第5話 受付嬢と迫り来る魔手

 身をひそめながら街の影をいくつも踏み抜いていると、噴水広場の近くまで戻ってきた。


 広場は壊れた塔の話題で埋め尽くされていたが、犯人捜しが行われている様子はない。「老朽化が原因ではないか」「飛竜が衝突したのではないか」など、衆人は各々の推測を発している。


 どうやら最も早く噴水広場に辿り着いたのは形相を変えて走る衛兵でも塔の傍に居た少年の噂でもなく、意外にもユキト本人だったらしい。


 緊張の糸を緩めて街の影から体を出す。広場の北側に出たユキトは噴水の周りを取り囲む石道、その合流点に建てられた小屋を程なくして見つけた。二畳ほどしかない小さな建物の上部には「総合案内所」というプレートが掲げられ、そのすぐ下に窓口が設けられている。


「おはようございます、こちらは転生の泉前総合案内所です。何か御用ですか?」


 さりげなく案内所の前まで近づくユキトに、受付の女性が気さくに声をかける。


 肩にかかるピンクの髪につばのない帽子をかぶった、天色あまいろのつぶらな瞳に幼さを残す清楚な女性だ。歳はユキトと同じく十八ほど。明度の高い制服が彼女の清純さを際立たせており、胸の名札には「転生の泉前担当:メイリア」と書かれている。


 疑いの目を感じさせないメイリアに警戒を緩め、素直に質問を始める。


「この国のことについて知りたいんですけど」

「ガルはお持ちですか?」

「……ガル?」


 当たり前のように出てくる謎の単語に眉をひそめる。待合番号札の名前だろうか、確かに近場で転生者が落下してくる場所ゆえそのようなものがあっても不思議ではないが、それにしては案内所の周りに誰もいない。


「すみません、そのガルって何ですか?」

「ガルはこの国の発行通貨ですよっ」

「発行通貨、って金!?」


 半歩退いて、わかりやすく動揺を示すユキト。まさか総合案内所が有料だなど思いもしない。


 当然、ユキトは一銭たりとも所持していない。念のため神の施しがないかポケットにも手を突っ込むが指先にそれらしい感触はない。金が全てというのはイヤらしくも現実的だが、基礎知識に金銭が必要とは異世界もなかなかに世知辛い。


「実は転生したばかりの文無しでして、ガルは一切持ってないんです」

「大丈夫です、それなら問題ありませんよっ」


 申し訳なさそうに目を伏せるユキトに対して優しく声をかける受付嬢。流石に転生者は初回無料だったりするのだろうか。


「だってその話、ウソですからっ☆」

「……うそ?」

「はい、私がついさっき思いついた場を和ませるためのジョークです!」


 少女の言葉に開いた口が塞がらないユキト。


「あーなるほど……って、なるか! ややこしいからやめろ!」


 満面の笑みでデタラメ宣言をする案内嬢につい声を荒らげる。


「案内所の人が仕事でお金を貰うわけないですよ、情報屋じゃないんですからっ」

「普通ウソもつかないけどな」

「そんな怒らないでくださいよ、ちゃんと説明しますからっ」


 おどけた様子で詫びいるメイリア。こんなふざけたことをしても許されてしまうのだから、全くもって可愛いは得である。


「国の名前はノルカーガと言って、ご覧の通り人間が多く集う場所です。あの遠くに見える大きな城を中心とした円形状の領土でして、人口は全域で約120万人とされています。あ、ちなみにこの転生の泉は国の南側にあたります」


 メイリアは説明しながらユキトの後方を指さす。振り返った遥か遠方には荘厳な城が屹立きつりつしており、空をさす尖塔に遠目でもわかる複雑なデザインは一目で心を躍らせる。


 もっとも、ビルでも並び立ちそうな周囲の現代風景からは非常に浮いた存在ではあるが。


「リズでは一番安全な国、のはずだったんですが……実は少し前から色々あって大騒ぎな状態が絶えないんです。先ほども重要な建物が破損したみたいで、私も仕事が無ければ見に行きたいんですけど」

「へ、へえーそうなのか。それで、その少し前に起こった色々っていうと?」


 明後日の方向に視線をそらして他人行儀を決め込み、それとなく話題をずらす。


「ステータスが見れなくなったことと経験値やレベルがなくなったこと、あとはお腹が空きやすくなったことですかね。なので食糧はちゃんと確保した方がいいですよっ」


 顔を上向かせて指折り数えるメイリア。最後の項目に関してはよくわからないが、現時点で確認できる顕著な変化はステータス関連の消去だけ。やはりその他の願いははっきり表れるものではないようだ。


「食糧を買うにしてもさっき話してたガルってのが必要だろ、どうやって金策すればいいんだ?」

「オーソドックスな方法だとノルカーガ内で職に就くことですね。あっ、いま城内の給仕役としてメイドを募集してますけど」

「やらないよ、てか男はそもそも無理だろ」


 無下に却下されたメイリアはどこからともなく出してきた求人広告的な紙っぺらを渋々取り下げる。本当に応募させようとしていたならある意味大した人間である。


「国に仕えるのもいいけど、国外に出て出来ることって何かないか?」

「それなら少し遠いですが、森林へ行くのが良いと思います。ノルカーガを出て南西へぐーっと進むとある大きな森で、そこに生息する野生動物を狩って得た素材や食料を売るんです。装備が整っていない方でも倒せるというのでオススメですよ」

「なるほど、食糧も得られるしそれはいいかもな」


 この国で仕事を行うよりもいくらかハードと思われるが、今のユキトに選択の余地はない。最悪その森でしばらく野宿する生活も視野に入れておくべきである。


「ですが時折、人を丸のみできるくらい大きな蛇や金属も噛み切るような狼が出現するので気を付けてくださいね」

「嘘だろ!?」

「はい、ウソですっ☆」

「あのな……!」


 眉間のしわをヒクつかせてホラ吹き少女に睨みを利かせる。この少女の上司には一度、彼女に再教育を施すことを強く勧めたい。


「ただ、転生者狩りっていう転生したての人間から身ぐるみを剥ごうとするやからはいるので、彼らには気を付けてくださいね」

「はいはい、ご忠告どうも。それじゃ色々聞けたことだし、早速その森に向かってみるよ」


 ため息交じりの礼を言って、案内所から立ち去ろうとする。しかし、返したきびすは何かを思い出したかの如く不意に止まる。


「もうひとつだけ訊いてもいい? 人を探してるんだけど」


 体をメイリアに向き直して尋ねる。ユキトの気がかりとはもちろん、あの路地裏で彼を助けてくれた黒髪少女についてである。彼女にはもう一度会ってきちんとお礼がしたい、この場の受付嬢ならもしかすると少女について何か知っているかもしれないと思ったのだ。


「いいですよ、どのような方ですか?」

「背が俺の耳くらいまであって、見た目は十五歳くらいのちょっと品のある黒髪の女の子だ。ふわっとしたお団子ヘアと黒色の羽織が特徴で、確か光った謎の文字が書かれてる紙を持ってたような」

「――っ!」


 軽い身振り手振りを加えながら少女の特徴を伝えると、最後の一言を耳にしたメイリアの目の色が変わる。


「その書かれてた文字って、もしかしてルーン文字ではありませんよね?」

「あー言われてみればそんな感じだったような」

「大丈夫ですかっ! ケガとかは、痛っ!?」


 ユキトのさりげない返答に勢いよく立ち上がったメイリアが窓口の縁に頭を衝突させた。


「……大丈夫か?」

「はい、それでそちらの方は……」

「少なくとも今のアンタよりは元気だよ」


 打った個所を両手で押さえて身を縮めた受付嬢は、ウルっとした目にユキトを映す。


「よくわからないけど、彼女には助けてもらったんだ。そのお礼を言いたくてさ」

「そう、ですか。まあ特徴も知っているのとは少しだけ異なりますから、格好の似たエルフでしょうね」


 納得したように独り言ちるメイリアを見て、ユキトの頭上に疑問符が浮かぶ。その様相に気づいた彼女は即座に説明を加える。


「昔からの言い伝えであるんですよ、『ルーンを司る人間を見たらすぐ逃げろ、捕まったら灰になるまで焼かれるぞ』って」

「えらく残虐的な伝承だな……」

「以前にそのようなことがあったらしいです。なのでそういった人を見かけたら一目散に逃げてくださいよ、これは本当に本当ですからねっ」


 伝承の内容に自身の身体を抱いて怖気づくユキトは、キリっとした顔つきで忠告する受付嬢に対し大きく首を縦に振る。


 軽い手続きを踏んだ後、再度メイリアに礼を伝えたユキトは案内所から離れ、道行く人々に紛れて南へと足を進めた。


「エルフ、だったのかな」


 雑踏で散見される尖った耳を持つ人が視界に入るたびに路地裏での一件を想起する。


 たった数秒の間に起きた出来事、少女の姿もはっきりとは覚えていない。しかし彼女の耳に対して特別に違和感を覚えることはなかった。仮にエルフの特徴が耳の尖りであるなら彼女がエルフだとは考えづらい。

 ルーン文字に関してもユキトはさわりの知識しか有しておらず、確証がないため全く別の文字である可能性は十分にある。


 考えれば考えるほど少女の像がぼやける。


「どこにいるってんだ。くそっ、ケーリュさえ使えればこんなことには……っ!」


 後方から目を血走らせた衛兵の愚痴が耳に入り、思考が一斉に霧散する。今はとにかく正体を隠しつつ国外へ出ることだけに集中した方がよさそうだ。


「お前、ちょっと待ちな」


 周囲に注意を払いつつ関所が存在した際の対処について考えを巡らせていると、背後から迫るような低い声とともに肩を軽く叩かれる。


 ゆっくりと振り返った目線の先には、灰色の巨人がユキトの肩に大きな指を置いていた。転生の泉で見かけた巨人と似ているが、どことなく少々筋肉質でさらに目つきが鋭い。


「な、なんでしょう?」


 巨人の顔を見上げ、震えた声で要件を尋ねる。


「そんな怖がらなくてもいい。お前、転生者だろ? もしかして森の方まで狩りに行きたいんじゃねえかと思ってな。どうだい、うちなら歩くよりも早いぜ」


 予想に反して気さくな口調の巨人は親指で横の方角を指す。指の延長線上には人力車とでも言いたげな木製の荷車が路傍に停車している。

 異世界版タクシーだろうか、何にせよ衛兵とは関係ないとわかり安堵する。


「でも、いま無一文ですよ」

「いいっての、初回はサービスしとくって、な?」


 気前の良い主人は囲いのついた荷車を引いてユキトの前に立つ。早急にこの場から移動できるのならそれに越したことはない。


「ならお願いし」


 依頼しようとするユキトの言葉が喉元で引っかかる。


 聞こえの良い話には必ず裏がある、そう思った彼の脳内でふとメイリアの言葉が再生された。


 ――転生者狩りっていう転生したての人間から身ぐるみを剥ごうとする輩はいるので、彼らには気を付けてくださいね、と。


「いや、やっぱりいいですよタダ乗りなんて悪いですし。やっぱり初めのうちは自分の足使わないと!」

「いいんだって、元々俺も箱庭近くに用事があったからよ!」


 早口で言い放ってそそくさと身体を翻すが、時すでに遅し。

 振り返ったユキトの肩は摘まむようにして取り押さえられると、そのまま強制的に荷車へ乗せられる。その強引さに悪徳的なものを感じられずにはいられない。


 助けを呼ぼうにも衛兵を頼ることは不可能、今のユキトはまさにカモ以外の何者でもなかった。


「それじゃ、飛び出さないようちゃんと掴まってな!!」

「おぶっ!?」


 急加速による重圧が全身を襲い、人力車は一瞬にして暴走車と化した。

 勇往邁進ゆうおうまいしんな運転のなか、荷車の少年はただ揺れる空の青を眺めながら数秒後のわが身を案じ続けた。

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