第16話 暗闇に差す一縷の白

 意識を取り戻したメイは燈火の一つしかない薄暗い場所で倒れていた。


 体を起こして堅固で冷たい石に囲われた狭い部屋を見渡そうとしたとき、さもとってつけられたかのように異様な木製のドアが軋音きつおんを立てて開かれる。


「おや、目覚めたか。あまり騒ぎ立てられてオドを消費されても困るのだがな」


 扉から現れたのはメイたちを襲撃した張本人だった。


「ここはどこ?」

「答える意味がない、君たちにとって今いる場所など知る必要はないからな」


 コツコツと甲高い靴音を鳴らして歩く男。革グローブのようなものを填めた手には緑青ろくしょう色の細長い棒が握られている。


「君はこれからこの棒によって魔力へと変換される、少し痛いが比較的楽に逝けると聞く」


 座り込んだメイの前で止まり、一方の先を覆う銀の部分で彼女の身体をなぞる。棒は首元まで上がると止まり、メイは青の部分に顔が当たらぬよう首を上に向ける。息をのむと喉元にかかる圧が強調される。


「だがそれではあまりに君たちが労しい。去絶は一瞬一度の超常機会、それを無碍にして作業的にただ石棒を人肌に当てるだけなど尊厳の冒涜に他ならない。だからこのような場合に遭遇したとき、私は必ず機会を設けることにしている」


 弁を弄する男は棒をメイの首元から引っ込めると、踵を返して再び前進する。


「去絶には恐怖と苦痛、そして憤懣ふんまんが要される。生を渇望する感情が邪気に穢れた魂を精練し、より純度の高いものへと昇華する。人によってはその純性が奇跡を生じさせ、能力を生み、時には存在すら凌駕する」

「苦痛とか魂とか、そんなの狂人の戯言よ」

「幾百も齢を重ねたなら狂気は境地に達する。君にその機会は与えられないが、代わりにその魂をもって体験させてあげよう」


 男は棒の先頭を床に擦り当てながら右奥に向かう。その部屋の隅に何者かが横たわっている姿が朧気に確認できる。

 暗闇に慣れない目を細めてその人型を注視する。


「ミズキ……っ!」


 視線の先にあったのはぐったりと石床の上に伏す、ボロボロになったミズキの姿があった。


「この娘は君を庇って歯向かったゆえ、少々痛めつけることになってしまった。おかげでオドの回復を待たねばならないところだったが、予定を変更する」


 ミズキと二歩分ほどの距離を置いて足を止めた男は床を擦っていた棒の上下を持ち替えて、銀のない先を横臥する彼女の顔へと向ける。


「ダメっ!」


 ミズキを庇うようにして緑青棒との間に体を挟む。


「そうだろう、君にはそうするしかない。だがこれは君たちにとって与えられたチャンスでもある」


 そういって今度はメイの顔前に棒の先端を差し向ける。


「君は死の感情を超克し、進化を遂げれば後ろの娘を救うことができる。私としてもマナを収集する必要があるとはいえ魂を無に帰することは極力避けたい、要するに両者にとって最も都合の良い結果ということだ」


 次第に緑青棒の先端がメイの額へと接近する。今度は銀で覆われていない、触れれば確実に魔力を奪われる。


「自由の利く体で激痛を受け入れ死に抗うのだ、その意志の強さは奇跡へ至るに値するだろう」

「くっ!」


 メイは片手を男の顔に向けて突き出し、炎を発現させる。しかし炎は手のひらで揺らめくだけで放つことが出来ない。


「魔法か、その様子では放射も出来ないようだな。威力も取るに足らない、素人同然と言ったところか」


 男の顔を灯す火は次第に勢いを失っていく。あと一歩、踏み出せば届く距離があまりにも遠い。


「抗いは良い兆候だがまだ尚早しょうそう。心の器を溢れんほどの鬼胎で満たせ、それは苦痛とともに強い憤怒へと変わる。怒りの業火は君の魂を浄化し、その熱量が奇跡をもたらす」


 緑青棒は正面からではわからないほど、ゆっくりとメイの額へと近づく。


 心臓は氷を当てられたかのように冷たくキュッと縮んだ感触がする。息が出来ているかもわからない。それでも、この身は己の意思で退かなかった。


 ミズキには今まで何度も護られてきた。初めて出会った時も男に襲撃された時も、彼女は同じだけの怖れを抱いていたはずなのに。無理を承知であっても、メイを護ろうと懸命に足掻いたのだ。


 今庇ったところで何が大きく変わるわけでもない。それでも、最期くらいは彼女を護れる人間になりたいと心の底から望んだ。一分一秒でも良い、己よりも長く生きていてほしかった。


「凄まじいまでの能力開花か、死の超越か、はたまたその両方か。さあ、死期の輝きとともに与えられる奇跡を見させてもらおう」


 男の口角が不気味に吊り上がる。メイは歯を食いしばって震えを抑えるも、その目はそらすことはなかった。


 緑青棒が、髪に触れる。


「はいーツァーラートさんー、ストップですー」


 男の背後から剣呑な空気に似つかわしくない気の抜けた声が聞こえてくる。


「誰かと思えばイリーシャか、君もついに去絶の奇跡に興味を持ったのか」

「違いますよーあなたみたいな変人と一緒にしないでくださいー」


 振り返って半身になった男の向こう側には水色に近い白のショート髪をした少女が開いた扉の傍で寄り掛かっていた。


「ならば何の用だ、こっちは今取り込み中だぞ」

「本来の目的から脱線して哲オタまがいになっていただけじゃないですかー、まあそのおかげで間に合いましたがー」

「間に合った?」

「もっと効率よく魔力を集める方法をついさっき思いついたんですよー」


 白い衣服を身に包む少女は扉の前で立ち尽くしたままツァーラートに説明する。


「碧絶岩を用いた囲いに生命体を幽閉しておくんですよー。そうすることで一定の魔力量だけを吸収することができるんですー。ほらー、直接当てて吸収すると体内魔力変換効率P M C Eが悪い上に飽和したらもったいないじゃないですかー、それにヒトの魔力回復を活かせば生贄を探す手間も省けますよー」

「だがそれでは奇跡の検証を行えないではないか」

「虐待と実験を一緒にしないでくださいー、それにヒトを考えなしに捕獲し続けたらそのうちノルカーガの機公隊を敵に回すことになりますよー」

「確かに、それは避けるべき事柄だな」


 少女とツァーラ―トはよくわからない言葉を挟みながら互いに向き合って話を続ける。


「総合的に見てもこちらのほうが効率良いと思いますがー?」

「……少々口惜しさも残るがそれなら致し方ない、あくまで魔力供給が最優先事項だからな」


 ひとつ深く息を吐いてツァーラ―トは渋々とメイに向けた緑青棒を下げる。


「必要なものは後で要相談だ、いいな」


 空返事をして道を開ける少女の隣を通り過ぎ、ツァーラ―トは扉の沓摺くつずりを跨ぐ。振り返ることもなく男は扉の向こう側に姿を消した。


「いやー危ないところでしたねー」


 後ろで手を組んだまま器用に片肩で壁にもたれかかる少女がメイに目を向ける。


「あなたはいったい?」

「わたしはさっきの男のもとで仕事をしているイリーシャっていいますー、お見知りおきを―」

「もしかして、助けてくれたの? どうして……?」

「境遇的にはあなたたちと似たようなものですからねー。それに、このことを見逃したら後々後悔するなーと直感的に思ったんで―」


 身を翻して外へと向かう少女がドアノブを握ったままメイの方へと振り返る。


「本来はこの場で解放するのが一番良いんでしょうけど、わたしにも事情がありますからー。それじゃあお互い大変になるでしょうけど頑張っていきましょうねー」


 呆然と座り込んだメイへ後ろ手に手を振った白服の少女は静かに扉を閉めた。


 張り詰めた身体から一気に力が抜ける。握りしめていた手に残った爪痕が赤く浮いている。

 何とか首の皮一枚繋がった二人。しかし相手の会話内容からして彼女らは即死を免れただけであり、あの男に生かされたまま囚われているに他ならない。そう悟ったメイの心中に言葉が残響する。


 ――今度こそ、あたしがミズキのことを護る。


 絶望に差した一縷いちるの光を逃さぬよう、開いた手を再度強く結んだ。


 §


「その後に作られたのがこの牢屋型の装置よ」


 石の壁にピタリと背をつけ膝を抱えて座るメイは一連の出来事を落ち着いた口調で語り続けた。


「初めは碧絶岩の関係で牢は一つだけ作られて、ツァーラートの命令でミズキが入ることになった。あたしとしてもそれは悪い話ではない。牢屋が吸収する魔力量は一般人の魔力回復量よりちょっと少ないくらい、だからミズキは安静な状態でケガの治療に専念できた。でも、状況は突然一変したの」

「魔力回復量の低減、ですね」


 白蝶の言葉にメイはほんの少し間をおいて首を縦に振る。


「自然回復と寝食が前提の設計だったから、そのままだとミズキの魔力量は減少する一方だった。だけどツァーラ―トは"吸収量の減少を禁じる"ことを装置稼働の条件としていたの。そこで挙がったのが、イリーシャが念のためと要求していた碧絶岩と空間を利用して牢を増産、魔力吸収の負担を分散させるっていう案だった」

「メイさんは食料確保で牢屋に入れない、だから代わりとして人間がもう一人必要になった。そこで探していた時に見つけたのが俺ってことか」


 話に夢中で前に傾いていた背中を後ろの壁にもたれかからせる。凝り固まった背中には無機質な冷たさが伝わる。


「君は絶対に死なせない、食糧は必ず確保するし、もし君が危険になったらあたしが変わるって約束する。だからお願い、魔力収集が終わるかツェーラートから牢のカギを奪うまでここにいて欲しい」


 腰を上げたメイが足を一歩前に出し、頭を下げる。


 その様子を目の当たりにしたユキトは数秒後、深く悩んだ挙句に口を開いた。


「すみませんメイさん、そのお願いを聞き入れることは出来ません」


 立ち上がったユキトは少しだけ背中を伸ばすと真っすぐと足を進める。

 格子に近づく彼の姿に両手を掲げるメイ、その行動、影の中で小さく震える細い腕が彼女の内を全て表出していた。


「あと、もう一つだけ謝らないといけないことがあります。メイさんに能力に訊かれた時、さっぱりわからないって言ったんですけど、実はほんの少しだけ心当たりがあったんです」


 列立した緑青色の棒を目前にしたユキトは眼を閉じる。


 そして深く息を吸って、肩の重みと一緒に吐き出す。


「頼むぞ――自分っ!」


 目を大きく見開く。


 そして手を一気に前方に伸ばし、ユキトは格子を思い切り掴んだ。

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