第51話 再会

「フミ!」


 道中で衛兵から取った松明を片手に持つユキトが鉄格子越しにフミの姿を見つけて立ち止まる。


「どうしてこのようなところに……?」

「ここから出すために、決まってるだろ」


 騎士たちの協力を得つつ廊下や階段を駆け抜けてきた彼は剣と松明で塞がったままの両手を膝に付けて荒い呼吸を整える。


「迎えに来たぜ、今度はこっちから」


 ピンと腰を伸ばして心ここにあらずといった様子で見上げるフミと顔を合わせる。


「……なりません」


 しかし、フミはすぐに顔を伏せてかげった表情に戻ってしまう。


「私は刻筆師、自由になることなど決してあってはならないのですから」

「ま、そんなところだと思ったよ」


 ユキトは檻に近づいていてしゃがむ。


「押し付けられた他人の罪までお前が背負う必要なんてない、フミが例の魔手とは違うってのは事実なんだろ」

「人からすれば私は刻筆師であり裏切り者、それもまた事実です」

「他人の考える真実なんかに合わせてたら自分が死んじまうし、結局のところ誰のためにもならない。お前はお前なんだ。フミの思う他人じゃない、フミ自身の心が向いた先に俺は連れていきたい」


 自分でも驚くほどの、それでいてどこか生前の懐かしさも感じる優しい声色で話しかける。床に伸びる二つの影は静かに揺れ動く。


「おーい、あったよーっ!」


 ユキトが通ってきた石扉から高らかな声が流れ入ってくる。


「フミさんの羽織、上の異能研の倉庫にあったからちょろまかしといたよ」

「あなたは……イヴの近侍?」


 黒羽織を持ってユキトの傍まで駆け寄ってきたリザルチはフミの方を見てにこりと目を細めて軽く手を振る。


「ありがとう、あと出来たらフミに掛けてやってくれないか。俺が触れるわけにはいかないからさ」

「もちろんだよ」


 リザルチは格子の間に小さく畳まった黒羽織と両手を通すと、器用にそれを広げて傍に座り込んでいるフミの背中に優しくかける。


「こんな狭い場所で色々と災難だったね、ここから出たらちゃんとイヴさんに顔を出してあげてね」


 かけ終えた彼の右手が戸惑ったフミの小さな頭を黒髪の流れに沿うように撫でる。


「それじゃ僕はもう少し外で見張っているから、ちゃちゃっと出ちゃって来なよ」


 右手のひらに炎を灯したリザルチはユキトたちに振り向きざまに目くばせをすると石扉の向こう側へと駆けていった。


「刻筆師を嫌ってる人間はたくさんいるかもしれない。でもそのなかにお前自身を見て嫌ってる人間なんて、お前を大事に思う奴より間違いなく少ないよ」


 ユキトは絶碧岩の格子に指先を伸ばす。


 触れた個所からは青色の雷火が周囲に発散し、辺りを白く照らして魔力吸収能力を弱化させた。


「だから出て来てくれ、俺たちには黒縄フミが必要だ」


 彼の伸ばした手と言葉に、羽織のかかった少女の肩がピクリと上がった。


「……少しだけお離れください」


 寸秒の沈黙は一つの深呼吸と息漏れ声の混じったか細い言葉で破られた。


 フミの言葉通りユキトは檻から距離をとると、彼女は手の拘束具と壁を繋ぐ鎖を引きずりながら若干後ろに下がって目を閉じる。


 彼女の膝元に神秘的な白光が発されて美麗な白皙の顔が下から照らされる。数秒間の後、すぐ目前の床に正方形の積み重なる白紙と筆が現れた。


 彼女は腰を深く曲げて筆の軸を口で咥えると紙に筆先を押し付ける。墨もつけていない筆は黒く線を浮かび上がらせ、歪んだ一つの文字を形成する。


「両刃の斧は鎖を断ち、橙の手枷を破断する――ハガラズ


 筆を離して額を紙の上に付け詠唱する。


 拘束具に繋がる鎖は音をたてて断ち切れ、手を縛る拘束具は数個の大きな破片となって床に散らばった。


 フミは何十時間もの間縛られていた手首の感触を確かめると、床の紙と筆を拾いあげてやや震えた手で文字をかきこむ。


「幽閉する青銅の門は鎌風に細断される――スリザス


 前にかざされた紙の文字が光を放つと、無数の風が檻全体に切傷をつける。気付けば傷だらけの金属棒はこま切れになって崩れ落ち、地面に金音が転がる。


「……御待たせしました」


 フミは時折青白い光を見せて窪む床を跨いでユキトの傍まで歩く。


 彼女の瞳は未だ薄曇りだが、表情にはいつもの凛々しさが戻っている。


「ああ、いこう」


 彼女の言葉に口角をあげて頷くと、ユキトは石扉へと体を向けた。


 その時、反対側の扉が開く音がして強い光明が短く閉鎖的な廊下を照らす。


「どうやら、彼女を出すことが出来たようだね」


 大きく開いた両扉の向こうには青の流体だけが滴る刀を持ったアレクタリアがたっている。


「何とか、あとはどうにか脱出できたらいいんだが」


 来た道に松明をかざして誰もいないことを確認して歩を進めようとした。


「……すまない」


 響いたのは駆ける足音。


 見返る視線、浮かび上がる接近するシルエット。


 影は腰を落とし、峰が背中に付くまで回したその姿。


 淀んだ青き刃は刻筆師へと向けられた。

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