第7話 青の獣人

「抵抗しなけりゃ命までは取らねエ、オレの狙いはオマエの所持品だからよ」


 青色の獣人はゆっくりと持ち上げた大剣を肩に担ぐ。


 狼を彷彿とさせる突出した鼻と先の尖った耳を持ち、風で波立つ被毛は青と白で幾何学的な模様を描く。ジョージほど高くはないが二メートルは優に越しており、ボクサーの肉体を投影したかの如く絞られた腰に草臥くたびれた猿股が引っかかる。


 石の大剣は剣身だけでユキトの身体を覆い隠せるほど大きい。初めから粗かっただろう刃は獣人の戦闘様式が斬撃ならぬ打撃であることを顕示する。


 ――間違いない、この獣人は転生者狩りである。


「じゃあ、動くんじゃねエぞ!」

「うおっ!?」


 横振りされる鈍刀なまくらを後方にすっ転んで回避する。


「命は取らないって話はどこいったんだよ!」


 尻餅をついたユキトが怖れに声を裏返らせる。


「下手に暴れりャ急所に当たって死ぬぞってこった、攻撃しないとはいってねエ。盗るも奪うも腕力で、それがオレら獣人のやり方だ」

「血気盛んな流儀だな、ちくしょう!」


 反動で捻じれた上体を正面に戻す獣人を背にして、遠くの森へと駆け出すユキト。その背後を獣人は焦りの色ひとつ見せずに追走する。


「そんな逃げンなよ、狙いは体だけだっつってンだろ!」

「信用できるか、あと妙な言い方するな!」


 およそ墓石の重量はある大剣を担いで走っているにも関わらず、獣人は足取りも軽やかにユキトとの距離を瞬く間に縮めていく。巨大な石塊を扱う腕力もさることながら脚力にも相当秀でており、細身の四肢からはとても想像しがたい。


「いぃっ!?」


 凶刃きょうじんが後頭部を掠め、後ろ髪を激しくなびかせる。

 ただ逃走するだけではいずれ首を断ち切られてしまう。何か反撃の糸口を掴まなければ、命がいくつあっても足りやしない。


「待て、ヤッ!!」

 獣人の振り下ろした大剣が逃げ惑うユキトの真横の地面にめり込み、衝撃で反対側によろめく。堅い土は刃こぼれだらけの大剣を挟み込み、獣人が左右に揺らして引き抜くことを阻む。


 これを好機と見たユキトは不安定にも腰に差さった短剣を鞘から抜き、怯むことなくむき出しの上半身へと突きかかる。


 切っ先は見事に紺碧の横腹を捉えた。


「――ア?」


 しかし、剣先は鉄壁に棒を突き立てたかのように先へ進まない。柄を握る両手に体重をかけて押し込むも青毛が風に舞い散るだけである。


「人間のガキが、俺に傷一つつけられるわけがねエだろうガ!」

「ぐっっ!!」


 突き立った短剣を石剣が真っ二つに砕き割ると、硬質な足裏は前傾になったユキトの胴体を捉えた。


 前蹴りのまともに喰らった身体は幾重にも渡って後転する。


「あーあ、つい壊しちまった。ま、神製なら柄の部分だけでもマシな値はつくカ」


 己の胸倉を握りしめ、強烈な圧迫感に襲われた体を起こすユキト。その足もとに獣人の影が迫る。


「いっ!」


 放りだした片脚を踏みつけられ、苦鳴が腹の底から漏れる。


「これでもう逃れられねエな」


 余裕を含んだ瞳は苦痛に引きつった少年の顔を見下す。

 逃走したときといい反撃したときといい、獣人はまるっきり本気を見せない。先の足蹴も全力であったなら即座に起き上がることもできなかっただろう。


 対してユキトは刃の欠けた剣を手に万事休す。短剣はもはや使い物にならず、刃が残っていたとしてもあの堅牢けんろうな皮膚を切り裂くことは難しい。だが観念して地を割る一撃を生身で受け止めるなど論外である。


「安心しな、オメエの身に着けてるもンは全部有効に使ってやる、何しろ神製の一張羅はそこらの出来合い品より高く売れるって噂だからな」


 不気味に口角を吊る獣人は剣身の平で掌を何度も叩く。


 話の通じるような相手でないが、力が無ければ言葉を使うしかない。幸いにも相手は本気を出す性質ではない、余裕を見せているうちは何か隙が見つかるかもしれない。最も避けなければならないことは相手を激昂させてしまうことだ。


「せいぜい、死なねエように気張れよ」


 考える暇も与えずに大剣を天高くかざす獣人、その凶悪な面を前についと身を防ごうと両腕を構えようとした。


「あっ」


 想定外にも握りしめていたはずの短剣が勢いよく手からすっぽ抜けてしまう。


 下手に遠心力の加わった剣は線形を描いてくうを裂き、


「グアッ!!」


 無防備な獣人の左目へ突き刺さった。


 眼球を深く抉られた青獣は咆哮に近い苦鳴を上げて左目を押さえる。痛みにバランスを崩した巨体は振り上げた大剣を地に突き立てることで支え、腰を折ってうずくまる。


 確かに眼球は柔らかい、折れた剣でも容易く突き刺さる。だがここまで鬼畜な所業は例え思いついたとしても実行しない。現に目前のショッキングな惨状に、ユキトの正気度はガクンと急降下していた。


「おい、ヒトの目ェ刺しといてタダで逃げられると思ってんのカ」


 色々なものを犠牲に生まれた隙を利用して森へと足を向けるユキト、その右肩に青い重圧がのしかかる。言わずもがな背後には激昂した獣人の姿が。


 考えうる限り最も恐れていた事態である。


「故意じゃなかったんですよ、ちょっと手が滑っちゃって」

「ワザとじゃなかろうが眼球潰していいわけねエだろうガ」


 言っていることは実に正論だが、追い剥ぎで人を殺めようとしている奴がいう言葉ではない。


「ガキ相手と思って手加減してたガもうその必要はねエ、失った左目の分もしっかり贖ってもらうぞ」


 肩を掴む手が首周りへ移り、喉元を強く絞められる。つま先は地を離れ宙に浮いた身体が獣人の正面へ向けられていく。


 負傷した眼から流れる血涙が獣人を赤く染め、大きく見開かれた隻眼がユキトを凝視する。怒りは感じる、だがそれを上回る野生、狩猟に興じる本能が獣を纏う。


 鋭く伸びた爪がユキトの首に食い込む。その剛腕を剥がそうと目いっぱい力をいれて抵抗するがびくともしない。


 ――まずい、これは冗談抜きで死ぬ。


 意識が次第に薄く遠く、離れていく。


「ウグッ!?」


 突然、目の前で爆発音が鳴り響き獣人の顔周りに煙が漂う。一瞬のことではっきりと目視できなかったが、真赤な飛来物が獣人に衝突したようだった。


 怯んだ獣人はユキトの首を振り払うようにして離す。粗暴にも解放されたユキトは咳き込みつつなんとか息を整える。


「間に合ったようだね、転生者君」


 鮮明になる意識の中へ女性の声が入る。

 それは森の方角からのものであり、遠くには赤髪の女性が一人両手を前に掲げて立っていた。

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