第52話 囚われた者達

「っつ!!」


 考えるより先に二人の間に入ったユキト。松明を放してどうにか剣を立てて騎士の刀を防ぐことに成功したが、


「うぐぁっ!」


 刀から発される流体はユキトの横腹に付着し、表面から青く燃え出して彼に気絶せんほどの激痛を与える。


 ユキトが間に合うと思っていなかったか、面食らった表情の騎士は扉の外側まで大きく距離をとる。青い炎はすぐさま鎮火したがジワリと広がる鈍痛が神経を掻きむしり引き裂き続ける。


「裏切られるまでがワンセットかよ、タチ悪ぃな全く」

「気づいていたのか」

「何となくだけどな。こちとらこの世界ですらもう経験済みだ、警戒しないわけ無いだろ」


 膝を折ったフミに背を支えられながら、大きく肩で息をするユキト。


「欺いたことに関しては心の底から陳謝する、この場を終えたらどのような苦楚の後に殺されても構わない。だから、どうかこの一瞬だけは猶予を」


 騎士はその場で刀を振るい、しゃがんだフミの顔に刀の切っ先を突き付ける。


「それだけ言うってことは、先代の事とかはもう知ってのことだよな」

「当然。しかしこの国の民が信じるに見合う証拠はどこにもなく、仮にその話が真実だとしても有益な情報を提示するわけでもない。どちらに転んでも危険因子であることに変わらないなら、斬るほかに道はない」


 腰の懐から短刀を取り出す騎士。

 左手に握った刃渡り30センチほどの短刀が落涙する刀の側面にあてがわれると、鍔側から切っ先へと一気にスライドさせる。


 そしてすぐさま立てた短刀の峰を横にした刀で十字を作るように思い切り打ち叩いた。短刀と刀の刃に付いていた青い流体は前方に飛び散り、宙に浮いたと思うと無重力空間の液体のように小さな球体になってフミたちの周囲にとどまった。


 青い球体は内側に炎を内包し、薄明く辺りを照らす。


「二百年、この瞬間のために生き長らえた。同胞の復仇のため、この国の安寧ため、其方を討つ」


 薄気味の悪い青い明り越しに、騎士が姿勢を低く構える。


「かの者に痛みからの解放を――ウンジョー


 詠唱したフミが苦痛と歯がゆさに顔を歪ませるユキトの体に正方紙をかざすと、鈍痛の残滓がゆっくりと溶けて身体から消えていく。


 そのまま彼女はユキトの前にでて、遠くで臨戦態勢をとる騎士と対峙した。


「いざっ!!」


 低姿勢の騎士は再び首に右腕を巻いて刀の峰が背に付くほど振りかぶって地面を蹴り出す。左手の短剣は刀の根元あたりを押さえて、互いの鍔と刃で流体をとどめている。


「嵐の海は霜にて気魂を凍める――イサ


 フミの足元から現れた歪な氷塊が床を凍らせながら騎士へと這い進む。

 氷が球体の間を駆ける騎士の手前まで到達すると一気に高さを作り、行く手を遮るとともに覆いかぶさろうと流体ごと大きく彼を取り囲もうとする。


 氷壁に囲まれかけた騎士だが背後へと逃げることもなく、己を包もうとする氷壁に正面から横薙ぐ。


 斬り込まれようとした氷壁は刀と接した瞬間に刀身ごと凍らせて、それ以上押し切れないようからめとる。刀身をのぼる霜は瞬く間に騎士の腕まで到達し、彼の体を真っ白に覆う。


 氷壁はドーム状に騎士を囲い、完全に閉じ込めた。


「!?」


 突然、フミが一瞬だけ喉から掠れた苦鳴をあげる。


 それとほぼ同タイミングに騎士を完璧に捕えた氷のドームにひびが入り、みるみるうちに崩れ始める。


 それは明らかに斬撃によるものではなく、自壊によるものだった。


「痛みが完全に届くより前に一瞬で魔術を断つ判断をしたのか、やっぱり逆伝播だけではいかせてくれないか」


 バラバラに崩れる氷塊のなかから現れた騎士の影が刀に付いた氷を振り払い、細かな粉が光を放って散乱する。


 地面に散らばる氷の群を注視する。いくつかの氷には例の青い液が付着しており、表面だけが青く燃え続けている。


「使用する魔術に触れただけでも痛みを与えるのか……!」

「決して逃がさない、身を知る雨をもって焼き棄てられた同胞の無念を晴らしこの国から危機と恐怖を完全に排する」


 刀で十字を作った剣士は再度刀身同士を打ち付け、彼の前方に幾つもの青の球体を浮かび上がらせる。しかし今度は散り散りにではなく、騎士の前で並ぶようにして壁のようにして留まる。


 その行動にフミは即座にその意図を察して紙をとる。


「発っ!!」


 騎士の刀が正面に突き立てられたとき、壁を成していた球体の群がフミに対して一斉に放たれる。


「霰鉄照射――エイワズ!」


 照射とほぼ同時に詠まれると、牢屋に散乱した格子の残骸が輝きながら宙に浮き、放射される水滴に向かって衝突する。


 その後ろを格子の残骸を小刀ではたき落としながら低姿勢の騎士が接近する。


「対峙する者は矢先を対に反転する――パース


 詠唱後、大刀の刃三本分まで近づいた騎士とフミの姿が一瞬だけ消え去ると互いの位置が逆転する。


 騎士は驚くことなく脚を前に出してかかとで床を擦り、前傾姿勢のまま前髪を揺らして勢いを殺す。


「君、ここは危ないからすぐ牢屋の中に。もちろん邪魔だてはしないで」


 腰を伸ばした騎士が横で座りこんでいるユキトに対して忠告する。位置入れ替え後に間合いをとったフミもユキトに顔を向けて騎士の言葉に従うよう顔を引く。


 この場に己が介入すべき瞬間はないと悟ったユキトは手を伸ばせば騎士に届く範囲から何も言わずに破れた牢屋へ体を移す。


「刻筆師、あなたは何故今になって姿を現した? よもや自分の立場を忘れていたわけではないであろう」

「私はただ守りたいものを守ろうとしただけです」

「よくもそのようなことを口にできたものである。最後には全て破棄するくせに」


 軽蔑する眼光が貫かんほどに刻筆師を睨みつける。


 瞳を曇らせた彼女の背後には先立って用意していたのだろう青の流体が浮いて、逃げ場を塞いでいる。


「今や国の多くは大戦より後に転生した者、刻筆師という存在を真に知らないから先送りなどと甘い判決を下そうとしている。だが俺は違う、その者の危険性を誰よりも知っている。だから今ここで斬る、二百年前の再現など絶対にさせないっ!」


 低姿勢の構えで騎士は再びフミへと接近する。


 すると、周囲に浮遊していた青の流体がタガが外れたように容赦なくフミの体を狙い撃って次々と放たれる。


「床は上りて篠突く雨をしのぐ――スリザス


 上下の石床がフミの周りを囲うように隆起して彼女を完全に隔離する。

 円柱型の石壁は飛来する流体を受けきる。遮られて確認できないが、彼女が苦痛を表している感じはない。


「術を解いて自然の障壁を作ったか、ならっ!」


 流体をためる小刀が大刀の刃から離され、円柱状の壁に投げつけられる。


 小刀の先が粗く出来た割れ目に突き刺さる。騎士は片足を高く上げてその小刀の柄頭を靴裏で力強く踏み押した。


 小刀は壁を貫通し、瓦礫が土塊みたく窪んだ床に落下していく。隙間の先にフミは立ち尽くす。


「終わりだ、刻筆師っ!」


 縦に振り下ろされた一太刀が壁の内側を一刀両断。流体どころが刃まで彼女の体に届いた。


 刃の入りは深く、切っ先は奥の壁をかすかに削る。傍で見ずとも致命傷は免れないことを理解できてしまう。


「何だ、この感覚……?」


 騎士の額にしわが寄って、下ろした自身の刀に視線を落とす。

 彼は絶句した、確かに斬ったはずの刃には一滴の血も付着していないのである。


「形代破りて幽囚の身を捕えよ――ナウシズ


 円柱の壁や足元の床を割って数本の太い蔦があらわになり、騎士の足や腕を無造作に絡みつく。伸びた蔦は騎士の手首を籠手を粉砕するほど縛り上げ、彼から刀を落とさせた。


 壁の崩壊とともに斬られたはずのフミの体が白い光になって霧散し、壁の中から本物のフミの姿が現れる。そうなって初めて、円柱内にもう一枚壁が出来ていたことにユキトは気付いた。


 肩より下を封じられた騎士は蔦の力で前に倒され、歪なりに窪んだ石床にうつ伏せになる。蔦は地面に根を張り、彼を完全に床の上に捕獲した。


 騎士から離れた刀は床を転がり、周囲を取り囲んでいた青の球体は内側の炎を失うと次第に薄れて消えていく。


 全て終えたと理解したフミは静かに筆を黒羽織の内に仕舞った。

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