第14話 白妙の蝶

 純白の蝶は格子の向こう側で雅やかに羽ばたく。


 何処からか入り込んだようだが、幾らか様子がおかしい。白蝶はくちょうは牢の前で空中の一点に止まったまま、意識を宿したように檻の中のユキトと面する。耳に届いた鈴を転がしたような声の所有者が視認できないことも気にかかる。


「もしかして、いま喋ったのってそこで飛んでる蝶なのか?」

「はい、正確には魔力でかたどった白蝶を介して離れた場所からで話しています」


 涼やかな返答は真正面の白蝶を源に発される。虫を模して会話するとは、さすが魔法のある世界は伊達ではない。


「でもこの声、どこかで聞いたことのあるような……?」


 もちろん声の特徴はメイやイリーシャのそれではない。そして、転生してから言葉を交わした女性でこれほど涼やかな声の持ち主は一人しかいない。


「あっ、ノルカーガで俺を助けてくれたあの和服お嬢!」


 細めたユキトの眼がぱっと大きく見開かれる。この凛とした声は確かにあの細道で出会った少女のものだった。


「どうしてこんな場所に?」

「細道で別れた後、念のためにこの白蝶であなたの動向を確認していたのです。まさかこんなすぐに捕まると思いもしませんでしたが」

「俺だって捕まりたくて捕まってるわけじゃないんだっての」


 不仕合わせな己の実情に語気が弱まる。監獄軟禁プレイを望んだことなど生来一度たりとも無い。 


「あの、二度目ということもあって図々しいことは承知なんだけど――お願いします、ここから出られるよう俺を助けてください!」


 姿勢を正して座り、両手を地面につけて高々と舞う蝶に深く頭を下げる。嘆かわしいことこの上ないが、プライドで魔力は補えないのだ。


「私もそのつもりで来たのですが、正直に言うと難しいかもしれません」


 和紙のようにきめ細やかな羽を動かす白蝶が格子の傍をなめるように移動する。


「この格子に用いられている碧絶岩へきぜつがんはマナの吸収に特化した素材、異能での攻撃は通用しません。同様の効果が牢屋内からも感じられることから、魔力体である白蝶が中に入ることも叶いません」

「牢屋を取り囲む壁ならいけるんじゃないか? 少し手間かもしれないけど」

「この壁も硬化の高等魔術が張られているため、程度の知れた攻撃では表面にきずをつけるのがやっとでしょう。破壊自体は可能ですが、そのときはあなたの体も吹き飛びます」

「怖えよ、冗談でも笑えないっての」


 鈍色の石壁を差す腕がしおれる。牢中どころかこの世からいなくなっては元も子もない。


「でも、それなら何でこのタイミングで助けに来てくれたんだ? 俺のあとを追ってたなら牢屋に入れられる前に助けてくれても良かったじゃ?」

「それは、色々と事情がありまして」


 先ほどまで利巧な口調だった白蝶の娘が濁した言葉で誤魔化す。


「もしかして、追跡中に森のなかで俺たちを見失って、行方を探っていたから遅れたとか?」

「ち、違います。決して見失ったわけでも迷子になっていたわけでもありません」

「迷ってもいたのか……」

「うるさいですね、それ以上言うとこの檻ごと燃やしますよ」

「冗談だって! 悪かったからその炎は消してくれ!」


 ユキトが慌てて弁解すると白蝶の前方に出現した球体の火は渋々と消えていく。イリ-シャに感化されてつい揶揄からかったユキトもユキトだが、この少女の短気さも大概である。


「探してくれたことは本当にありがたいけど、結局は巡り巡ってまた振り出しか」


 強力(で少しドジ)な助っ人は現れたものの、状況がそれを上回るほどに悪い。異能すら通用しないとなると、メイとの交渉だけが唯一残された方法であることがついに真実味を帯び始める。


「そもそも、あなたはどうして捕まっているんですか? ノルカーガでの一件が絡んでいるわけではないのですよね」

「どうも俺は魔力集めの奴隷らしい。この牢屋が徐々に俺から魔力を奪ってるんだってよ」

「魔力収集、ですか」


 疑問を含んだ声で白蝶はユキトの言葉を繰り返す。表情は確認できないが何か引っかかる点がある様子だ。


「どうかしたのか?」

「いえ、強引に人を監禁する割には非効率と言いますか、妙なやり方だと思ったのです」


 小首を傾げるユキトを見て、白蝶は言葉を加える。


「ただ魔力を収集するのならこのような檻など作らずとも、対象に碧絶岩を接触させるだけで良いはず。それにあなたがここに投獄されたのは間違いなく魔力の自然回復量が落ちてからのこと、この牢屋を使用するメリットはあまり感じません」


 確かに、とユキトは小さく顎を引く。

 対象に数瞬の間だけ碧絶岩を当て、その度に食糧を与える方法がおそらく最も時間効率の良い方法だろう。しかし、メイたちは魔力収集に急いているにも関わらず、むしろこの牢屋にこだわっているような節すら感じられる。


「この牢屋には、魔力を集めること以外にも何か目的がある……?」

「と、考えた方がよろしいかと」


 曇った頭の中にわずかな光明が差し込む。


 察すれば脱する――与えられているのは何もメイの情報だけではない。ここで見聞きしたすべての情報を吟味したうえで、それらを繋いでいかなければならないということに違いない。


 白蝶から目を離したユキトは顎に手を触れた体勢でもう一度、頭を捻る。


 メイとイリーシャの話からも分かる通り、彼女たちの目的は魔力収集以外にある。メイはその目的に対して非常に意欲的であったが、金銭の授受はおろか報酬すら無いようだった。


 ふたりの望むものは利益でない。そう仮定したとき、ふと気にもしなかった不可解が頭を過る。


「白蝶、生物の感知って出来る?」

「半径10メートル程度であれば魔力の詳細から辿ることは出来ますけど、どうしてですか」

「この近くにいる人間について調べて欲しいんだ」


 白蝶はふたつ返事でユキトの提案を受け入れる。しばらくすると白蝶の片羽に文字のようなものが浮かび上がり、青白い光を放つ。


「牢屋下の部屋に寝転がった方が1人、小屋の内を歩く方が1人――あと、牢屋の向こう側に1人」

「向こう側っていうと、この壁の?」


 上体を捻じって格子とは反対側の壁を軽く顎でさす。


「はい、ここと似た牢の中に横たわった方がいらっしゃいます。かなり魔力を消耗している様子ですが」

「やっぱり、そういうことなのか……?」


 発光した羽の文字がゆっくりと光度を失う。代わりに脳内の情報点は黄昏時の夜空みたくまばらに散らばって表れ始める。


「何か心当たりがあるようですね」

「耳をすませると微かに風音みたいなのが聞こえるんだけど、隙間風にしては灯火は揺れないのが少し気になったんだ。それに相手の会話内容からして、魔力収集が昨日今日だけの事とは思えなかったし」

「別に囚われた人間がいる、と思ったわけですか。しかし隣の方は非常に衰弱しています、協力どころか話し合いも困難かと」

「それで構わない、むしろそうでないとおかしい」


 点がつながるほどに物憂げな気持ちが頭を揺らす。これが本当ならば、脅迫など出来ようはずもない。


「おそらく、そこにいる人は」


「――さっきから、いったい誰と話してるのかな?」

「っ!?」


 迫るような声が扉を貫く。開扉した音が鳴る、牢の前には靴音を鳴らして歩み寄る赤髪の麗人の姿が。


「やっぱり逃げ出そうとしていたんでしょ、話し相手はその蝶?」


 掲げて両手のひらが宙を舞う胡蝶に差し向けられる。


「争うつもりはありませんが、もし攻撃を行うならこちらもそれ相応の態度を示させてもらいます」

「ちょっ、待ってくれ二人とも」


 正対する白蝶とメイを制止する。ここで戦闘が生じるのは避けたい、それは何より、ユキトにとってこの状況が都合の悪いものではないからだ。


「メイさんだって不用意な戦いは望まないでしょ?」

「いいや、逃げるって言うなら是が非でも戦うよ」

「ここで戦闘を起こせば、向こうの人もタダじゃ済まないかも知れないんですよ」

「っ――!」


 背後を親指でさしたユキトに肩が揺らぎ、表情をこわばらせた麗人。そんな彼女を見て詰め寄るように続けて言葉を繋ぐ。


「向こうの牢に、俺よりも前から投獄された人間がいるんですよね」

「……ええ」

「メイさんが魔力を集める理由と向こう側にいる人、何か関係があるんじゃないですか?」

「違う。それは、決して……」


 突き出した麗人の両腕が揺れる。緊張、誇張、恐怖、様々な感情が腕を伝う。


「人質に取るなんてことは絶対にしないと約束します。だから教えてくれませんか、向こうにいる人が誰なのか、そしてメイさんがどうして魔力収集を手伝っているのか」


 視線をそらす彼女の愁いを帯びた顔が灯りによって照らされる。沈黙は長く、開いた扉から吹き込む風に灯火は幾度も揺れる。


 息をのんだ後、メイは静かに口を開いた。


「あの子は――ミズキは、あたしの親友なの」

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