第55話 通過すべき点

「騎士は段を戻れ、その他は下りて前へ出よ」


 両手を剣の柄にのせた天爵は影のさす面を正面のユキトらに向ける。どういうことかわからないが既に天爵にはユキトらの位置が気付かれているようだ。


「ごめん、俺に出来そうなことはもうなさそうだ」

「ここまで連れて来てくれただけで十分だ、後は安全なところで見守っててくれ」


 フミとリザルチは能力を解除して三人の姿が足元から浮かび上がる。

 二人の肩を軽く叩いたリザルチは踊り場まで上り、フミはユキトの隣まで下りる。


「俺たちを殺すつもりか」

「急いて去する必要はない、しかしこのまま逃す由もない」


 天爵は緩やかな歩みで門の敷居を跨ぐ。


「通りたくば通るが良い。一度敷居を跨がば攻撃も行わん、追跡者も出さん。但し我が横を通過した者は容赦なく首を落とす」


 床に先が埋まるほど強く剣を突き立て、天爵は組んだ両手を肩より少し高い柄頭に置いて門の前を陣取った。


 奴と石門の間は少なく見積もっても3メートルほど、行動不能にしない限り斬撃は免れない。


「原初の凍土は灼熱と差交さずに留める――イサ


 天爵の足元に六角形の氷膜が張り巡り、氷がせり上がるようにして漆黒の足鎧に浸食する。


「白木は凍土に天高く伸びて留置する――ベルカナ


 氷膜の角から六つの凍てついた白色の大木が生え、凍った葉が天井に触れるまで天高く伸びる。すると幹が至る所から割け始め、割れ目から霜柱のような細い氷が噴出するように現れ、隣の白木や天爵の体に付着する。

 天爵の体に届いた霜柱は付着部分から体を凍らせる。幹同士に付いた霜柱は他の霜柱との間に氷壁を作り出し、天爵を隔離した。


 これでは剣はおろか指先一つ動かすことは難しい。


「――っ!」


 突き立てた大剣や腕の周囲から真赤な炎が渦を巻いて溢れ出し、手元まで凍てつきかけていた体や周囲の氷を延焼させる。

 燃える白木や氷壁は溶けるよりも前にひびが入って、悲鳴に似た軋む音とともに崩壊を始める。


「礫は天球と成りてかの者に圧し掛かる――エワズ


 崩れた氷塊は落下すると同時に近くの塊と引きあうようにして大きな楕円体を形成、頭上から天爵を圧し拉ごうとする。


 対して天爵はただゆっくりと上に右手をあげてこれに備える。氷塊の下部が彼の掌に触れ、脚に重圧が加わると未だ燃える床の氷膜が宙に飛んで舞う。


 氷塊の自重が完全に加わった、そのとき稲光が天爵より頭上を埋める。

 巨大な氷塊はその場で砕け散って霧散、小さな破片は落ちていく。天にかざされた手からは雷のような光が放たれており、地に落ちていく破片をことごとく消し去る。


「やはり欺かねば本領には至れぬか」


 円を描いて腰高まで燃え上がる炎と舞い散る氷の粉に帯電する雷。その向こう側に無傷の天爵の姿が黒い影となって浮かび上がる。


「フミの魔術もお構いなしか……!」

「しかしあの者の光剣は対象以外の全てを通します。通るにはあの者の動きを封じる必要がありますが、倒し切る気概でもそれが通じるかどうか」


 強く握る筆を少なくなり出した正方紙に走らせるフミ。だが放たれる魔術は全て天爵へと届くよりも前に打ち消されてしまう。弱体化している今の彼女の力では余裕を見せる未知数を相手に届かせることは難しく、いたずらに正方紙が消えていく。


「これ以上戦うまでもない、今ならまだ房へ戻ることも許そう」

「今更引き返すなんてことあるかよ」

「ならば問おう、御主らは此処を出てどうするつもりだ」


 天爵の問にユキトは目を細める。


「また云百年と岩陰に身を潜めるか、それとも白羽の矢が射抜くまで逃れ続けるか。何方にせよまともな生き方など出来まい。

 そのような暗夜荒野の先に、御主は何の景色を望む?」


 暗がりに陰った厳めしい面がユキトの後ろ足にかかる重圧を増す。

 天爵の言葉も正しい、城から出たとしても彼女に対する印象が変わるわけではない。姿もバレて、今まで以上に行動も制限され危険も上がる。自由と呼ぶには枷が多すぎる。


 それでも、


「望む景色なんて端からない。だから何千里だろうがもがいて進む、俺は俺の信じる正しさに向かって死ぬ気で走る。それだけだ」


 複雑怪奇なこの世界では自分の理解し得る範囲で、出来得る限りのことをするしかない。その結果が何であれ、彼女を見捨てた結末より断然に受け入れられる。


「ではそれに見合う実力と信用、此処で見せてみよ」


 天爵は地に立てた大剣を引き抜き、横に行きだした。


「フミ、相手の魔術を封じることは出来たりしないか?」

「本当に一瞬で良いなら可能ですが、何か策があるのですか」

「ああ、相手がバカじゃなければな可能性はある」


 真っすぐ天爵を見るユキトの横顔を見ながら首を傾げるフミは書き込んだ正方紙をユキトの持っている剣の柄に巻き付ける。

 ユキトは彼女から剣を受け取ると紙の巻かれていない柄の下部分を右手で握る。


 自負か油断か、見た様子だと天爵は彼より向こう側へと逃げ出さない限りはこちらへの攻撃も行わない。それならその手加減を狙うのみである。


「じゃあ、行くぞっ!」

「っ!?」


 左の手で黒羽織から出る小さな手を握りしめる。

 そしてやや戸惑うフミを連れて石門へと力を込めた脚を前に出した。


 天爵はそれを見て片手を前に突き出し、自身の前に下に炎、空中に雷を敷く。横にも縦にも伸びた異能の壁は厚く、ユキトとフミを石門から完全に遮断する。


「リザルチ、すまんっ」


 走りながら右手の剣を思い切り地面に叩きつける。剣は非常に脆く、刃が半分以上折れて砕け散る。


 そして、折れて軽くなった剣を目の前に腕を振り切って投げる。


「雷火封じて今に還せ――イング


 雷に突き立った剣を中心にして雷と炎が引き込まれていく。みるみるうちに収縮した異能の壁はついには剣に全てをのみこまれた。


「っらぁ!!」


 地面に落ちかけた半壊剣を下から拾い上げると、ユキトはそれを天爵に向かって投げる。


 天爵は腕で飛んできた剣を片手でつかみ取る。


 腕を払った彼の視界の先には横側でなく、己へと突っ走ってくるユキトとフミの姿が入る。


「己の活かし方を見出したか――」


 天爵は初めて剣の先を床から離し、掌をかざしたユキトの体を避けるように横に跳躍する。


「流水繋縛けいばく――オシラ


 足元で燃焼し続けていたわずかな水が炎を振り払って細く線をかたどり、天爵の剣を絡みついて地とつなげる。


 石門への道が開かれ、ユキトの踏み込む足にさらに力が入る。


 天爵の横を過ぎる。瞳は唯一、三歩先の出口に向けられる。


「――しかし」


 絡めとられた剣から手を離した天爵の左足が強く地面を踏む。首はとれるのではないかと思うほど捻られ、面が標的を真っすぐ捉える。すると破損したはずの剣が瞬く間に形を取り戻し、折れる前の剣に戻る。

 そして剣はおおきく振りかぶられる。


 ユキトらの立ち位置は間違いなく刃が描く円弧の範囲内、当たれば身体が真っ二つになることは避けられない。幸か不幸か光剣でないため物理的に防ぐことも可能だが、フミも残紙が手元になく遮蔽物は生み出せない。


「そう簡単には、いかないよなっ」


 踏み込んだ右足をくるりと翻し、体を反す。握ったままのフミの手はその反動で大きく前へと引かれ、体を反したユキトの右肩を過ぎる。


「ユキトっ!」


 手を離したフミの声を背中に受け、上体を後ろに反らしたまま上に立てた右腕で構えの姿勢をとる。


 力技に犠牲が伴うことは重々承知。彼女を救うために、腕の一本で済むのなら本望である。


「来い、天爵っ!!」


 横薙いだ直立の剣が銀の半円を現す。光速で腕に刃がかかり、切っ先が腕に触れる。


 脳の時間が凍結。右腕に食い込んでだ鋭利な鉄も喉元を一直線に断とうと狙う突起もはっきりと見える。


 じわりじわりと溶け始め、額に水滴が流れる。秒針が目盛りの間を進むが如く刃が肉を押し進め、上体がわずかに速く後退する。


 確実に失う怖れと致命的な斬撃を逃れる安心が混じった瞬間、時は戻った。


 剣は腕より左に移動し、先が天をさす。腕に痛みと熱が走って自然と顔が歪んだ。


「あぐ……っ?」


 細くなった視界の世界に違和感を持つ。


 断たれたはずの右手が未だに繋がっている、それどころか痛みに同調して指が苦しみ喘いでいるようにも見える。


 思い切って瞼を見開いた。


「なっ……!」


 斬り込みと撫で斬ったような線があるが腕はしっかりとくっついたままである。


 その丸まった目は次第に手へと集約する。彼の甲、そこに書かれたルーンの文字が光っていた。


「どういう……っ!?」


 疑問符が頭上に浮かぶなか、天爵は水の纏わりついた剣を握ると瞬く間に光を纏う。天をさす光剣は両手で握られ持ち直される。


 左足が後ろについたとき、背後を一瞥する。慣性のまま飛ばされたフミは既に門の外、自身もあと一歩分の距離までの場所に足が届いている。


 踏みしめた左足が宙にはねる、同時に頭上から光明が落ちる。迫る光の束に手をかざし、最悪の場合に備える。


 視界の両端に石門が入り込む。それでもなお光は伸び、剣先は背に日を浴びる身体を確実に捉えようとする。


 やはり逃すつもりはないか。


「こいつは……違う」


 しかしその過りは刹那に霧散し彼の中で覆る。


 高くかざした手をのける、そして大きく腕を広げた。


 肩から腰までを確実に斜めに光が通った。


 胸の奥が冷えたまま、敷居の外で両足を地につける。そして胸の辺りを軽く触れて顔の前に出す。

 血は付いていない、当然痛みもない。


 城内へと顔を向ける、天爵は光剣を振り下ろしたまま微動だにせず、ただ静かにユキトへと厳かな面を向ける。


 どうやらこれで正しかったようだ。


「いこう、フミ」


 真っすぐなまなざしを天爵から離して振り返ると、状況をのみこめず怪訝な面持ちをしつつも凛々しい顔を頷かせた彼女の手を取る。そしてそのまま、城壁の外へとつながる道を彼女を引いて駆けだした。


 藍が白く滲みだした有明の空には日が上り、月日が淡く夜を照らした。

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