第53話 奪ったのは
斬られることのないと確かめたフミは横たわる騎士の隣を歩いてユキトのいる牢へと近づく。
正面から窺える彼女の表情には怒りも安堵もない。先ほどよりも深く重い悲愴、彼女の面持ちは戦闘中ただの一度も崩れることがなかった。
地に伏した騎士、実際にその表情は見えないが容易に察することが出来る。
この戦い、終わってみればあまりに圧倒的な差を見せられたものだった。もし騎士が命のやりとりを望んでいたのであれば、この結果は屈辱で残酷としか言い表せないものであろう。
「俺たちは絶対に真実をないがしろにはしない。必ず全てを明らかにする。だから、どうか信じてくれないか。アレクタリア」
痛みのなくなった腹部から手を離したユキトは腰を上げて牢を出て、伏した騎士に顔を向ける。
「……そのようなこと、もう不可能だ」
騎士が小さくくぐもった声を発する。
「あの者は、正しく英雄であった。ときには敗色濃厚と思われた戦をただ一人で覆し、ときにはすべての者の傷を癒した。見返りは何も求めず、そのうえでただの兵士一人でさえも決して見捨てることはしなかった。その慈しみと非凡な力はもはや神の使いかとも思った」
語り続ける彼の声は進むほどに柔らかなものになっていく。
「しかしそれは全て偽りだった。奴は俺の眼の前で何万何十万もの仲間を躊躇の暇もなく一瞬にして燃却したッ、明日を誓いあった親友の悲鳴が、この身を挺してでも守ると約束した部下の叫喚が、親のように慕った上官の怨嗟が、その悉く灰すら遺さずに消し去られたッ! 信じていた者の手によってッ!
俺たちから信じることを奪ったのは、刻筆師ではないか……っ!」
言葉が積まれるほどに強くなった彼の語調はしゃがれて萎み、荒んだ息づかいが壁に反響する。騎士の歪んで震える口もとから一筋の血が流れた。
騎士に有体な声を掛けることも、ただ振り返って去ることも出来なかった。少年の脳内に築かれていた基盤は揺らいだような気がして、身の隅々が石になった。
「ユキト君、君は騙されている。君が行おうとしているのはか弱い女子を一人助けるなんて美談では済まない、先の緋霄のような惨状を再び起こす引金を野放しにするようなもの。それはもはや彼女の正体や意図に関わらない、存在そのものが引金になり得るのだっ」
「全くもってその通りですよ」
声色を取り戻して諭そうとしたアレクタリアを籠った鼻声が遮る。
「面倒なことをしてくれたものです、大罪人の脱走となれば我々まで出て来ざるおえないではありませんか」
騎士のいる側の扉から迫ってくる人影は、暗紫色を全身に身に纏う機人であった。
「こちらとしては全て安全に残しておきたかったところなのですが、刻筆師が相手ではそれも難しい。仕方ありません、"鍵"だけは回収しておきましょう」
「鍵……何のことだ?」
ユキトが眉をひそめていると、扉の向こうからもう一人現れる。
「ユキト殿、フミ殿は……っ!?」
走り込んできた ストレイフは眼前に立つ暗紫色の機人を見上げた瞬間に顔を強張らせた。
「クルス……第二師団長……!」
「おやおや、あなたも彼方側の人間ですか。その秤の紋章、第一師団の騎士のようですね。確かに、それなら納得です」
ストレイフの前掛けに記された紋章に目を落とす機人。
「っ!!」
この場の現状をあの一瞬で読み取ったストレイフは目元を引き締めて厳しい表情に戻ると、抜剣して機人へと駆け出した。
暗紫色の機人はそれに対して慌てる様子も見せず、ただ眺めるだけで腰のレイピアらしき片手剣には手を伸ばさない。
「ったぁっ!!」
飛び跳ねたストレイフは長剣を振り上げて鎧の頭部へと狙いを定めるが、なおも機人は動きを見せない。
振り下ろそうとする彼は向きをそのままに一瞬で機人の背後へと移動し、振り向きざまに不用心な背中へ斬りかかった。
「っ!?」
紫の籠手は最小限の動作でストレイフの刃を受け止める。首は微動だにせず、震えるほど力を込めた騎士の剣をただ指先の力だけで捉える。
「修練以前に、少しは力量を推し量って先を見る頭を身に付けなさいッ!」
力のままに奪い取られた剣は持ち替えることなくそのままストレイフへと打ち下ろされ、大きく出っ張る鍔が彼の肩を強打する。
空中で身動きの取れなかった体は苦声を漏らして、思い切り地面へとたたきつけられた。
「まぁ、
機人に奪われた長剣は手首のスナップで縦回転して柄を持たれると、天井に先を向けて振りかざされる。
その下にいるストレイフは痛みに腕一つ動かせない。
「反逆者には
「ストレイフっ!!」
剣身は地に伏す彼に容赦なく接近、機人の手は腰下まで振り下ろされた。
が、切っ先は彼の体に届いていない。けたたましい音を響かせたかと思うと刃の先がユキトの足元にまで転がった。
「――おや」
暗紫色の機人とストレイフの間には突如、第三者が挟まる。
出現した人の騎士はハンカチほどの布を掌にのせた右手をかかげ、剣の描いた軌道上に位置していた。剣を破損させたのは間違いなくその男だった。
「これはこれは第一騎士団長様。わざわざご足労いただき私奴、恐縮の至りでございます」
剣先の折れた剣を離れた地面に落とし、男への攻撃もなかったことかのように膝を折って軽く会釈をする暗紫色の機人。
「俺のとこの騎士は俺のとこで方をつける。今はそのようなことに手間をかけている状況ではないだろう」
灰髪の騎士は布を雑に握りしめて右手を下ろして突き刺さんほどの厳しい目つきで機人に相対する。
「いかにも、今は刻筆師の件を片付けなければ……あら?」
機人は灰髪の騎士を見越して彼の背後を注視する。
「あの二人、いらっしゃいませんねぇ」
「なぁっ!?」
灰髪の騎士は急いで体の向きを反す。彼の眼前には先ほどまでいたはずの刻筆師とそのお付きの姿がまるっきり消えていた。
蔦に囚われ地に伏したアレクタリアは小さく開いた扉の向こうを恨めしそうに睨みつける。
「刻筆師……顔は覚えたぞ……っ」
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