第15話 メイとミズキ
これはまだメイが前世にいた頃の話、彼女が小学生のときに親の都合で海外へ移り住んだ頃の出来事である。
その頃のメイは明朗な今とは違い、内気で人と接することがあまり得意でなかった。そんな性格も災いして、移住先の言葉をうまく話せないメイはなかなか友人を作ることができなかった。
昨夜のテレビの話題にも乗れず、思うことや感じたことすら満足に表すことが出来ない。休み時間はひたすら単語帳に目を通し、時には同組の男子に揶揄われることもあった。言語の壁は厚く怖く、他言語のみが飛び交う世界は幼い彼女にとって真っ暗闇にも似た恐怖と不安の場所だった。
その暗鬱な日々に、その少女は颯爽と現れた。
いつも通り故郷の旧友に思いを馳せるある日の授業終わりのこと。一人で黙々と机に向かうメイは廊下から走ってきた少女に手を引っ張られ、教室の外へと連れ出された。
手を引く黒髪の少女は戸惑うメイを連れ回しながら、あれやこれやと常に声を発し続ける。もちろん言葉の意味は分からず、静止を促す声も届かない。ただメイが言葉を発するたびに、屈託のない笑顔を向けられるだけだった。
言葉のやり取りなど一切存在しない、それにも関わらずメイは久しく光を目したかのように心が安らいだ。友達になりたい、その少女の不器用ながらもひたむきな思いはメイの心に伝わった。
これこそが明朗快活を地で行く少女、後に親友となるミズキとの出会いだった。
メイとミズキがリズに転生したのは今よりおよそ半年ほど前、森のなかにある木小屋でひそかに居住していた。毎日森を散歩しては出会った人間やエルフと交流したり近国のアルフェイムに訪れて、日々気ままなスローライフを送っていた。
不満も不自由もなく、彼女らの異世界は幸せで満ち満ちていた。
転生して数か月後、ふたりはラライユ祭というエルフが執り行う豊穣祭に招かれアルフェイムに訪れていた。
豊穣祭は夕暮れまで続き、家路を辿る頃には陽の沈みきっていた。
「楽しかったねお祭! 肉や魚もたくさん出てきたし、あのルタバガ?っていう黄色い野菜なんか初めて食べたよ!」
「こーら、ちゃんと前見て歩かないと転ぶよ」
メイは籠いっぱいの食料を両手に持ってはしゃぐミズキに注意を促す。
「だってこんなにお土産ももらえたし、何よりいろんな種族とも会えたんだよ。はしゃがずにはいられないって!」
後に染めた濃い赤のショート髪を揺らし、クリっとした丸い茶色の目がメイを向く。
転生以来、ふたりは森の外を出たことがほとんどなく、森に棲む獣やスライム、近国のエルフ以外の種族については伝え話でしか知ることがなかった。ゆえに他種族の姿を目するだけでも彼女たちには新鮮な経験であった。
「わたしたちもいつかはこの森の外を旅できたらいいね」
ミズキが半歩後ろで灯りを持つメイへと振り返る。灯がやさしく彼女の笑顔を明るくする。
好奇心旺盛なミズキの夢はこの広大なリズを旅して回ること、その夢を叶えるために曲がりなりにも鍛錬を重ねていた。
未だ見たことのない景色を瞳に映す。その夢が次第に目標になりつつある時期でもあった。
「そうね、でもその前にもう少しは強くなっておかないと」
「だいじょーぶだって、メイもついこの前から炎が出せるようになったじゃん」
「あたしの炎はまだ使えるような段階じゃないって」
メイは薄暗い森の道に顔を向き直して青い草葉を踏み分けるミズキに答える。この頃のメイは炎術を使用することは出来たが、まだ掌の上で炎を維持することで精一杯であった。
「問題ないって、誰が来たってわたしの剣でメイを守るからさ!」
誇らしげな顔でミズキが腰の長剣をカチャリと響かせる。
わたしがメイを守るから――その言葉は彼女の口癖であった。
「これだけ食料もあれば修行もやり放題だし、さっそく帰って軽く料理でも……ん?」
足を止めて暗がりの先を覗き込む仕草を見せるミズキ。その方角にメイが灯りを向けると、背丈の高い男の立ち姿が照らし出される。
「祭の後なら適当な獲物がかかると思っていたが、まさか人間が現れるとは」
鋭い目つきをした男は一人で明かりも持たず、夜の影を踏みメイたちに近づく。
重苦しく不気味な雰囲気が男と少女らの間に流れる。
「あのっ、どなたで――」
ミズキの声は周囲の違和感に遮られた。
風ひとつ吹かなかった
「答える義理はない、君たちはただ脳を空にして変革の
距離が縮まるほどに空間が歪み、胸に込み上げる不快さはいっそう増す。今までに経験したことのない感覚。だが、これが多大な魔力の干渉によって引き起こされているということは直感的に理解できた。
――間違いない、あの男は異能者である。
「逃げるよっ!」
ミズキは籠をその場に置いてメイの震えた手を取り、来た道を引き返すように走り出す。その勢いでメイの手中で灯っていた火が消えてしまう。
胸を締め付ける圧に耐えながら二人は月明かりがこぼれる森のなかを必死に駆け抜けていく。
「っ!?」
しかし戻る先の道には数体の真黒な人影らしきものが出で立ち、行く手を阻まれてしまう。
「下手に逃げるのはやめてもらおうか、せっかくのオドが減ってしまう」
後ろの道は追いついた男によって立ち塞がれ、葉の隙間を抜ける淡い白光が男の白い肌を反射する。
男の仲間であろう正面にいる人影の正体はローブに包まれはっきりと確認することが出来ないが、人にしては腕が異常に細いように見える。
「メイ、ここでちょっと待ってて」
ミズキがメイの前に立って腰の剣に手をかける。
「まさか、戦うつもりなの?」
「それしかないみたいだからね。だいじょうぶ、これでも獣くらいは切ったことあるし」
勇む彼女の横顔に冷や汗が流れる。笑いかける口元も少し引きつっている。
「それにさっき言ったばかりでしょ、メイだけはわたしが守るって!」
言い切ったミズキは前方の人影へと走り出し、前傾の状態から人影の眼前で勢いよく抜剣する。
横に振られた剣はローブを裂いて人影を捕らえる。ミズキが力を込めて振り切った剣は対象の身体を抜け、断たれた半身は鈍い音を立てて地面に落ちる。
続けて隣の二人に対して即座に切りかかる。弧を描いた剣先により人体は一剣のもとに呆気なく両断された。
状況としては決して悪いわけではない、しかしミズキの表情は陰る一方。
「なんだかおかしい……」
目の前の惨状に息をするのも忘れたメイのもとにミズキが歩み寄る。
「切った感触が明らかに軽い、もしかしたら周りはただの人間じゃないかも」
「それならやっぱり逃げた方がいいんじゃ」
「似たようなのがまだ何体も向こうのほうにいるのが見えたし、逃げ続けるのは難しいっぽい。けど、このこれくらいなら手がないわけじゃないはず」
両手で剣の柄を把持し直す。
「周りがダメなら、直接頭を断てばいいっ!」
ミズキはそのまま眼前の男を目掛けて駆け出すと剣を男に向かって思い切り打ち下ろした。
「っ!?」
横のローブの内から現れる腕が男と剣の間を遮る。しかしその腕は先と変わって
「やば――」
隙が出来たミズキの横腹にローブの回し蹴りが入る。彼女は
木の根元で蹴られた箇所を押さえてうずくまるミズキ。息はあるが相当のダメージを負ったに違いない。
「硬化の魔術を全員にかけるのはさすがに骨が折れるからな。野良の剣が通るとは思っていなかったが」
「それならもう……一か八か……!」
メイはミズキに注意を向けた男に対して両手を掲げる。実戦経験はおろか炎を放つことすらままならない。それでも、ここで出来ねば彼女の炎術に何の意味もない。
掌に意識を集中させて燃ゆる赤をイメージすると、揺らめく炎が発現する。
――あとはこれを放つ……!
「甘い」
放射を想像した瞬間、男の鋭い横目がメイを刺した。
「メイっ、後ろっ!」
振り返る間もなかった。
背後からの一撃によってメイの意識はプツンと途切れる。
気を失う寸前、閉じかけた瞳が人影を映す。それは、炎によって照らされた
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