したいって思う人が多いの」

「本当ですか……」


 懐疑的な目を腕白な茶髪エルフに向ける。


「何ですか、私も顔を合わせる前に一矢差し上げたではありませんか」

「攻撃なんかもらっても喜ぶわけないだろ」


 ファーストコンタクトしたエルフの高姿勢なイメージが思い起こされる。アルフェイムにも人事部があるのなら、種族の印象保護のためにも門守の選出はもう少し慎重に行うべきだと老婆心ながらにユキトは思う。


「エルフが平和好きで森の近くで住んでたりっていうのはイメージ通りなんですけど、豊穣を司るってのはイマイチ想像つかないですね」

「私も詳しくは知らないんだけど、大昔にアストリアっていう国に住む種族から受け継いだらしいの」


 珍しく聞き覚えのある言葉が表れる。アストリアといえばユキトの転生先として挙げられていた候補の一つだ。


「何か深い事情でもあったんですかね」

「それは……どうなのかな。あそこの方は色々と特殊というか、変わっておられるから」


 エヴェリーナの濁すような言葉を反芻はんすうするユキトは首を傾げる。


「ラリってクレイジーな種族の集合体ということです。人によっては狂人の巣窟、真夏のサナトリウムと称されます」

「直球だな! なんでそんな特殊過ぎる種族がいるんだよ」

「存じません、そのような枠組みを作った神に訊いてください」


 物怖じせず話すファイの後ろでエヴェリーナが苦笑いを浮かべる。どうやら彼女が嘘をついているわけではないみたいだ。

 ともかくアストリアの種族が第二の転生候補だったという事実は胸の内に秘めておいた方が良いだろう。異世界、あな恐ろしや。


「ま、まあ真相はともあれ、彼らの代わりにエルフが豊穣の権能を一任されたの。一応エルフも豊穣の神様と関りがあるみたいだからね」

「ついでに暦の編纂へんさんなどという雑務もおまけでついてきましたが。全く、どのような方がお決めになったのか存じませんがいい加減にしていただきたいものです」


 わざとらしくため息を大きく吐くファイからエルフの苦労が垣間見える。


「おっと、失礼」


 街角を曲がったとき、黒鋼の鎧を身にまとった紫髪の人間と肩がぶつかる。鎧の人は軽く謝辞を述べると急いだ様子で道を駆けて行った。


「アルフェイムもノルカーガみたいに人間を雇っているんですか?」


 先ほどからエルフに紛れてが鎧を纏った人間がやたらと目につく。対外からの来客にしては妙に住民と親しげで、エルフのそばを歩く彼らはお付きのように見える。


「彼らはノルカーガの機甲隊。ノルカーガとアルフェイムはリズで唯一の同盟国なの。ノルカーガは戦力をアルフェイムに提供して、その見返りとして一定の食料を――どうしたの?」

「いえ……何でも」


 襟を手で引っ張り周囲から顔が見えないよう隠れるユキト。鎧の型や色は違えど、肩当てにはよく見るとノルカーガの衛兵にも見られた例の印が刻まれていた。

 まさか入口のない塔件くだんでここにまで手が伸びているのではと肝が縮む。


「エルフは"弓と風"の他に治癒ちゆ魔術を伝承する種族でもあるから、血気盛んな人達に目を付けられることがあるの。彼らはそういう輩から護ってもらうための力、有体に言えば保険ね」

「治癒魔術はエルフのなかでも習得者が限られる術、中には誘拐を試みる悪者もいます。それゆえ治癒魔術を会得したエルフには自警団や機甲隊から選出された専属の近侍がつけられるのです。……ですから、今日のところはまだ気にしないで良いと思います」


 エヴェリーナに体を預けたまま、フミが手を添えて小声でユキトを心配を溶かす。


「ちなみにその治癒魔術を会得したエルフの一人が私よ」

「そして私は現在進行形で治癒されています」

「その抱擁、治療行為だったのか……」


 フミの背中を注視すると、仄かに緑色の淡い光がエヴェリーナの優しくこする手にまとっているのが分かる。どうりで抱き着かれても抵抗しないわけである。


「でも、それならエヴェリーナさんにもお付きの方はいますよね、どうしたんです?」

「えぇっと、それはー……」

「エヴェリーナ様ーっ!」


 エヴェリーナが言葉をぼかして明後日の方向に目をやった時だった。遠くから機甲隊の一人が金髪エルフの名を呼びながら彼女のもとに駆け寄る。


「また黙って家を抜け出されて、何かあればどうするおつもりなのです! さあ、夜も近いですので家に帰りますよ!」

「えーいやーまだ帰りたくないー!」

「駄々をこねなさらないでください! ファイ殿もお手伝い願います!」


 脚を頬り出したエヴェリーナは一人、機甲隊の男に腕を掴まれ引きずられていく。二十歳代の麗しい女性は玩具売場の小学生へと見事に変貌を遂げる。


「それでは、私もエヴェリーナ様に同行するためここで失礼いたします。道中お気をつけて」

「雨が降る前に帰ってくるのよー……」


 ファイはフミらに軽く会釈をした後にエヴェリーナへと駆けだし、彼らは道の角へと消えていった。


「ああいう脱走系お嬢様って本当にいるんだな」

「いつものことなので気にしないでください。それより、早く鍛冶屋に向かいますよ」

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