第6話 異世界人力車に揺られ

 気が付いたときには辺りが緑豊かな草原へと変わって、遠く背後には国を囲繞いじょうする石の外郭がかすむ。


 荷車は速度を緩め、坦々たる地を徐行する。小石に乗り上げた車体が揺れるたびに胡坐あぐらをかいた尻へ衝撃が伝ってユキトの顔が歪む。


 意図しない方法で国外への逃亡に成功したが、危険は未だ隣り合わせの状況。一刻も早くこの三途の渡し船から降りたいところだが見晴らしの良い草原での遁走とんそうはあまりに分が悪い。

 良案が思いつかないかとユキトは顎に手を当てる。


「念のために訊いておくんだがお前、衛兵に追われてた奴だよな?」


 ひと一人乗せた荷車を難なく引く灰色の巨人は探りを入れるように口を開く。やはりユキトの境遇を知った上で誘拐したようだ。


「身ぐるみが狙いか、それとも懸賞金でもかけられた時のために攫ったのか?」

「んなまどろっこしいことで小銭稼ぐくらいならすぐ衛兵に引き渡すっての」


 両眉を上げて勘ぐるユキトに呆れた様子で巨人はため息を吐く。


「なら、まさか助けてくれたとでもいうのか?」

「そういうこったよ、言わせんな恥ずかしい」


 冗談で放った台詞に対して思いもよらない返答が戻り、呆気に取られるユキト。


「助けた……本当に?」

小狡こずるい奴なら往来でお尋ね者を拉致るなんてリスクあるマネしねえよ」


 猜疑さいぎの目でじっと巨人を見るが、きっぱりとした語り口と照れを隠すような横顔からは彼が嘘を並べているようには思えない。


 どうやら本当に助けてもらったらしい。


「すまん、てっきり転生者狩りってのに連れ去らわれたのかとばかり!」

「いいっての、見た目は厳ついし乗せ方も強引だったし、勘違いしても無理ねえよ」


 動揺しておたおたと震える両手を顔の前に合わせて首筋が痛むほど深々と頭を下げるユキト。低頭する彼に巨人は節くれ立った大きな手を顔の前で扇ぐように横に振る。


「でも、なんで俺なんかを助けてくれたんだ?」

「遠くで成り行きを見てたが、お前が何かしたようには見えなかったからな。いくら近くに居たのがお前一人だったとしても、そんな理由で捕まるのはいくら何でも不憫だと思ってな、気づいたら荷台に乗せて走ってたってわけだ」


 先ほどまでの刃物みたく鋭く物々しい印象とは対照的に海よりも深い温情を巨人の背中に感じる。そのギャップは不良のちょっとした善行どころの比ではない、性別が違えば間違いなく惚れているところだ。


「……あの子みたいな人間を、これ以上増やすわけにはいかないしな」


 車輪の音に消えるほどの小さな声が巨躯きょくから発せられる。気にかかるユキトだったが、巨人の神妙な面持ちはその事情に対して彼が踏み入ることを許さなかった。


「そうだ、忘れないうちに名前をきいても?」

「オレはジョージってんだ。種族はトロール、職は車夫しゃふだ」


 同じ轍を踏まぬよう早いうちに名前を尋ねるユキトに「よろしくな」と親指を立てて見せる巨人。薄ボロな長い布を腰に巻いた姿は野性的だが、非常に人情味のある性格をしている。


「しかし、お前も災難だったな。あんなタイミングで塔が壊れるなんてよ」

「全くだよ、その結果近くに立ってたから犯罪者扱いって、今思っても少し頭が固すぎやしないか?」

「衛兵には衛兵の立場ってのがあるからな、何せあの塔はただの建造物じゃねえんだ」


 愚痴をこぼしたユキトが眉間のしわを深く寄せて小首を傾げる。


「例えるなら最強の防衛装置ってとこだ。お前の近くに落ちたデカい針あっただろ? あの棒が光線を放射することで脅威を排除するって寸法だ。噂だと射程範囲はリズ全体、当たった対象は瞬く間に蒸発するらしいぜ」

「チートにもほどがあるだろ、むしろよくあの程度の騒ぎで収まってたな」

「ここ二百年の間、ほとんど起動してないって話だからな。知っててもいまいち恩恵を感じねえし、ただのオブジェだと思ってる奴だって多いだろうよ。まあ、あの塔を相手に反逆なんて裸で溶岩に突っ込むようなもんだし、稼働の機会がないのは仕方ねえがな」


 巨人はズリ下がっているみすぼらしい腰布を片手で引っ張り上げつつ、説明を続ける。


「だが衛兵となれば話は別だ、塔の用途と重要性は雇い主から知らされてる。もし後で塔が誰かによって壊されたってわかったときに、犯人の身柄もないとなれば自分たちがタダじゃすまねえ」

「その点それらしい人間さえ確保しとけば、例え国民に塔の本質が触れ回って混乱が起きたとしても、確保した人間を人柱として犯人に仕立て上げれば無理にでも事態を収められるってことか。文明は進んでるのに、やってることは中世と変わらないな」


 己の不運に文句を垂れながら整理でき始めた頭を雑にかき乱す。

 衛兵の発していた単語からもユキトを人柱にしようとしていた可能性は十二分にある、捕獲されていれば死は不可避だっただろう。


「唯一幸いなことがあるなら、械代儀かいだいぎっつう魔力で動くカラクリが使えなかったことだな。もしそれが存命だったら今ごろ大人数に囲まれて首根っこ掴まれてただろうよ」


 衛兵が何かを使用できずに腹を立てていたことをふと思い出す。おそらく国中に見られた自動車や街灯もその械代儀というものの一種であり、通信機能を持つ物も存在するのだろう。


「マジで不幸中の幸いだな……」

「オレとしても魔力車が使えなくなったおかげで依頼が増えてありがてえ限りだ」


 角ばった面を上向かせたジョージが大きな声で一笑する。


 それにしてもこの巨人、いかつい見た目をした割にはえらく物知りである。


「首の皮一枚繋がった感じだけど、これからどうしたものか……」


 組んだ腕に息がかかるほど深いため息が口から漏れる。まさか転生早々お尋ね者になるとは、追放ものにしてもシビアが過ぎる。


「行く場所がないならオレの家にでも来るか? 家族も喜ぶと思うぜ」

「ジョージって家族持ちなのか?」

「ああ、妻と可愛い一人娘の三人家族だ」


 ジョージが腰の内からハガキほどの紙片を取り出し、後ろ手にユキトへと渡す。ピンと張った紙は彼の家族と思われる者たちの写った写真であった。


 腰に軽く手を当てて歯を見せるジョージの隣には彼の妻であろう女性が暖かな微笑みを浮かべ、その高低差ある二人に挟まれるようにして娘さんが父に劣らぬハツラツな笑顔を正面に向けている。


 意外に思ったことは女性陣の種族。奥さんは見るからに人間であり、娘さんからも父親の面影は一切見当たらないのだ。


「こんなこと言うのも何だけど、どこかから妻子だけさらってきたわけじゃないよな?」

「んなわけねーよ、正真正銘オレの妻と娘だ! 娘とオレが似てないのはこの世界の仕様なんだから仕方ねえんだよ」

「そんなゲームの設定みたいに言われてもな」


 大声を発するジョージを前に気がかりを全てのみ込んで口をつぐむ。本人としても気にしていることなのだろう、これ以上尋ねるのは野暮というものである。


「とにかく、寝床くらいは自分で何とかするよ。おんぶに抱っこじゃさすがに悪いし、家族団欒に水差せるほど図太い人間でもないからな」

「そうか、ならアルフェイムに行ってみるといいぜ。森を西の方に抜けた所にある国でよ、そこならしばらくの間は迎え入れてくれるだろうぜ」

「了解、一度訪れてみることにするよ」


 森の中で素材と食料を収集してその国で売れば、なんとか生計を立てることは出来るだろう。それに時間が経てばノルカーガの方でもくだんの検証が進んでユキトの無罪が証明されるかもしれない。

 今はとにかく我慢の時期だ。


「おっと、すまねえユキト。送っていけるのはここまでだ」


 草原のど真ん中で荷車を止めた巨人は急いた口調で詫びる。


「もともとこの辺りに用事があってな、予約してた客人をそろそろ拾っていかねえといけねえんだ」

「全くもって大丈夫、むしろ感謝しないといけないくらいだからさ」


 くすんだ木縁を掴んで荷車から降りると、巨大な車夫に向かって軽く頭を下げた。


「あの木々の大群を目掛けて歩けばすぐ着くはずだ。森は現在地を見失いやすい、もし迷ったらアルフェイムに続く街道を探せ。そしたら遭難だけは免れるだろうよ」


 西を指さしながら丁寧に助言を授けるジョージ。その方向にはうっすらと濃い緑の群がうかがえる。


「また何かあればその紙で呼んでくれ、すぐにすっ飛んでいくからよ。それじゃあお互い、頑張っていこうな!」


 ジョージは手首を捻って何かを裏返すようなしぐさをユキトに見せた後、猛スピードで山々がそびえ立つ南の方角へと砂煙を上げで駆けていった。


 所作の意図を理解したユキトは持っている写真の裏側を覗き見る。

 裏には白地に黒く大きな文字で「車夫、ジョージ」と記されている。名刺のようだが記載事項は役職と名前だけ、電話番号や呼び出しに関する詳細な方法はどこにも載っていない。しかし当の本人はもはや遥か彼方、直接訪ねることも出来ない。


「仕方ない、そこらへんのことはアルフェイムって国に到着してから考えるとするか」


 一人になった寂しさを紛らわすよう独り呟いたユキトは、森の方角へと足を向けて足を踏み出そうとする。


 事はその瞬間に起こった。


 ドンッ! と地面を叩きつける凄まじい音と風がユキトのすぐ前方で発生する。


 突然の事態に戸惑いつつ舞い上がる砂煙を手で払って視界を開くと、眼前に石でできた巨大な剣を握る人型の獣が獲物を狙うような鋭い目でユキトを見つめていた。


「ようやくお目にかかれたゼ、落子らっこのガキ」


 天高く振り上げられた歪な抜き身は風音を立てて一気に地に打ち付けられる。大剣の作る風圧はユキトの肩を手荒く撫で、地面に亀裂を生み土片を巻き上げる。


 一瞬の出来事に愕然と立ち尽くすユキトは眼前の獣人を前に悟った。


 あ、今度こそ本当にヤバい、と。

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