第54話 逃走経路

「いや、何とか間に合って良かったよ。まさか騎士団長たちまで騒動を嗅ぎつけてたとは思わなかった」


 あの場から抜け出したユキトたちは走りっぱなしで今にも心臓が破裂しそうなほど呼吸をあげるリザルチに連れられて、本城への渡り橋を目指して廊下を駆けていた。


 先の騎士団長らが集った際、ユキトとフミの傍にこっそりと近寄ったリザルチが騎士団長らがいる扉の反対側から逃してくれたのである。


「ストレイフは大丈夫なのか?」

「うちらの団長がいるから問題ないよ、あの人はそう簡単に人を倒しも倒させもしない。心配するなら今は自分たちのことを心配しなよ、君たちが逃げ出せなかったら全部水の泡なんだからさ」


 透明化を発動するリザルチは息をきらしながらも背後の二人に頬をあげて笑顔をみせる、その自然さと落ち着きようからも騎士団長への信頼は厚いようだ。


 斜め後ろに目を動かすと、そこにはおいていかれないよう足を動かすフミが。

 身体に目立った疵もなく青の流体によるダメージも大きなものではないようだが、少しおぼつかない足取りや変わらない深刻な表情は彼女の心情を如実に表していた。


 かくいうユキトも近からずも遠からずといったもの。

 意思より意地で両足が順にバタつかせている状態。限りなく弱い力が後ろへと働いてどうにもじれったい感覚に陥っていた。


 刻筆師へ向けられた恨みを軽視していたつもりはないし、フミをここから出すこと意思は変わらない。


 それでも己と人と国のため刻筆師に対し刃を向けた騎士に、言葉で知る実情より奥に潜んだ現実を思い知らされた。


 否定されるべき存在を背負うことのいかんともしがたい虚無感は想像を絶するものである。


「あった、出口だ!」


 リザルチが開きっぱなしの扉をくぐり、二人もその後を追って渡り橋へ出る。橋の下はそのまま建物外部の庭か何かに通じているはずである。


「少し高いが、ここから降りれば……!?」


 おぞましい光景がカっと見開いた瞳に映った。


 渡り橋の下、塔に入るまでただの芝は広がっていた場所に漆黒のもやが一面を覆い隠し、二階相当の高さで粒子状の波を打っていたのである。靄の間から微かに見える地面はただれたようになっており、草木が完全に消えている。


 城や別塔の壁に打ち叩かれる黒靄の波は嵐の海崖のように上へと反りかえり、ユキトらの立つ渡し橋の高さまでせりあがる。

 打ち上がった波は壁にかかったランタンをのみこんで地に沈む。いや、正しく言えば波の触れた途端から削り取られるようにして消失した。


 それだけでなく外から葉っぱや鳥が飛んでくると靄は重力に逆らって上に伸びてそれらを取り込んでしまう。


「なんだ、これ……」

「第六師団長の能力だよ。あちらさん、本気で君たちのことを逃がすつもりはないみたいだね」


 とにかくここから脱出するのは不可能であると、リザルチたちは急いで城の中へと逃げ込んだ。


「……やっぱり、城の周りも靄だらけだ」


 窓外の地面も変わらず、黒い靄が城と城壁に挟まれた地面をどこまでも取り囲んでいる。窓から飛び降りて逃げ出すことも当然できない。


「この靄どこまでが範囲なんだ、さすがにどこまでもってことはないだろ?」

「それなら期待しない方が良いよ、ヴォルコフ騎士団長の能力範囲は少なくともこの城全体を優に超えるから」

「なら俺が触れて範囲を狭めたら何とかなったりしないか」

「出来たとしても君は腕を持っていかれる、しかも最低限の代償でそれだ。あまりお勧めしたくはない」


 どうしようもない現状に挙げた右手を力なく落とす。


「大丈夫、まだ一つだけ道がある」

「裏口でもあるのか?」

「いいや、もっと真正面からだよ」


 リザルチは靄の立ち込めた地面へでなく、ほんの少し白み始めている夜空に顔を向ける。


「エントランスの正門扉は日の出とともに開門するようになってる、もし正門前まで靄が広がっていたら城内に逆流してくることは目に見えている。だけど」


 そういって顔を動かして前方に視線を誘導するリザルチ。そこには剣を抜いて即応態勢をとっている衛兵が十人程度の群をなして周囲を警戒している。


 先ほどからも城内に入ってから彼らのような衛兵の集団はいくつも見かけられ、場内を駆け回っているようだった。


「城内にこれだけ衛兵が残っている状況でローラー作戦なんて起こすとは考えづらいよ」

「正門扉までたどり着けたら、脱出できるかもしれない……!」

「俺とフミさんの能力ならほぼ確実に誰にも気づかれることなく移動できる、本当に靄がないことを祈るばかりだね」


 そう話しながらユキトたちは衛兵の群を間を縫うように通り抜けて突破する。光も音も魔力も遮断されている状態であればまず察知される危険性は限りなく低い。


「まあダメでもともとだ、靄が流れ込んできたらどちらにしても逃げ切れない」


 目的の決まったユキトたちは北側のエントランスを目指し、衛兵の集団をいくつも抜けて真っすぐ廊下を走る。


「ここを曲がればすぐそこだよっ」


 先行するリザルチを追って角を曲がると、そこは月明かりも差さない真っ暗なエントランス。出てきた二階部分は細い廊下が城の縁を通り、廊下から延長する赤絨毯の敷かれた両階段が異様なほどに広く高い一階の広場に続いている。その先に5メートルはある背高い石門がどしりと構える。


「開いた!」


 ユキトが下り階段に足をかけた瞬間、ガタンと大きな物音が鳴り響き重厚な石門が小刻みに振動を起こしながらゆっくりと開かれていく。


 息をのんでその向こう側に目を凝らす。


 白煙と埃が月と陽の混じるわずかな外光を受けて輝く、だが黒靄が流れ込んでくる様子はない。


「よしっ、いける……」


 階段の下りる足を速め、たどたどしい足取りで転ばないよう床を注視しながら朝ぼらけが切り開く影の割け目に体が触れる。


 視界上部に、光が差す。


「……!」


 エントランス一階を踏んだとき、すぐ後ろのフミに右裾を思い切り引っ張られる。


「何、どうした」


 後ろに引かれた反動で顎があがり正面を向く、視界に入ったのは人の影。


 石門へ続く道は堂々とした出で立ちで塞がれ、無限遠の光を放つ剣を地に突き立て両手は柄頭に置かれる。


「……やっぱり、ただじゃ逃がしてくれないか」


 それは、あの緋霄での、城下以来の後会であった。

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